第63話 記憶の枷①


 それは幼い頃の記憶。


『またやっちゃったの?』


 青味がかった黒い髪の色白の女性が、腰に両の拳をあてて見下ろしてくる。


『あなたは特別な力をもっているのだから、それに相応しい行いをしなくてはダメよ』


 逆光でよくは見えない。ただ、彼女がとても怒っていることはわかる。


 なんて答えようと悩んでいると、その人は俺に片手を差し出して来る。


『ほら、クヨクヨしてないで謝りに行こう?ついていってあげるから』


 そこで俺は多分、「なんで俺が謝らなきゃならないんだ?」と言った。


『力のある人が、傲慢になってはダメ。自分の非は自分で認めるの。そして、次はどうするか考えるのよ』


 優しい声音。


 北部の柔らかい夏の風と歌うような声に、俺はその手を取って立ち上がる。


『魔術は芸術よ。決して人を傷つける為にあるものじゃないの。あなたはそれを、ちゃんとわかってるでしょ?』


 でも、俺はこの力で人を傷付ける事しかしていない。


『それはあなたがまだまだ未熟だからよ。いつかその力で誰かを守ることができる。そうして守った人が沢山になれば、あなたの居場所はきっとそこにある』


 俺が誰かを守るなんて、そんなこと出来ない。傷付けるばかりの俺は、魔族とかわらない。


『あははっ、あなたの言う魔族って、まあ、確かに人を食べちゃうけれど……でも、そんな魔族ばかりでもないかもしれないよ?あなたには力があるのだから、他の人が知らない魔族の事も知ることができるかもしれない』


 魔族の事、信用してるの?


 そう尋ねれば、彼女はまた笑う。


『あなたよりは、知っているけれど、あなたの方が知れることも沢山あるよ。魔術を使う者は、きっと誰でも分かり合えるから』


 変なの。


『あなたのその力で、今まで誰も知り得なかった事を沢山知って、わたしに教えてね』


 なんでだよ?


『わたしにはそんな暇はないのよ。こうしましょう。あなたはこれから色んなことを学ぶでしょう?それで、あなたの知識がわたしの知識を追い越したらあなたの勝ちよ』


 意味がわからない。


『あなたがわたしに勝った時、それはあなたが強くなったってことよ。わたしよりも、父よりも。逆にわたしを超えられなければ、あなたはずっと半人前ね』


 そんなの、俺がすぐに勝ってしまう。


『無理ね。わたしには固有魔術があるの。あなたと同じだけれど、全然違う。それはーーーーよ。だからあなたは、わたしに簡単には勝てない。多分ね』


 ズルいって、そんな固有魔術。


『じゃああなたはズルくないの?あなたの固有魔術は、誰にも真似できないわ』


 そうだけど……


『ほら、男らしくわたしと勝負しなさい。あなたがわたしに勝つのに、何年かかるかしらね』


 彼女は楽しそうに笑う。俺は逆に、全然楽しくない。


 だって勝てないからだ。


 それならいっそ、ずっと半人前でもいい。ずっとここで、彼女といられるのならそれでいい。


『ほら、ついたよ。ちゃんと謝ってきなよ?今日の晩ご飯抜きにするよ?』


 わかったよ……でも、また喧嘩になったら止めてくれよ?


『そうはならないわ。あなたは今日、ちゃんと謝って、わたしと美味しい鹿肉のステーキを食べるの。多分』


 多分って……まあ、いいや。


 それで俺は、彼女の言う通りにした。


 いつも彼女は俺の前にいて、少しのアドバイスをくれた。


 彼女のアドバイスには、必ず最後に『多分』とつく曖昧なものだったが、俺はそれに何度も何度も助けられた。


 それは懐かしい、北部の農村での記憶だ。







 数日後には夏休みを控えたある日のことだ。


「魔力のみによる属性変換について、考察できるものは挙手してください」


 授業中、担任の先生がなかば諦めたように言った。


 それもそのはずで、その内容については知っているものが少なく、協会の魔術師でもよくわかっていない奴が多いからだ。


 そもそも、詠唱による魔術の発動は属性変換も詠唱に委託してしまっているのだ。この言葉を入れるとこうなる、というセオリーがプロセスの中に組み込まれている状態で魔術を使っている。それが今の魔術師だ。


 魔術名による魔術の発現を提唱した魔術師は偉大だが、同時に効果の範囲を限定するという愚策を提唱したことにもなる。


「誰もいません?先生は別に、正解を知りたいわけじゃないんです。みなさんの自主性といいますか、想像力を確かめたいだけであって…そもそもこの問題に正解はないのですから、気軽に手を挙げてもらってもいいのですが……」


