第16話 甘い秘密

「おはようございます」

「滝本さん、おはようございます。早いですね」


 俺が玄関で靴を履いていたら、丁度起きてきた相沢さんが、ぼんやりとした顔で挨拶してくれた。

 相沢さんにはパジャマという観念がない。

 曰く、部屋着=パジャマ=新聞の集金のおじさんに挨拶まで可能な服装らしく、ラフな姿で生活している。

 正直使い古したシャツとズボンでぼんやり歩いている相沢さんは可愛い。

 会社用のしっかりした姿もカッコイイけれど、それを知っているから尚、ぼんやりとした姿を貴重だと感じる。


「今日は定例会議で発表なんです」

「あ――今日定例でしたか。発表おつかれさまです」


 うちの会社は月に一度、社長や重役を集めた定例会議があり、そこで営業からデザイン、開発まで全て集まって報告会がある。

 今日俺は営業部署の発表を担当する日で、準備のために早朝出社が必要だった。

 

「また社長の長い挨拶ですね」


 と俺は靴を履きながら言った。

 うちの社長は某政治家の何を話しているのかよく分からない挨拶とよく似た話し方をする。

 『近年の業績悪化にともない、去年度の収益は減額となり、昨年度は赤字となった』みたいな話を延々とする。

 長く話しているが、結局赤字の話だ。

 会議室のモニターに資料を出して説明するので、部屋が暗いこともあり、5割の社員が寝ている気がする。

 ただ寝ている所を見つかると減給に直結するので油断はできない。

 相沢さんは、くはーとあくびをして


「私は社長の挨拶の間、ず~っと推しの妄想してます。推しのカケルがいて、後ろで『やれやれ』みたいな顔しながら仕事してるって設定なんですけどね。そうすると寝ないで起きていられるんですよ」


 とほほ笑み、では行ってらっしゃいですーと言い、タオルを抱えてお風呂のほうに消えていった。

 そういえば相沢さんは〇ベンジャーズ上映会の時に「私はうちの会社を〇ニースタークの〇TARK INDUSTRIESの子会社だと真剣に思い込んでますからね。実は会社で使ってるIDカードホルダーにはロゴ入ってますから」と見せてくれた。会社のパスで見えにくくなっていたけど、本当に書いてあって笑った。会社の支給品も黒だし、目立たないのだろう。

 アイドル関係の商品はすべて可愛い色で、イベント以外では使えないから、もっとシックな黒のものがあれば隠れて俺も使うのに……と思ってしまった。


 


「これ俺の分のデータ」

「了解」


 会社に着くと清川がもう居た。そして自分の担当箇所の原稿をメールで送ってくれた。あと三つほど集めれば終了だが、一人は何度言ってもデータが酷くてそのままモニターに出せない。

 だから手直しが必要になる。まあ一年前まで手書きだったので、それよりは進化しているがパワポを使える人に任せてほしい。

 パソコンを立ち上げて作業を始めると、横の席に清川が座って、高級店のチョコレートとマカロンを置いた。

 

「結婚おめでとう。人事の北村さんに聞いたわ」

「さすが清川。情報が早いな」


 俺は手を止めずに言った。先週人事に結婚の報告をした。税金的に必要で、それは必須だった。

 社内では他にも報告せず結婚している人は多いらしく、特に何も言われなかったが、さすが人事に内通している清川は早い。

 人事には転勤の話が一番最初に入る。だから人事の情報は営業にとって命綱だ。

 清川は椅子にアゴを乗せた状態で俺に聞いてきた。


「誰にも言わないから安心してくれよ。友だちじゃん、祝わせてくれよ。でもさあ、一つだけ聞かせて? 北村さんにバーターで頼まれた。いつから付き合ってたの?」

「一年くらい前から」


 これは相沢さんと話し合いの結果『聞かれたらこう答える』と決めていた。

 結婚の情報は遅かれ早かれ流れる。その時『上司が問題起こしてるから秘密にしてる』のは公然の事実なので、聞かれたら秘密にせずに言う事。

 そして一年くらい前から付き合ってたことにしときますかあ~と相沢さんは実に適当に言っていた。

 お互い共有の友人は居ないし、話がズレることもない。


「ふえ~。相沢さんか~。あんまり笑って話してるのとか見た事ないけど、家でもあのままなの?」

「あのままだよ」


 俺はテキストを打ち込みながら答えた。

 全くそうじゃないけど、家での素顔は俺だけが知っていればいい。

 可愛い相沢さんは、俺だけが知っている最高の事実だ。清川は

「まあ滝本も同じくらい暗いもんな。同じ感じか、うん」

 とか言うので俺は

「来月の新田商事のパーティー行かないぞ」

 と脅した。清川は大げさに姿勢を正して 

「あ~~すいません、冷静沈着と言い直します。滝本と相沢さんは冷静沈着カップル。うむ。誰にも言いません、はい」

 と席に戻って行った。

 新田商事の社長は将棋が趣味で、俺も実は将棋をそれなりにする。

 パーティーなのに、社長は俺と延々と将棋をしていて、その間に商談がまとまるのがいつものパターンなのだ。

 そう考えたらそろそろ詰将棋の本を開いた方がいいな……俺はスケジュールに入れた。



 会議が始まり、社長の挨拶が始まった。

 会社の一番大きな会議室を使って行われる会議は社員の7割が集められて暑い。そして暗い。

 担当者は前に出て話すシステムなので、俺もとりあえず後部に座っているが、もうすでに眠い。

 しかも今日は新たに始めたフードコート用の注文タブレット用部署を設立するにあたり、合併する会社の社長も来ている。

 これが二人とも話が長い。今日の午前中はこれで終わりそうだ。

 俺はiPadで今日の最終原稿を確認しつつ、話が終わるのを待つ。

 ふと顔を上げると、円卓挟んで反対側の一番奥に相沢さんが見えた。

 まっすぐに前に見て背筋を凛と伸ばしている。

 その表情は家で「ふあー」とあくびしていた顔とは別人のように美しくて、そのギャップがたまらない。

 何よりあの首にかかっているのが〇TARK INDUSTRIESのグッズで、今相沢さんは社長の秘書に推しがいる妄想をしていると思うと、たまらなく笑えて来る。

 俺は軽く咳払いをして、iPadに戻った。

 すると胸ポケットが揺れた。取り出して確認すると相沢さんからLineが来ていた。


『何こそこそ見てるんですか』


 バレてた。俺は口元を抑えて目だけ上げると、相沢さんが前髪を退けて蚊に食われた所を俺に見せていた。

 くっ……、ちょっと、何を……! 俺は口を堅く閉じて目を逸らした。 

 次の瞬間顔を上げたら、相沢さんは何事も無かったかのように、背筋を伸ばして凛としている。

 もうやめてほしい、笑ってしまう。再びLineが入った。


『発表頑張ってくださいね』


 顔を上げると相沢さんが目元だけで小さくほほ笑んでた。

 ああもう、そんな可愛い表情を会社でしなくていい。

 俺は『ありがとうございます』と素早く返した。

 いつもは少し緊張して社長の質問に困ることも多かったけど、今日は驚くほどスムーズに話せて、俺は安堵した。

 家に帰ったら貰ったチョコレートを一緒に食べたい。

 だったら都内で美味しいコーヒー豆を買って帰ろう。

 そう思った。

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