第66話 記憶の枷④


 「イッテェ……」


 俺が着地に失敗した地面には、そこだけ嫌がらせのように岩が剥き出しになっていた。


 その岩に強かに腰を打ち付けた俺はもはやおじいちゃんみたいにして立ち上がる。


 ザルサスでもこんな弱々しいところを見た事がないぜ。


「だらしないわね!転移くらいでずっこけてんじゃないわよ、ふたりとも!」


 ふたりとも?


 と、隣を見れば、いつもニコニコのシエルが珍しくふて腐れた顔で地べたに座り込んでいる。


「ブハッ!お前もしかして転んだの?」

「君だって似たようなもんだろ……」


 腰をさすっているところからして、俺と同じ岩にブチ当たったらしい。


 ウケる!!


「シエルでも鈍臭いとこあるんだな…ブフッ」

「それ以上言ったら今日のディナーはレオのトーストにする」

「え?ちょ、お前言ってることめちゃくちゃだが」


 目がマジだ…ヤベェ……


「大体、〈転移〉発動直前に飛び込んでくる方が悪い」


 ムスッとしたままシエルがイリーナを睨む。


 あの時点で、すでにシエルの中では使用する魔力を調整していたはずだ。それをとっさに改変し、イリーナまで同じ場所に転移させるのはなかなか技術がいる。


 さすが魔族と言えるが……一瞬でそんな高度な技術が使用されたなんて一切知らないイリーナは、ひとりドヤ顔だ。


「あんたたちが鈍臭いだけなんじゃないの」

「この女を今すぐ黙らせてくれ!!」


 これ以上笑ったら俺が八つ当たりされそうだ。


 とゆかそもそも、


「なんで俺が朝出るってわかったんだよ?」


 こんな事にならないように、イリーナには昼過ぎに出ると言ったはずだが。


「あんたがちゃんと午前中の授業に出るわけないでしょ」


 ピシッと人差し指を突きつけて言うイリーナに、俺はもはやため息しか出ない。


 普段クズな俺の言うことなんて、こいつははなから信用していないというわけだ。


「レオが責任持って面倒見て。僕はこの女とは関わりあいたくない」

「あたしだってあんたみたいな魔族と仲良くしようとは思ってないんだからね!?」


 おっと。俺は関わらないようにした方が良さそうだ。


 ところで、俺たちが〈転移〉したこの場所は、針葉樹がのっそりとそそり立つ山の中だった。


 足元の地面は所々岩が見えているが、苔むして湿っぽいところもある。夏間近のこの季節でも、豆粒みたいな小さい花がちょこちょこ生えている程度の、寂しい自然が支配する場所だ。


 ヴィレムスは山肌を開拓して棚田を作り、米を作って細々と生活する寒村だ。


 冬の厳しさはナターリア随一で、真冬になれば湖も凍りつくようなそんな厳しい土地なのだ。


 従ってここの集落に住む人々も、積もった雪すら舞い上げる寒風並みに冷たい。


「もう夏なのになぁ」


 ずっとこの地が寒いのは、ただの俺の思い込みだ。


 山を滑るようにして少し下ると、のっそりした木の家が見えて来た。


 集落の合間を細い水路が走り、山から引いた湧水が結構な勢いで流れている。水路が囲むのは、山間に無理矢理開墾した歪な形の棚田で、段々になった地形のあちらこちらに人の住む家と、農具や収穫した米を貯蔵する高床式の小屋が点在している。


 田植えも終わり、水を張った田んぼには、よくわからん細々した水生生物がいて、それを追いかけ回すカモがガーガー言っているのを聞くともなしに聞いて、俺たちは集落の中へと入った。