 担任が申し訳なさそうに言う。それで、クラスメイトたちはさらに無言を貫く。


「なら、先生が当てますね。何でもいいので言ってください」


 そうなると、当然クラスメイトたちは一様に下を向く。そりゃそうだろう。誰も当たりたくはないのだから。


「じゃあ……レオくん、ごめんね?もう思いついたものでもいいから、先生を助けて」


 窓の外を眺めていた俺は、やっぱりかと思った。


 この担任は、何かと俺に振ってくるのだ。それがクラスの平穏を守るとでも信じているかのように。


「魔力のみによる属性変換は、詠唱文を一切使用しない魔術の発現だが、それはあまり有効な手段ではないとして今では使用する魔術師は少ない」


 仕方ないなぁ。


「それでもできないわけではなく、魔力を持って産まれた人間とそうじゃない人間では脳の構造的に違う部分がある。その構造をもって、魔力を使い詠唱に使用していると言われているが、詳しくは俺もまだ知らん」


 魔術の発現は、詠唱が魔力を使用するのではなく、魔力が詠唱を使用している。魔力が先に来るものなら、その発達した脳の領域によって魔力のみで魔術を発動することが可能であるということだ。


「魔力の使用に不可欠な想像力を司る脳の領域を最大限に活かせれば、想像のみである程度魔力の属性変換と使用が可能と言われている」


 前に俺が指から火を出したやつがまさにそれだ。


 必要なのは多くを知り想像し、創造できることだ。


「ま、普通の魔術師には無理だ。産まれた時から詠唱に頼りきり、多くを学ばないからな。指先に火を灯すのが限界だ。正解がないってのも、できない奴が多すぎてそう言わざるを得ないからだ」


 そしてこの問題には、すでに答えが出ている。


 必要なのは魔力量。想像を創造するに足る莫大な魔力量を持つ魔術師には可能。


 俺が実証しているようにな。


「先生は、君が天才なのかなと思ってしまうよ」

「天才ではなくて秀才と言って欲しいところだ」


 そこで苦痛の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 クラスメイトたちがあからさまにほっとして息を吐く。


「じゃあ、今日はここまでにします」


 先生が簡潔に挨拶して教室を出て行く。


「レオはなんでそんなに色々知ってるんだ?」


 クラスメイトたちがさっさと教室を出て行く中、ユイトが改まった口調で聞いてきた。それに、イリーナとリアも興味を示す。


「特級魔術師はそれくらい知ってる」


 と言ってから、バリスの顔が浮かんだ。あいつの脳味噌は筋肉で出来ているから少し疑わしい。


「レオは……最初から特級魔術師になろうと思っていたのか?」


 どんな質問も知らないこと以外答えてやることはできるが、これは予想外な質問だった。


 特級魔術師である俺に興味を持つものは多いが、それ以前の俺を知ろうとする者は少ない。


「いや。実は特級になろうと思ったのは、シエルと知り合ってからだったから…6年前かな」

「え、じゃあそれまではどうしていたんだ?その…特級って事は、レオにも固有魔術があるんだろ?」


 ユイトの表情は険しかった。


 まるで見えない傷を庇うような、逆にそれを暴くような、遠慮しているようで興味を示しているような、そんな感じだ。


 というのも、特級魔術師は固有魔術を持っている奴が多いけど、そのせいで幼少期にあまりいい思い出がない奴が多いからだろう。


 例えばペトロは、子供の頃に両親に自宅監禁されていたそうだ。


 触れる者全ての情報を得てしまうアイツは、周りの人間からすれば脅威だった。そんな境遇で、愛着形成が正常に完了しなかったペトロに貞操観念が生まれるわけもなく、あんなチャランポランな大人になってしまった。


 出会い頭に同性にベロチューかます奴など、確かに人間としてどうかしている。


 同情はするが、あまり近づいて欲しくもない。色々な意味で怖い。


 そういう、一般的に言われている固有魔術を持つ者の境遇は、悲惨なものであるというイメージが強く、ユイトもそれを想像しているのだろう。


「バカだな。俺がもし変な育ち方してたら、こんなとこでピクニックやら模擬戦やらやってねぇよ」

「それもそうだな……」


 妙に納得したようなユイトに対して、イリーナとリアは複雑な表情だ。


 多分、俺がザルサスの養子だと言ったからだろうが、養子が全て不幸なわけでもない。


 ただ単に産まれた環境の問題であって、実の両親の間に産まれてもペトロみたいな境遇の奴だっているわけだ。


「気にしてもらうのは有り難いが、お前らに他人を気にしている余裕もないだろ」


 そう言うと、3人が3人ともビクッと肩を震わせた。


「またテストか……」


 またと言っているが、実に四ヶ月ぶりのテストだ。


「夏休みに入る前に、実力テストだってな。赤点とったら夏休み無しだっけ?まあ、凡人は凡人なりに頑張れよ」


 3人が頭を抱えて唸る。ドンマーイ!!


「どうしたら教えてくれるの?」


 イリーナが懇願するように言った。上目遣いで、必死そのものだ。


「んなの決まってんだろ。俺の時間を金で買えよ」


 おっと、脛キックはそう何度も喰らわないぜ!!


