第十八話 征服者

「サリオンとレナを後宮に?」


 公娼の主人が皇帝と奴隷のΩを迎賓室で出迎えるなり、声を張る。

 背もたれのある長椅子には絹製のクッションが置かれている。その長椅子にアルベルトとサリオンは並んで座り、脚の短い楕円のテーブルを挟んだ向かいに公娼の主人が座っている。

 テーブルには下男が運んだ銀の三つのワイングラス。

 ワイングラスが空になれば、いつでも注ぎ足せるよう、下男はワインの瓶が置かれた腰高テーブルの脇で控えている。


「サリオンを召すのは王宮だ」


 アルベルトは不愉快そうに語尾を強めて訂正する。


「レナを召すのは後宮だ」

「それでも、私共には同じこと」


 公娼に皇帝が足しげく通っていたのは、廻しの下男がいたからだ。また、レナは公娼きっての稼ぎ頭の昼三だ。二人を同時に失うなんてと、主人は狼狽を顕わにした。


「……で、ですが、ここは治外法権。たとえ、あなた様でも規約は規約。まだ懐妊もしていないΩや奴隷を引き取るなどと、規約に反した行為です」

「そうだな。確かに規約に反している」


 実直に頷くアルベルトにサリオンはギョッとした。思わず肩を揺らしたのだが、隣り合う恋人に右手を強く掴まれた。


「だが、俺はあるじ罷免ひめんして、新たな主を任命する権限を持っている」


 アルベルトは左手で杯を持ち、優美な所作でワインを呑む。

 一瞬、光明を見出しかけた主の顔が蒼ざめる。弛緩した頬と口元を戦慄かせ、頭貫衣かんとういの膝の辺りを両手で握り締めている。つまり、これ以上ごねれば首が飛ぶということだ。

 公娼の収益を私利私欲に使い続けた強欲な館の主は、無位無冠になるよりは、皇帝の申し出を飲む方が、まだましだ。有益だろうと判断したのか、項垂うなだれた。


「畏まりました。陛下のお申し出通りに致します」

「話が早いな。さすがは俺が任じた館の主だ」


 テーブルに戻された銀の杯がカツンという、硬質な音を響かせた。すかざず下男がワインの瓶を片手に歩み寄って来た。けれどもそれを目顔で制したアルベルトは、「話は済んだ」と微笑んだ。

 こんな時、サリオンはアルベルトが持つ裏の顔を垣間見る思いがする。

 自分にだけは見せる甘く切ない顔とは別の顔。

 列強各国を滅ぼして、領土を拡大し続ける征服者。

 この世には自分の思い通りにならないものなどないとでも言いたげな顔。気が緩んだアルベルトからサリオンは、すっと手を引いた。館の主と同様に、サリオンもまた俯いた。

 どんなに月日が流れても、アルベルトという新たな男に恋しても、忘れることなど出来ない光景。両手を縄で縛られて、荒野を馬で引きづり回され、最期は人の形骸けいがいですらなくなったユーリスが、鮮明に脳裏に蘇る。尻を浮かせたサリオンはアルベルトから距離を取る。

 それに動じたかのように、隣で彼が身じろいだ。


「サリオン。……俺は」

「レナには俺から話をする。レナにも言いたいことがあるだろうし、俺にはそれを聞く義務がある」

「いや、レナには俺が話をする」


 サリオンは顔も上げずに話の筋を変えて言う。サリオンが離れた分だけ近づいて、気分を害したサリオンを取りなすように言葉に言葉を重ねてきた。


「レナも混乱するだろう。まだ後宮に入るかどうかもわからない。どちらにしてもお前には、見られていたくないはずだ」

 

 レナとは二人で話がしたいと、さとされる。それはレナに向けられた優しさだ。

 レナに罵詈雑言を浴びせかけられ、傷つけたくないなどという配慮ではなく、惨めな思いをさせられるレナの立場を思いやっての申し出だ。

 サリオンは返事を求めるアルベルトに、疎ましさすら感じていた。

 こんな風にアルベルトはレナにも優しい。どんな時でも気遣うことを忘れない。

 レナを大事にすることが、サリオン自身の良心の呵責かしゃくを和らげる。だからこその言い分なのだとわかっているのに、胸がざわめく。

 暗雲が垂れ込める。


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