第40話 拠点奪還作戦③


 翌日、目を覚ますと、ピニョが浮かない顔で荷物をまとめていた。小さなトランクケースに、当面の着替えと、遠出に使ういつもの物品を詰めている。


「レオ様、おはようございます……」


 明らかに元気がなかった。


「お前はついて来なくてもいいぞ」

「行きます。ピニョがいないと、レオ様はすぐに怪我をして動けなくなりますです」


 全く信用がないが、その通りなので否定はしない。


「ピニョはイラついていますです。なんですか、命令って。今はレオ様は学院の学生なんです。そんなのおかしいです」

「おかしいことがおかしくなくせるのが権力者なんだ」


 協会をクビになった俺にまで話が回ってくるのだから、余程切羽詰まっているのだろう。


 特級の頃は、わりとなんでも命令と言われるまでもなく受けていた。


 単純に俺にはそれくらい余裕だという自信も力もあったからだ。


 今はどうだ?


 魔族一人倒せるかどうかもわからない。


 もちろん、死ぬ気でいけば話は変わるが、文字通り死ぬだろう。


「いざと言う時は逃げましょう、レオ様。ピニョはどこまでもレオ様についていきますです」

「ああ、そうだな。俺はクズだから、いざとなったら逃げるのもアリだ」


 ピニョがぎこちなく、だけどハッキリと笑った。俺の味方がひとりでもいる。それで十分だ。


「さて、行くか」

「はいです」


 たった一ヶ月ちょいだが、学院は悪くなかった。


 戻って来られる保証はない。だが、もともと殺伐とした魔術師の世界に足を踏み入れている身としては、こういう覚悟は慣れたものだ。


 ピニョの手を握って唱える。魔族の待ち構える東部へ。以前行ったあの場所へ。


「〈天の理、地の理、我らを阻むものなし:転移〉」


 見慣れた宿舎の風景が霞む。ボヤけた視界が気持ち悪くて、俺はいつも目を閉じる。


 封魔による痛みを感じながら、しかし少しずつ慣れ始めている自分に驚いた。


 このまま痛みになれ続けていたら、いつか取り返しのつかないことになるな。


 そう思いはしたが、周りは俺を放っておいてはくれないらしい。


「ゲホッ、あー、いってぇなあもう」


 口元に溢れた血液を拭いながら目を開ける。転移は出来るが、やっぱりダメージが大きい。


 命令で明日にでも合流してくださいと言われたら、転移を使うしかない。まったく人使いの荒い女元首だ。


 ピニョが俺の手を繋いだまま、あたりをキョロキョロと見廻している。


「レオ様、この森は?」

「パーシーの森だ」


 昔々、パーシーという魔術師がいて、そいつが固有魔術を暴走させてできたのがこの森だそうだ。本当か嘘かもわからないほど昔の話らしいが、確かにこの森には魔力の残滓が漂っている。


