第二十九話 こんな男をどうしたら

 馬車が交差路で右折して、サリオンの視界から公娼が完全に消え去った。葬られた。それでも窓枠に手を掛けて、振り向き続けるサリオンをアルベルトはたしなめる。


「それ以上、嘆くな。サリオン」

「アルベルト」

「自分自身の選択に正しさを求めるな」


 尖った声音で諌められ、サリオンはアルベルトに向き直る。と同時に、沈痛な面持ちで見つめられ、返す言葉を失った。贖罪の念をレナに抱けば抱くほど、アルベルトまで傷つける。罪を犯させたという自責の念を抱かせる。

 項垂れたサリオンはアルベルトの二の腕に、無言で額を押し当てた。 

 領土を広げ、自国の民に恩恵を分け与える為、アルベルトは今も諸国への侵略を続けている。民人は、そんな彼を賢帝と褒め称えている。けれどもそんな賞賛をアルベルトが欲しているとは思わない。

 攻め滅ぼされた国の民には残虐非道な暴君と罵倒され、怨嗟えんさまととなる。かつての自分がそうだったように。


 それでもアルベルトは自分の道に正しさを求めない。大義名分を盾にして隠れない。アルベルトには覚悟がある。


「……忘れることは出来ないけれど……」

 

 サリオンはしなだれかかり、呟いた。この身に千の刃を受けようと、アルベルトのだけは他の誰にも渡さない。この温もりは渡せない。

 

「わかっている」

 

 アルベルトの腕が背中に回され、いだかれる。きっと死ぬまでユーリスもレナも忘れない。そしてまた、二人と過ごした日々の軌跡を塗りつぶそうとも思わない。

 サリオンは、それが前を向くことなのかもしれないと、予感した。今のこの底知れぬ喪失感は別の何かで埋められるはずもない。


 テオクウィントス帝国皇帝と、その寵姫として迎え入れられる二人を乗せた馬車と、馬車の四方を囲む騎馬兵は、いつしかβの居住区の大通りにまで達していた。

 αの居住区とは比べものにはならないが、道の石畳もそれなりに整備されている。眩しい朝日は街そのものを揺り起こし、住民の目を開かせる。

 大八車を引いた男が、物々しい皇帝の馬車の一行を避け、通りの端へと寄っている。建て増しを繰り返した末に傾いた高層住宅、城塞のように高々とした土塀に囲まれた一軒家が混在する街。

 サリオンは外倒しの窓を押し開けた。


「お前は馬車に乗ると、いつもそうだ。子供のように外の景色ばかり見る」


 アルベルトの胸の中で身じろいで、窓枠に貼りつくサリオンの背後でぼやいている。つれない奴だと嘆いている。思わず肩越しに振り向くと、渋い顔で笑っていた。


「あんたの顔なんて見飽きてる」

「俺は一日中でもお前を見つめていられるのに、か?」


 唇の片側の端を引き上げて、悪態をつくサリオンに、いつものように自嘲で応える恋人だ。清涼な朝の空気が頭の中の混濁を、払拭しながら吹き抜ける。

 朝霧も晴れ、戸建の家々の煙突から湯煙がたつ。煙にのって運ばれた野菜を煮込んだスープの香りが鼻孔をくすぐる。思い返せば自分もアルベルトも昨夜から何も口にしていない。


「腹が減ったな」


 アルベルトがクッションを鋲留びょうどめにした背もたれに体を預けて訴える。おどけるように掌を腹の辺りに当てている。結局こうして何度でも振り向かされてしまうのだ。


「王宮に着いたら飯を食おう」

「……うん」

「何がいい? 蒸し牡蠣か? 生ハムか? オリーブの実と山羊のチーズの盛り合わせ。どれもクルミ入りのパンにも良く合う。ああ、そうだ。干したプラムも用意しよう」


 次から次へとアルベルトはサリオンの好物ばかりを夢見るような目をして語る。

夢見るような顔をして。こんな男をどうしたら、拒み続けていられるのだろう。

 今ですら泉のように湧き上がる愛しさと同等のやるせなさとで、つぶされそうになっているのに、約束している半年も。

 たとえどんなに愛しても、アルベルトの子を宿すことなど許されないのに。

 どうしたら。

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