第55話 少し線引きを変えて

 スケジュールがえぐい。

 俺は分刻みで打ち込まれている仕事を見てため息をついた。


 最近は出張が多すぎる。

 明日は出社して会社に溜まった作業を片付けるつもりだったのに、いつの間にか2日間連続で名古屋出張になっている。

 しかも仕様書は今日中に要確認なのに、資料がまるで集まってない。

 さっき問い合わせたが、何件かはもう送ったと言われた。

 俺の所には来ていないが、どこにあるのやら。


「……はあ」


 気持ちを吐き出すようにため息をついた。

 ここ数日はまともに昼飯も取れない。

 会議や出先で出てくるコーヒーでお腹が膨れてしまうこともある。

 でもここが踏ん張りどころのような気がするのだ。

 長谷川さんみたいに、もう一段上がれば楽になるのはわが社のお約束なのだ。

 そのためには太い客を得る必要があるんだけど。

 

 商店街を歩いていたら、テーラー乾さんの前だと気が付いた。

 正月のチラシの話をしていこうかな……。

 俺は裏口から声をかけた。


「乾さん、お邪魔します」

「滝本さん、こんにちは」

「おつかれさまです。お正月のイベントってどうされますか? 出店されるならデータ頂きに来ますよ」

「もう滝本さん、営業成績一位だって聞きましたよ。うちみたいな小さい仕事は新人に任せたら?」


 乾さんは俺を座るように促して、白湯を出してくれた。

 ありがたい。俺は上着を脱いで椅子に座り、それを一口飲んだ。

 温かい白湯が優しく胃におりてくる。


「あまり人に任せるのが得意ではないんです。昔から乾さんにお世話になっているので、俺の原点だし、お話したいんですよ」

「滝本さんは頑張りすぎだよ。下に任せないと育つものも、育たないよ」


 乾さんと軽く話をして、俺は店を出た。

 子供の頃から『一人でちゃんとせねば』という思いが強すぎて、人に頼るのが極端に苦手だと自分でも気が付いている。

 ある程度の事は自分で出来るし、単純に人に何かを頼むのが苦手なのだ。

 自分で出来る範囲のことで済ませればいい。

 自分が辛いだけなら、それで済むけど、他の人間にそれを押し付けたいとは思わないのだ。

 そして俺には自らそれを捌けるだけの力も備わりつつある。




 会社に戻り、集まっていた情報を元に仕様書を書く。

 清川の所にデータがいっていたり、本村が紛失していたり、送ったと言われていたものが違っていたり。

 これを明日までにまとめて確認まで必要だから、今日は帰宅が23時すぎるかもしれない。

 そこから明日の朝6時東京発。なかなかにエグい。

 

 次の打ち合わせに出ようとして、乾さんの店にコートを忘れていたことに気が付いた。

 清川に先に出てもらい、俺は店に戻った。


 すると店の中に咲月さんが見えた。

 裏から入ると声が聞えてきた。

 手に紙を持って赤ペンを入れているから、どうやら正月のチラシの打ち合わせに来ているようだ。

 楽しそうに身振り手振りで話をしている。


「滝本さん、ものすごく忙しいんですよー。もうピョーンときて、ピョーンとどこか行くんです」

「そうねえ、男の人ってバカみたいに働くのよねえ~」


 どうやら奥様と話しているようだ。

 裏口にいる俺に乾さんが気がついて、静かに招きいれてくれた。

 俺は中に入った。乾さんがコートを手渡してくれる。

 しかし二人の話が丸聞えで、盗み聞きするのは悪い。

 俺は軽く会釈をして外に出ようとしたら、乾さんが俺の肩を優しく叩いて、座らせた。

 聞け……ということだろうか。

 俺は戸惑いながら頷いた。


「私もう、滝本さんの出張パック覚えちゃったんですよ。ワイシャツ2枚にパンツにシャツと靴下。それに皺にならないスーツ」

「準備してあげればいいじゃない」

「頼まれないのに勝手にするのは迷惑かなーと。それに滝本さんは私にそういうこと望んでないと思います。なにより、人に物を頼むっていうのは信頼関係の先にあると思うんですよねー」