「ここ、なんてところ?」


 興味津々のイリーナが、田んぼに浮かぶアメンボを見ながら言った。


「ヴィレムスだ。イリーナの故郷とは真逆の、排他的な寒村だ」


 田んぼの様子を見ていた集落の人間が、あからさまに眉を顰めて俺たちを見ている。


 排他的と言ったのは、ここの人たちは余所者を嫌うからだ。寒村の厳しさ故に、他人を許容する心を失った可哀想な人たち。


 いつの日にか、俺はヴィレムスの人たちのことをそんな風に言った。


 そうしたら思いっきり頭を叩かれたのを、ふと思い出し、少し笑えてしまう。


「……なんで急に笑ったの?」


 振り返ると、俺の後ろを歩いていたイリーナが、まるで気持ち悪いものを見るような顔で俺を見ていた。


「思い出し笑いだ」

「キモい」


 イリーナは俺の精神をポッキリ折るためについてきたんだなと思った。


 棚田を突っ切り、集落で一番高いところにある家へと向かう。


 イリーナは相変わらずキョロキョロしているが、シエルはぬかるんだ地面に足を突っ込んで舌打ちをこぼしながらついてくる。


 たどり着いた家は、ほかの家と大差ないこじんまりとした木造の家で、俺はその玄関をノックもせずに開けた。


「ばぁちゃん!!俺だ!!」


 ドアを開けつつ叫ぶ。そうしないと聞こえんかもしれんからな。


「じゃかーしいわっ!!聞こえとるわい!!」


 怒鳴り返されたぜ。


「ばぁちゃん…って、レオのおばあちゃん?」


 イリーナがポカンと大口をあけて、家の中にいたババアを見やった。


 ババアはものすごい円背で、杖がないと歩けない妖怪みたいな見た目で、シワとシミが生きた年月をありありと浮かび上がらせる顔が特徴的だ。その割に、死神も逃げたくなるような鋭い眼をしていて、未だにボケていない。きっと死ぬまでボケない。


 いつも通り夜寝て、朝気付いたら死んでいそうな元気なババア。


「わしゃこやつのおばあちゃんではない!」

「す、すみません」


 あまりの勢いの強さに、イリーナもタジタジだ。


「ばぁちゃん、久しぶりだな。いつ死ぬんだ?」

「お前さんより先に死ぬ気はない」


 俺はまだ16なんだが。どう考えてもババアが先に死ぬだろ。


 ババアはぶつぶつと文句を言いながらも、俺たち三人を家に入れてくれた。


 家の中は他のどの家も同じようなものだが、丸テーブルに椅子が何脚かあり、奥の角には薪のストーブがある。その隣には無理矢理くっつけたみたいなキッチンがある。


 薪ストーブとは逆の端には、奥へ続くドアがあり、そこがババアの寝室だ。


 玄関ドアの横には梯子があり、二階へ続いている。


 ババアは曲がった腰を物ともせずに動き、キッチンで薬草の匂いがする茶を入れてくれた。俺たちは椅子に適当に座ってそれを受け取る。


「わしの倅はどうしとる?」


 ババアが同じく椅子に座ってポツリと言った。


「ザルサスは相変わらずタヌキやってる。元気に」

「そうかい。そりゃあなによりじゃ」


 するとまたイリーナが口をパクパクさせてから言った。


「ちょ、ちょっと待ってよ!ザルサス様がどうしたの?っていうか、ここに何しにきたの?いい加減に説明しなさいよ!!」


 やれやれ。これだから女を連れて出かけるのは嫌なのだ。


 いつだってギャーギャー喚いてうるさいったらない。


 飲み屋のねーちゃんは、その点しっかり弁えている。余計なことは聞かない。必要以上に騒がない。


「落ち着けイリーナ。このばあさんはザルサスの母親だ。ヴィレムスは俺の育った集落で、ここはばぁちゃんとザルサスの家。ザルサスに拾われた俺が6年ほど世話になったところでもある」


 もちろんシエルには話してある。シエルと知り合った頃、一応俺はまだここに住んでいたからだ。


 実際に連れてきたのは初めてだが。


「ザルサス様の、お母様?じゃあ……」


 イリーナがギョッとするのも無理はない。


 ザルサスの年齢を考えると、このババアは100歳近い。それでもこの厳しい集落で一人暮らしをしているのだから、それはババアが妖怪である立派な証拠だ。


「ばぁちゃん、このうるさい女はイリーナだ。こっちの胡散臭い奴はシエル」


 一応紹介してやるが、ババアはとことん興味なさそうだった。


「それでお前は突然ここに何をしにきたんじゃ?」

「ちょっとな」

「誤魔化すでない。お前が帰ってきたってことは、ここによからぬことが起こるからじゃ……いや、お前がよからぬことを持ち込んだか」


 酷い言いようだが、今更そんな事にいちいち反応したりしない。


「残念だが、今回は俺がこの集落を守りに来た」


 そう言うと、ババアはふうっと息を吐いた。


「どうでもよいわ……しかし、お前がこの時期にここへ来るとは……」


 ババアの鋭い目が俺をまっすぐ見つめる。


「アイリーンには、もう会うたか?」


 驚いた事に、その名を聞いても俺の心臓はまったく反応しなかった。


「いや、まだ会ってない」


 月日の流れとは、無情に過ぎていくのだと改めて感じた。

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