 薄暗い森林の頭上からは、僅かの木漏れ日が地を照らし、湿度の高い青い匂いが何故かとても懐かしい気分だ。この森に来るのは、これで二回目なんだが。


「なんだか落ち着く森です。ピニョは老後はここで暮らしたいです」

「随分と気が早いな」

「それくらい居心地がいいです」


 人間よりも余程魔力の恩恵を受けているドラゴンはこの森の力がわかる。


 同じように、魔族がこの辺りに多いのも、この森の魔力に惹かれているからだ。


「行くぞ、ピニョ。まずはナターリア兵と合流しよう」

「はいです」


 鬱蒼と茂る草木と、苔で覆われた道を転けないように気をつけながら進む。


 しばらく歩くと、ガヤガヤと騒がしい人間の声が聞こえてきた。森の中に不釣り合いな下卑た声だ。


 ナターリア兵は、まるで森に擬態するかのように、草木の間に野営地を作っていた。大体100人に満たないくらいの兵たちの中に、ぱっと見魔術師は5人しかいない。


 それも、せいぜい二級魔術師だ。


「出し惜しみでもしているのか」

「それでも、いきなりレオ様にこんなお話が来ることが変です」


 確かに。俺よりも適任が、特級魔術師の中には何人でもいる。わざわざ弱くなった俺を前線に投入するのは、その裏に何か思惑でもあるのかと疑いたくなる。


「誰だ、てめぇ?」


 森に擬態した野営地に入ると、近くにいた数人の兵士が剣を抜いた。中には槍を構える奴もいるが、失礼ながら隙だらけだ。


「ルイーゼから命令を受けて来た魔術師だ。ここの指揮官はどこだ?」

「魔術師?お前が?」


 一番近くにいた大男が、剣を片手に眉を潜める。そいつだけは、唯一剣の腕がたちそうだ。構え方に隙がないし、剣を自身の腕の一部のように扱っていることがわかる。あくまでぱっと見だが。


