第64話 記憶の枷②


「ダミアン……私は長い間魔術に関する研究をして来たが、まさか詠唱も魔術名もなく、イメージを言葉にしただけで発動する現象を初めて見た」


 隔離された部屋の外。分厚いガラス越しにレオの姿を見ていた。


 たった一言。


 彼が何を考えているのかは、ダミアンにもわからない。


 その部屋を一瞬にして駆け巡る淡いオレンジの炎は、強烈なインパクトを与えるわりに、とても繊細で優しい。


「僕もだよ。こんなに素晴らしい魔術は初めて見た」


 魔術師は常に限界と戦う生き物だが、こと彼に関しては、限界なんて存在しないのではないかとさえ思わせる。


「魔力供給量は安定していますし、これなら封魔に左右されなくても固有魔術が使えるんじゃないですか」


 モニター越しに数値を測定していた若い魔術師が、楽観的な態度で言った。


 確かにこの安定した状況が続けば問題ないだろう。


 しかし実際の戦闘において、単一魔術だけの使用で敵を殲滅できるという保証はない。


 過去のレオの任務データから、彼がいくつもの属性魔術を連発していたことがわかる。それは、固有魔術によってどんな属性もイメージだけで同等に扱う事ができるからだ。


 彼の本来のポテンシャルを発揮させるには、固有魔術の連続使用ができるまで精度を上げる必要がある。


「レオンハルトさん、そのままもう一度固有魔術を使用できますか?」


 実験は新しいことに挑戦していかなくては進歩しない。


 賭けではあるが、ダミアンにはレオにそう指示するしか方法はない。そして、無理だったならばまた原因を探り、改善していくしかない。


『ん。やってみる』


 隔離された部屋から、無機質なレオの返答が聞こえた。


 それから、彼は少し目を閉じる。何かを思い出そうとしているような、悩まし気な表情だった。


『〈凍らせろ〉』


 一言呟くような声が聞こえた。


 その次の瞬間には、部屋を漂うように赤く照らしていた炎が、そのまま氷の中に閉じ込められる。透き通った氷の中の炎が消える事はなく、逆に炎の熱が氷を溶かすこともない。


 他系統同時展開だ。レオは今、二級魔術相当の魔力を固有によって属性変換し、詠唱も円環もなく維持している。


 四元素で言うところの相殺関係にある炎と水だが、レオの固有魔術によってただ美しい天然のランプのように部屋を照らしている。


 レオには、そのイメージの元になる記憶があるのだろう。


「これでまだ、本来の魔力量のほんの僅かしか使用していないのだから、『金獅子の魔術師』の人間離れした才能がよくわかりますね」


 研究者である魔術師が、感心したように言う。


 ダミアンはそれを、グッと奥歯を噛み締めて聞いていた。


 この研究所の者たちには知らされていない。ダミアンだけが知っている。レオはその為に産まれてきた魔術師であることを。


 そう考えていた時だった。


「ダミアン、ちょっとマズイかも」


 若い魔術師が控えめな声を上げる。


 その言葉が終わると同時に、実験室の中でレオが苦し気な呻き声を上げた。


「レオンハルトさん!大丈夫ですか!?」

『ぅぐ…問題、ない』

「いや、今すぐ中止してください!」


 レオが頷いて魔力供給を中止する。彼は気付いていないようだが、封魔によるアザが首や手首にまで及んでいる。


『ゲホッ!!』


 魔術の効果が消えると、苦し気に胸部を抑えたレオが実験室の床に膝をつく。


 吐き出したのは真っ赤な血液だ。


 急いで実験室の中へ入る。ハアハアと息を吐くレオに手をかしてそこから出ると、空いていた椅子に座らせる。


「途中までは問題なかった」


 レオが苦痛に顔を歪めながら呟く。途中まで、ということは、やはりあの薬は封魔を完全に抑えるにはまだ及ばず、遅延させて影響を抑える程度の効果しか発揮されていないということだ。


 それでも、模擬戦の際に使用したものより僅かにでも進歩しているのだから、やはりレオ本人に試してもらって改良していくしかない。


 禍々しい黒いアザが覆う肌は青白く、魔力を大きく消費した事によって小刻みに震える指先が痛々しい。


 レオがやると言っているのだから、ダミアンはそれに従う。それが彼を、このレースから離脱させない為の方法だ。


 複雑な心境ではあるが、ダミアンは魔術師であり、それはどこまでも冷徹であることを意味する。


 結局、ダミアンはもしレオが辞めると言っても、無理矢理にでもこの実験を続けるだろう。


 当初の予定通り、人類を魔族から救う為にそれは必要な事だとダミアンは疑いもしない。







「兄様、お客様です」


 ヨエルが感情の乏しい口調と表情で言った。それ自体はいつもの事で、兄のシエルとは違いヨエルにはまるで感情というものが欠落しているように見える。が、それは表現されないだけであって、感情がないわけではない。


