第十六話 恋人たち

「どうした、サリオン」

 

 急に涙したサリオンに、アルベルトが慌てたような声を出す。握り合った手を離し、サリオンの両肩に手をかける。サリオンは顔を伏せ、頭を緩慢かんまんに左右に振る。


「……何でもない」

「それならどうして泣いている?」

「嬉しくて」


 嬉しいのだと声に出し、自分の言葉に気づかされたのは涙する訳。その理由。自分で自分に鞭打つようなその試練。その軌跡。

 長かった。辛かった。

 次から次へと湧き出す言葉が涙になる。

 いつかは誰かに獲られると、覚悟しながら怯えていた。サリオンはアルベルトの胸に額を押し当てる。こうすることさえ禁じられ、禁じた自分が無にした。

 アルベルトの高価なトガを握り締め、か細い肩を震わせる。しなやかで、なよやかで、あたたかい。それが嘘のない今。ありのままをさらけ出し、差し出すことができる今。


「サリオン……!」


 頭上で吠えたアルベルトに抱き込まれ、背が弓なりに反りかえる。


「……ああ、なんという愛しさだ……」


 腕にいっそう力を込められ、体中をまさぐられ、何度も髪にキスされる。熱い掌。熱い息。サリオンは夢見心地で目を閉じる。断罪されない抱擁に、その身を任せる。魂までをも明け渡す。


「俺も……」


 と、こぼしたした囁きが、吐息が艶めく。自分の声だと思えないほど甘く響いた声だった。その刹那、肩を揺らしたアルベルトの体が強張る気配がした。背を弓で射られたように息を詰め、身動ぎひとつしなくなる。

 

「アルベルト……?」

 

 不安にかられたサリオンが顔を上げた時だった。二の腕をそっと掴まれて、胸と胸とを剥がされる。突然距離を作られて、血の気が失せたようになる。時間が止まったようになる。

 

「アルベルト」


 サリオンが苛立たしさと焦りを交えて呼びかける。そして同時に凝り固まったその顔が変容するのが恐かった。


「アルベルト」

「もう一度だけ、言ってくれ」


 びょうと吹いた一陣の風に天窓の枠が軋み出す。薄茶色の澄んだ瞳が小刻みに揺れていた。間近に顔を寄せられて、一心に返事を迫られる。


「お前の声で聞かせてくれ」

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