第18話:亡国の城

「どうして貴方は、わたしの父様と母様と国を滅ぼしたの」


 どうして、なんて問われたところで、理由なんかない。

 いや、ただ欲しかったから、という単純な思いは理由に値するのか。

 今ではもう、どうでもいいことだけれど。


 ***


 あまり覚えていないし、語るべきことでもないけれど、昔話をしてあげようか。

 きみが生まれる遥か昔、数百年は前だったかな、とある一つの王国がありました。

 そこは吸血鬼だけが生きる小さな王国で、皆に慕われていた王様とお妃様と幼いお姫様が、騎士に守られ仲睦まじく暮らしておりました。

 ところで、王様には弟がいました。

 弟は公爵の地位を与えられ、王様と共にお城で平穏な日々を過ごしておりました。

 退屈ではありましたが、穏やかな日常に不満もなければ、王様と不仲でもなく、弟はわりとこの毎日を気に入ってはいました。

 そんなある時、ふと思い立ったのです。

「このお城が欲しいな」

 そう言うと、何故か同胞が集まりました。

 集まった同胞は、いつの間にか集団となり、やがてクーデターを起こしました。

 王様は怒って弟に銀の剣を向けました、弟も抵抗して反撃しました。

 別に、王の地位が欲しかったわけでも、兄の立場が欲しかったわけでもなかったのに。

 ただ漠然と、あの城が欲しいと言っただけだったのに。

 こうして一つの国が滅びて、弟はお城を手に入れました。

 しかし、念願のお城を手に入れたのはずなのに、何故か弟の心が満たされることはありませんでした。

 弟がお城を手に入れた時には、そのお城はもう、欲しかったお城ではなくなっていたのです。

 はい、おしまい。


 ***


 そんな今ではもうどうでもいい過去よりも、公爵が鮮明に思い返せるのは、あれからおよそ百年ほど経過した後のこと。

 退屈していた公爵が、北の地ビオラに存在するガランサスの街を知ったのは、そこに名産の珍しい美酒があるという噂を聞いたからだ。

 人間の集落に興味はないが、人間の作る蒸留酒は悪くはない。

 公爵は、気まぐれに足を運んだその街で、美酒なんかよりもはるかに稀少で貴重な極上の存在を、彼を見つけた。


「こんばんは……旅の方ですか?」


 彼の名をリシャール=ニバリスという。 

 公爵も御伽噺でしか聞いたことのなかった、“貴重なレアブラッド”と呼ばれる、この血を持つ人間は、吸血鬼に吸血されても吸血鬼化することはない。特別な血であり、吸血鬼たちにとっては極上の血液である体質を持つ稀少な存在。

 皆同じ有象無象にしか見えない人間に興味はなかったが、このレアブラッドの人間は、他の人間と纏う匂いが全く異なるということを、公爵は生まれて初めて知った。

 長く生きている公爵ですら、実物と遭遇するのは初めてだったのだ。

 この時はまだ齢十二の少年で、見目も今とは少し違う、成長途中の小柄な細身に、アッシュグレイの短髪とブルーグレイの瞳。

 まだ世の中の善悪も知らない、おのれの体質も吸血鬼という存在すらも認知していないであろう、無垢で純真な穢れを知らない清らかで綺麗な存在。

 両親に愛され、街の住民にも好かれ、友人に囲まれ、愛し愛され何不自由なく平穏に生きているその様に。

 一目見た瞬間、あの時と、同じ衝動が沸き起こったのを公爵は感じた。

「あぁ……彼が欲しいな」

 欲しいものを手に入れるには、どうしたら良いのだったか。

 街の人間の血は空腹を満たすには十分だが、質は良くなかった。

 まず邪魔者を消し、目撃者を消し、目につく煩わしいものを壊して排除して、欲しい物だけを残して囲い込んで。

 ようやく手を伸ばし、初めて口に含んだレアブラッドの血の味は他の何にも代えがたい代物だった。

 誰にも渡したくはない、これはおのれのものだと、所有の印を刻みつけたところで。


 忌々しい狩人に邪魔をされた。


 歯向かってきたのなら返り討ちにできたものを、この狩人は逃げに徹した。

 狩人というものは、集団で挑んでくる祓魔師と違い、個として活動する故に逃げ隠れするのが非常に上手い。

 この狩人に獲物を横取りされた屈辱は、数年に及ぶ短い追走劇の末に果たしたが、死に際に足掻いた狩人のせいで、彼にはまた逃げられてしまった。


 狩人が彼を逃がした先は、これまた吸血鬼にとっては目障りな祓魔師組織【野薔薇】だった。


 吸血鬼である公爵には手出ししにくい、堅固に守られた強力な要塞だった。

 そこで彼は祓魔師として実力を発揮し始め、そしてそれは同時に、公爵からすると同族である他の吸血鬼に獲物を横取りされるかもしれない危機を伴うことになった。

 吸血鬼と祓魔師の争いには興味がない、進んで首を突っ込んで吸血鬼側に加担しようとも思わない。

 公爵の立場は貴族階級では上位に当たるが、所有の印を刻んでいるとはいえ、いつ他の同族に出し抜かれ掠め取られるかもしれないその状況に、誤って命を落とすかもしれないその立場に、束の間気が狂いそうになったのは確かだ。