「滝本さんに信用されてないって事?」

「違うんです、私が頼まれるほど力がないってことです。家事が出来る奥さんになりたい! とかじゃなくて、困った時にライトに頼めるような、助けを求めて貰えるような人になりたいですねー。せっかく夫婦なんだし」

「あら、アイロンがけが下手ってこと? 教えてあげるわよ」

「奥様マジですか? 私すっごく下手ですよ! アイロンで皺増やしていくタイプですよ」

「それは頼まれないわよ~。まずは信用貯金貯めましょう」

「貯めたいです!」



 聞きながら俺は泣きそうになってうつむいた。

 偽装結婚から始まって、お互いに家事を分けて生活している俺たちだから、線引きを変えるのが怖くて何も頼んでなかった。

 違う、頼んだら嫌がられるのでは……と思っていた。

 家事をするために結婚したんじゃない! そう思われるのでは……と思っていた。

 でもきっと違うんだ。




 俺も手伝うから、咲月さんにも手伝ってもらおう。

 俺が弱らないと、咲月さんも弱みを見せられないんだ。 





 打ち合わせを終えて会社に戻り作業を開始したが、案の定終わりそうになかった。

 俺は時計を見た。17時半。

 咲月さんにLineをすることにした。


『もう帰れそうですか?』

 すぐに既読になった。

『今会社出ました』

 俺は少し考えて文章を打ち込んだ。

『すいませんが、駅前のクリーニング店でワイシャツの受け取りをお願いできませんか? 名前を言えば出てくると思います』

 ピョコンと嬉しそうなウサギのスタンプが踊った。

『分かりました。受け取っておきますね。明日も出張ですか?』

『そうです、受け取り、よろしくお願いします』

 了解です! と再びウサギスタンプが踊る。


 クリーニング店は家と逆方向の商店街にあるし、坂の下から荷物を持たせることになる。

 でもどうやら閉店に間に合いそうもない。

 昼間のことを思い出して、素直に頼んでみた。

 こんな小さなことでも「悪いなあ」と思ってしまうほど、俺は気が小さい。




 帰るとやはり23時を回っていた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 咲月さんがパソコンルームからピョコンと顔を出して、ワイシャツを手渡してくれた。

 包んであるビニールに絵が書いてある。


『身体にきをつけて頑張ってくださいね!』

 カワイイ女の子の絵……髪型と雰囲気から咲月さんを絵にしたのだろう。


「出張先で元気になれるように書いておきました。なんと3枚とも書いてあって動きます! 手がパタパタと。うーん無意味ですね」


 俺はどうしようもなくて咲月さんを抱き寄せた。

 咲月さんは俺の胸元でモゴモゴ動きながら

「ご飯食べました? 美味しいお茶漬けありますよ?」

 とほほ笑んだ。


「……咲月さん、すいません、明日から急遽出張で洗濯が無理そうで、食材も死にます。お願い出来ますか」

「わかりました。お洗濯しときますね。食材……何があるんですか? 私に何とかできる物です?」

「二階へ来てください……もう俺は動けない……疲れた……この仕事量は異常だ……」

「わー、めずらしく隆太さんが弱ってる。ほらほらスーツ脱いで。お風呂入りましょう? 寝ましょう?」

「辛い……もうヤダ……出張ばっかりだ……家がいい……」

「分かりましたから、せめて二階には自力で上がってくださいー!」


 明日も忙しい。

 その先も、たぶん当分忙しい。

 でも少しだけ、荷物を持ってもらおう。

 それだけで俺は動ける。

 咲月さんの絵が書かれているワイシャツを抱えてそう思った。


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