「あんたねぇ!!」

「なんだよ?俺はまだ良心的だと思うぜ。教えてやらないとは言ってないんだからな」


 ぐぬぬと唇を噛むイリーナに、リアが落ち着いてとなだめにかかる。


「この、クズ!人でなし!あたしはあんたみたいな魔術師になんかならないもん!」

「その前に学院を無事に卒業できるといいな」


 じゃあな、と言って俺は教室を出た。


 クズと言われても結構だ。


 なぜなら俺には、やらなければならないことがあるからだ。


 







 学院から直接向かった先は、フェリル郊外の研究所だ。


 第二研究所と呼ばれるそこは、住宅街の一角のただの一軒家みたいな場所の地下に存在する。


 もともとフェリルは古くから魔術研究の都市として栄え、そのまま王政崩壊とともに首都となった街だ。


 そんな歴史もあるから、この街には未だに古い研究所がいくつか残り、そのまま稼働され続けている。


 特級魔術師とはいえ、その全容を把握する者は少なく、俺もまた噂程度にしか聞いたことがなかった。


「レオンハルトさん、お待ちしてましたよ」


 隠し階段を降り、魔術的な結界を抜ける。


 無機質な白い壁と床、薄暗いその場所は、元々アイザックの研究所だった。研究所といっても、部屋数は三つだけで、メインルームと実験室、資料室しかない簡素なところだ。


「やめろよ、仰々しいな」

「いやあ、だって、本当に待っていたんですよ」


 何に使うのかよくわからない装置や液体、それらを眩しく照らす円環が並ぶ室内。薄暗さが余計に、自ら発光する円環を目立たせている。その部屋には、ダミアンを含め研究専門の魔術師が数人いる。


「待ってるも何も、昨日も来てやったろ?」

「そうですが。検体は新鮮なうちが一番なんですよ」

「うわあ、キモっ」


 そんなダミアンが差し出してきたのは、模擬戦の時に渡されたのと同じ小瓶だ。その中では真紅の液体が揺れている。光源の少ない室内で、それは妖しく光る。


「昨日レオンハルトさんが提供してくださった血液を使いました。これで魔術展開領域を増強して、封魔の枷が及ばない領域での魔術行使ができるはずなんですけど」


 要するに、想像を司る脳の領域で直接属性変換してしまえば、詠唱から円環構築までに及ぶ封魔の呪いをショートカットできるということだ。


 魔術名での魔術使用より、プロセスが半分になるから、封魔の影響を半分にできるという、まだ仮説段階の話だ。


「これで、模擬戦の時と合わせて十回目の挑戦ですけど……大丈夫なんですか?」


 ダミアンが心底心配気に言った。こんなことを考えて、それを実行しているのにも関わらず、ダミアンは本当に心配しているようだった。


「やんなきゃ、もしこの先強力な魔族が現れた時に、俺はなにもできない。ジジイが素直に封魔解いてくれたらいいんだがなぁ」

「それは、そうですけど。でも、ザルサス様はただの仲介ですよ」

「ジジイが一番気にしてること言うなよな」


 俺もダミアンも、何をしているのかを知られたらタダじゃ済まない。


 封魔で魔力を抑えた意味が無くなってしまうし、そうなると俺を殺したい奴は更に焦るだろうからだ。


「やるならさっさとやろう」


 研究所の奥、どの部屋よりも分厚い壁と扉で覆われた実験室へ入る。魔術的な防壁を内側に展開してはいるが、俺が本気を出せば簡単に壊せそうだ。


「んじゃ、始める」


 分厚いガラスの窓越しに、ダミアンがひとつうなずいた。


 俺は小瓶の中の赤い液体を、なんの躊躇いもなく飲み干す。やっぱり味はない。身体に変化もない。


 ただ、これと似た状況を知ってる。既視感というか、古い記憶のような……


 だけど、思い出せない。


 まあいいか。俺たち魔術師は、普通の人よりも多くの知識を頭に詰め込んでいるし、魔術使用のプロセスに沢山の脳の領域を使用しているのだから、思い出せないことの一つや二つあるはすだ。


 だから気にしない。


 自分の事よりも、知識を得る事が俺の望みだからだ。忘れていい記憶なんてそんなもんであって、新しい知識に場所を開けるだけのものだ。


『レオンハルトさん、前回の実験から、無詠唱魔術名のみの発動はできていました。使用魔力量は、完全詠唱時の3分の1程度。これなら、あなたの固有魔術も使用範囲内なんじゃないかと』


 スピーカー越しにザラザラしたダミアンの声がする。


「わかった。じゃあ、遠慮はしない」

『はい、どうぞ』


 模擬戦の時は、危うく死にかけた。固有魔術発動の使用魔力量を完全に失念していた。


 だから、今回は少し控えめにする。


 そう、ただ冬の日に焚きつけた薪のように。控えめだけれど、暖かく包み込むような真っ赤な火だ。


「〈燃えろ〉」


 俺が一言言えば。


 それは起こる。

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