「そ。レオンハルト・シュトラウス。『金獅子の魔術師』っていやわかんだろ」


 今回はルイーゼが『金獅子の魔術師』として命令を出したから、機密云々は関係ない。だから素直に名乗っておく。


 ところで俺は団体行動が苦手だ。特に任務での団体行動の経験は、ほとんど無いと言ってもいい。


 俺の存在を秘匿したい協会側の思惑からだ。『金獅子の魔術師』は、存在さえ明確であればそれで国民は安心する。実際の顔など気にしない。


 団体行動の経験がないのは、そういう理由だ。


 苦手な理由は単純明快。巻き込んでしまうからだ。


 有象無象の魔獣の大群の中に、人間という有機物を見分けることはとても難しいんだ。


 そういうわけで、俺の顔はあまり知られていない。だから必然的に疑われる。いつもの事だ。


「『金獅子の魔術師』!?ウソだろ」

「こんなところでウソをついて俺になんのメリットがあるんだ?」

「魔族かもしれない」


 誰かがアホな事を言う。経験上俺が魔族なら、こんなに悠長に話をする事はない。見つけた時点でバァーンだ。


「どうしたら信じる?ここら一帯を焼き払おうか?大洪水で押し流そうか?雪でも降らせてやったら満足か?獰猛なドラゴンでも呼んでやろうか?」


 そう言ってピニョを見やると、俺の隣でフンスフンスと鼻を鳴らしている。ピニョの精一杯の獰猛表現だ。おい、誰か笑っただろ?俺も内心笑った。


「もちろん魔族にもそういうのができる奴もいるが、俺が魔族ならすでに実行してる」


 ちなみに昔の俺はそうやって幾つかの地形を変えたが、今の俺には無理だ。


「っ、それもそうだな…魔族なら話はできない」


 大男が険しい顔で俺を睨みながら、納得したのかなんなのかひとつうなずいた。


「ついて来い」


 大男は剣を納めると、周囲の兵士も武器をしまう。こいつはどうやらリーダー格らしい。


 大男はジゼルと名乗った。捨て子だったから苗字は無いらしい。


「おれはここで大隊長をやっている。兵士になって20年経つが、お前ほどの子どもが魔術師として前線に来るのを見るのは初めてだ」


 野営地を突っ切って歩く途中、ジゼルが頼んでもいない話を始めた。


「兵士には食い扶持を求めて志願してくる奴が多いが、16歳に満たない子どもは前線には来ない。魔術師は人が足りていないようだな」

「魔術師にも質があるんだ。俺くらいになると、年齢はサボる理由にしてもらえない」


 成長期なのに、ゆっくり寝るまも無かった。身長が伸びなかったら協会を訴えてやろうと思ってる。結構ガチで。


「ハッハッハ!『金獅子の魔術師』は、なかなか面白いやつのようだな」


 ジゼルは体格に似合った大きな声で笑い、近くの兵士が飛び上がって驚いていた。


「俺は面白く無い。はやく終わらせて帰りたい」

「奇遇だな、おれもだ」


 そうこうしているうちに、周りのものより一回り大きなテントについた。これもまたうまく森に擬態している。中から声が漏れているが、魔術師たちだろう。


「失礼します。『金獅子の魔術師』と名乗る男が、」

「入れ!」


 ジゼルの言葉を遮る勢いで、中から声がした。せっかちなやつのようだ。ジゼルが肩を竦め、テントの垂れ幕を上げて足を踏み入れる。


 それに続いて、俺とピニョも中へ入った。


 で、魔術師たちは多分、「やっと金獅子が来たぞー!これでパッと魔族倒して帰れるぞー!」と思っていたに違いない。そんな笑顔で出迎えてくれた。


 ……のは一瞬で、俺を視界に入れるなり物凄く嫌な顔をした。


「っ!?なんで野良がここにいるんだ!!」


 ジーンという二級魔術師がキレた。とてつもない剣幕だ。余程ストレスが溜まっているようで、帰ったら風俗にでも誘ってやろうと思うほどだった。


「レオンハルトじゃない。バカみたいなウソついてんじゃないわよ」


 そう言ってため息を吐いたのは、キューネという顔馴染みの三級魔術師だ。ブランド物を買い揃えるのが趣味で、その執念だけで三級に上がったような女だ。今も森の野営地で、おしゃれだけは忘れていない。


「まあ、野良でもいないよりはマシって事なんじゃないかな」


 と、蔑みのこもった台詞を吐いたのは、ローラントという、何級だったか忘れたけどいつも俺を下に見ているイケスかない童顔の男。


 あとの二人もなんか言ったが、俺は面識がなかった。野良野良と言っているから、向こうは俺を知っているらしい。


「散々な言われようだな…おまえ」


 ジゼルがいかつい顔に似合わない哀れみのこもった表情で俺に言う。


「下っ端ほど口だけは達者なんだよ、魔術師って」

「ああ、なるほど」


 同情。ジゼルもなにか心当たりがありそう。


「で、協会クビになった野良のおまえが何しにここへ来た?」


 ジーンは苛立ちを全面的に押し出して言う。


「ルイーゼの命令で、『金獅子の魔術師』として拠点を取り返せと言われた」


 ライセンスの代わりにと持ってきたルイーゼからの手紙を出して、中央のテーブルに投げてやる。その便箋は、ルイーゼが偽造対策に使用する特別なものだ。魔力的な細工を見れば、どれほど重要なものかわかるだろう。バカでも。


「本物、だな……」


 ジーンが他の魔術師に手紙を回し、確認した全員が押し黙った。


「……おまえマジで特級だったのか?」

「まあ、クビになったからアレだけど」

「信じらんない…金獅子がこんなガキだったなんて…」


 絶句。そんなに驚かれると、恥ずかしくなってくる。


「そういうわけだから、はやく状況を説明してくれ。わかる範囲でいいが、魔族の情報はあるか?」


 ちゃっと気持ちを切り替えてもらおう。俺ははやく帰りたい。


「ま、待てよ。レオは協会の魔術師じゃない。元々の階級が上だったとしても、指揮官は俺だよな?」


 俺は何度か目をパチパチやって、ジーンを見た。


「好きにしてくれ」


 そう言うと、ジーンは見るからにホッとした。なんなんだこいつ。


「ゴホン。じゃあまず、魔族は人型のがひとり。魔獣を操って砦を築いて完全に守りの体制だ。俺たちは100人足らずの先鋭だけ集めて、ここに拠点を置いてる。西に川があって、そこにあと2000は兵がいる。しかし森のせいで入ってこれない」

「随分と少ないな」


 拠点の奪還はそれなりに人数を要するはずだが。


「魔獣にやられた。国に派遣要請は出しているが、なかなか難しいらしい」


 そう言って、ジーンは今までの経緯を掻い摘んで話した。兵を派遣してもらえず、大規模な軍を作ることが困難となりとりあえず先鋭だけでここに拠点を置いて、三日経った事はわかった。