「お客様?」

「うん」

「ヨエル、お客様とだけではわからないよ。ちゃんと名前と用件を聞いてくれなくちゃ」


 書き物をしていた手を止めて、シエルは幼い妹へ向き合う。そこはシエルの書斎であり、入ることを許可されているのはヨエルだけなので、必然的にヨエルがしっかり伝達してくれなくては困るのだ。


「でも、そのお客様がどうしても早く兄様を呼べって」


 シエルは頭を抱えたくなった。彼は自分の予定を他人に変更されることを嫌う。レオに言わせれば神経質で面倒な性格の持ち主だった。


「仕方ないな」


 そう言って、シエルは一呼吸おいて立ち上がる。うるさくて細かい長老たちへの親書を書き上げたかったが、とんだ邪魔が入ってしまった。


 ヨエルを引き連れて書斎を出ると、そのまま客間へ向かう。シエルの城であるそこは、人間的な様式美に溢れたまさに城そのものの造りとなっているが、人間の多くがそうするような調度品の類はあまりない。


 無駄を嫌うシエルは、絵画や花瓶なんかのごちゃごちゃしたものを好まない。


 廊下の先の客間の扉は半分ほど開いていて、それは単純にヨエルが閉め忘れたのだが、そこから中にいる人物の気配を探る。


 荒く禍々しい膨大な魔力は、魔族特有の嫌な気配を醸し出していて、こういう突然の訪問を嫌がらせのようにするのはレオくらいだと思っていたシエルは、内心少しがっかりしてしまう。


「すまない、待たせた」


 客間に入ると、簡素なその部屋に金色の長い髪を無造作に一つにまとめた男がいた。


「久しいな、シエル」


 窓の外を眺めていたその男が振り返る。


「ジェレシスか。僕に何か用?」


 正直一番会いたくない相手だった。


 この男は、レオの腕を無理矢理引き千切り、噛み付くような男だ。それを、シエルは許してはいないし許すつもりもない。


「そんなに睨むなよ…これだからお貴族様は怖いよなぁ。オーラがあるって言うか、なんかこう、他のボンクラ魔族とは格が違う」

「お世辞を言いにきたのなら帰ってくれないかな」


 あくまでも笑顔のシエルだが、言葉の端々には隠しきれないイライラが読み取れる。


「まあそんな怒るなよ。俺は別に、ただ遊びに来たわけじゃないんだぜ」


 そんなシエルを気にもせず、ジェレシスは楽しそうに笑いながら言う。


「なら早く用件を言って帰ってくれ」

「単刀直入にズバリ言うが、近々俺のバカな部下達が食糧調達の為に人間を捕獲しに行くそうだ」


 なにも珍しい話では無い。魔族は人間を文字通り食うし、シエルもそういう種族だ。ただ、食の好みは大きく違っているが。


「それだけ?」

「いや。そんなありふれた話のために、わざわざこんなところまで来るわけないだろ」


 小馬鹿にしたような物言いに、シエルの怒りは限界に近い。今、うまく笑顔を保っているのかも正直わからない。


「その標的の村が、北部の山村…確か”ヴィレムス”という村だ」


 瞬間、シエルの笑顔は完全に消えた。


「その村には、特別な固有を持った人間がいるそうだ。そいつを食えばその力が手に入ると部下たちは話していた」


 特別な固有を持った人間。


 シエルはその話を知っている。以前レオから聞いていたからだ。


 そしてもうひとつ、ヴィレムスは、レオの育った地だ。


「それを僕に話して、どうしたいのかな?」


 仮にも自分の部下の行動を、仲間でも無いシエルに伝える意図はなんなのか。


「特に何も考えてはいないが、お前に伝えておくと、レオの耳にも入るだろう?」


 その通りだ。現に今、シエルは早くレオに伝えなければと考えている。


「なぜレオに直接言わない?」

「そんなこと出来るかよ。俺はあのガキの腕もぎ取ってやったんだぜ?顔を合わせた瞬間に殺し合いが始まっちまう」


 それに、とジェレシスは続ける。


「フェリルに直接出向くのは、俺にとってもリスクが高いからな」


 その言葉に、シエルは訝し気な表情を浮かべるが、ジェレシスは気付かないフリでやりすごす。


「んじゃあ、俺はちゃんと伝えたからな。今度会ったら向かってくる前に礼でも言えと伝えておいてくれよ」


 ジェレシスはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、〈転移〉で客間から消えた。


「あいつ、人の城で〈転移〉するのはマナー違反だって知らないのか」

「兄様、そんなこと、今はどうでもいいのではないですか」


 少しズレたシエルの発言に、ヨエルは無表情で言う。


「どうでもいいが、どうでも良くない。僕はルールに厳しい魔族だ」

「……」


 レオがこの城に来ないのも、兄が変に神経質だからなのだが、シエルはその事に気付いてはいない。


「ともかく、僕はレオのところへ行ってくる。ヨエルはお留守番を頼むよ」

「……はい」


 自分も行きたい、と言い出せる雰囲気ではなかった。それくらい、兄の顔に張り付いた笑顔にはゾッとするものがあった。


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