 彼を一番最初に見つけたのは公爵だ、それをおのれ以外の者に奪われるなんてあってはならない。

 だから公爵は、彼のいる拠点を襲撃した。

 祓魔師の血は不味くて、空腹を満たせもしない。

 彼に群がる虫けらを蹴散らし、彼が居場所だと勘違いしているその聖域を破壊した。

 血相を変えて帰還してきた彼を、そのまま手に入れることができたらよかったのだが、美しく成長し実力をつけた彼の激しい抵抗の末に公爵も深手を負いやむを得ず撤退した。

 それが、後に真実を語られることなく、詳細不明として全ての責任を負い、当事者であり数少ない生存者である白薔薇の門幹部の脱退を持って隠蔽された【白薔薇の門】壊滅事件である。

【野薔薇】を離脱した彼は、公爵と攻防を繰り返しながらその手から逃げ続け、各地を転々とし始める。

 彼の足取りを追うように、街が消え、対峙しては逃げられ、街が消え、逃げられて、そんな繰り返しが数年続いて。

 ある時、ようやく観念したのか彼は旅の足を止めた。

 西の地ヴァイスに存在するウィスティリアの町の外れにある寂びれた協会に、彼は留まった。

 その間、陽炎一族などという過去の亡霊に喧嘩を売られたり、子爵に横取りされそうになったりと、はらわたが煮えくり返りそうな事柄が幾つかあったが。


 ようやく。

 彼は、招いてくれた。


 美しい月夜の晩に、公爵は協会へ招かれた。

 その後の心躍る最高の逢瀬は語るまでもない。

 途中、愚かな邪魔は入ったが。


 公爵は、欲しいものを手に入れた。

 久方ぶりに口にしたその血は、やはり変わらず甘美で極上な味わいで、渇いた公爵の身を存分に満たしてくれた。

 嗚呼これだ、これが欲しかったのだと、全身の細胞が歓喜している。

 これはおのれのものだと、彼の身に刻んだ所有の印は、公爵に優越感をもたらしてくれた。

「きみは、ぼくのもの……ぼくだけのものだ。誰にも渡さない」

 おのれの膝に横たわらせた人間のさらりとした白銀の髪を優しく撫で梳きながら、公爵は紅い瞳を弓なりに細めて陶然と呟く。

 もう自由に野放しにしておくのはやめだ、血の芳香に惑わされた他の同族に掠め取られたら堪らない。

 でも奴隷や人形が欲しいわけではないから、洗脳や鎖で繋いだりなんてしない。

 ただ壊さないように、大事に大事に鳥籠に閉じ込めて、愛でる時だけ鳥籠から出して、でも飛び立てないように羽は毟って、飽きるまで愛で慈しむ。

 誰にも邪魔されない、この城で。

 おのれが満足するまで、片時も目をそらさず離れず傍に置いておきたい。

 いつでも手を伸ばせば触れられ、その肌へ牙を立てれば極上の血を味わえ、おのれが望めばきっとその眼差しが向けられ、その声を聴ける。

 希い焦がれた末の幻想ではなく、本物を。

 それができることの、なんと名状しがたい喜びか。

 長らく欲して追って、待ち望んでいたものを手に入れた公爵は、これまでにない幸福感に満たされ最高の気分に浸っていた。


 平穏を脅かすものなど何もいない静寂に包まれていたこの城に、至福の時を踏み躙る足音が聞こえるまでは。


「――ねぇ、ひとの城に土足で踏み入るなんて、不躾にも程があるんじゃない」

「元々、てめぇのもんでもないだろ」


 もはや同族とは認めがたい過去の亡霊が、あの時と同じ銀の剣を携えて再び立ちはだかるまでは。


「諦めたと思ったのに……しつこい男は嫌われるよ」

「その言葉、そっくりそのまま返してやる」


 夜空を溶かしたような髪色をした男の、ろうそくの灯火色の瞳が、憤怒を孕んだ獰猛な輝きを宿して公爵を見据えた。


「神父を返せ。そして、てめぇは塵になれ」

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災厄の神父と陽炎の吸血鬼 宮下ユウヤ @santa-yuya

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