 ルイーゼが最後に言っていた言葉を思い出すに、どうやらここは見捨てられたようだ。


 最後の足掻きで俺に命令が来た。一か八かの賭けに出て、ルイーゼは俺が負ける方にベットしているらしい。


「はー、ピニョ、どうする?」

「ピ、ピニョに聞かれても困るですっ」

「だよな」


 コクコクと頷くピニョ。俺もお手上げだ。


「あんた金獅子なんだから、さっさと魔族倒してよ。聞いてる限り、あんたならひとりで魔族倒せるんでしょ」


 随分投げやりな言い方にちょっとイラッとした。俺だってそれなりに大変な思いをして魔族を倒してきたのに。


 ただまあ、俺がやらなければ、ここでこいつらも兵士も死ぬわけだ。


 やると決めたなら即行動。俺はグダグダ悩むのは嫌いだ。


「わかった。なら、手柄は俺ひとりのものってことになるけど、文句ねぇよな?」


 ニヤニヤしながらそう言ってやる。


 するとどうだ?


 ジーンたちの顔色が変わった。


「な、なんでそんなことになるのよ!?」


 一番金にうるさいキューネが怒った。


「なんで?そりゃ俺が倒したら俺のもんになるだろ?任務達成は目標の討伐をもって完了とす。って、協会のルールだろ」

「そうだけどっ!!でも、後からやってきて全部持ってくなんてズルイ!!」


 ズルイもなにも、


「最後に全部もらってくのは、強い奴だけなんだぜ?知ってたか、三級魔術師?」

「っ、あんた!!クビになったやつがなに言ってんのよ!?あんた協会事務でなんて呼ばれてるか知ってる?」


 協会事務?


「クレーマー量産機って言われてるわよ!!」

「グハッ!!」


 ニコニコ笑顔の事務のみなさん、裏で俺のことそんなふうに呼んでたんだ……


「ぼくも聞いた。始末書の魔術師だって言ってた」

「オウフッ!!」


 辛辣っ!!


「で、でも俺、事務の人にはちゃんと優しくしてたんだぜ?たまに差し入れしたりしてさっ、」

「それ、いいカッコしいの格好つけって笑われてたの知らないの?」

「えぇ……」


 試合終了のゴングがあるなら誰か鳴らしてくれ……


 いや、俺はめげない。だって事務の人、俺が金獅子だって知らないもん。顔はバレてないもん。


「ピ、ピニョは聞いたことっ、無いですよ、も、もちろん」

「お前知ってたんなら言えよ!!」


 裏切りが発生しました!!


 それはともかく、だ。


「お前らがなんて言おうと、俺は魔族を倒してさっさと帰るからな!!」

「言われなくても、俺たちだって帰りたいんだ!明日、全部終わらせてやる!!」


 ジーンが言い切ると、他の魔術師もそれに賛同した。


 ただ、ジゼルだけが不安そうな顔をしていた。


 テントを出ると、やっぱりジゼルは何か言いたそうで、俺は立ち止まって聞いてやった。


「何か心配なことでもあるのか?」

「あんたら魔術師が、どんだけスゲェかはわかってるつもりだ。おれも長く兵士をしているし、今では大隊長として、多くの部下を持っている。だけど、明日全部終わらすって、そんな急な話受け入れられない」


 金獅子が来たことで、魔術師たちはやる気になってくれた。わかりやすく。


 それはあいつらが、魔術師として金獅子がどんなもんか知っているからだ。まあ、今は弱々で申し訳ないが。


 だが、魔力を持たない普通の兵士からすれば、俺たちの力を漠然としか理解できず、不安になるのも当然だ。


 この先鋭部隊がこんなところで三日も燻っているのは、つまるところジーンたち魔術師の人望のなさが原因だ。


「よし、ならこうしよう。武器を持って俺んとこ集合なって、全員に言え」

「え、それは、」

「いいから!な?」


 使えない指揮官の下で苦労している兵士たちに、俺が出来ることは少ない。俺は指揮官じゃないし、そういうのも向いてない。


 だけどほら、魔術は使える者は限られるけど、その恩恵は誰もが等しく受けられる。


 そのために兵士の中に、魔術師が派遣されるんだが、ジーンたちにはそんな考えはないらしい。

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