第五話

ここは公娼ではなく王宮だ。

皇帝が命を下せば、

奴隷のΩが華麗な馬車で王宮の門をくぐることまで許可される。

王宮内へ奴隷のΩをα階層の官職が案内もする。

この国において皇帝が出来ないことは何もない。


出来ないことがあるとすれば、自らもうけた公娼という特異な館の中だけだ。

その皇帝に謁見する。

これまで自分が出会ってきた、どのアルベルトとも違う彼がここいる。

サリオンは、大理石の列柱が張り出す軒を支える階段のいただきを仰ぎ見た。


軒の奥から一人の男が早足で姿を現し、その頂で立ち止まる。

トガを着た男達を数名従え、篝火に照らし出された男は威厳に満ち溢れ、

まさしく神のようだった。

王宮の正面へ先導していた男達は頂の数段手前で拝礼し、両脇に退いた。

視界を隔てる者がいなくなり、

サリオンは頂で待つ男を身が引き締まる思いで睨み上げた。


戦いの火蓋は切って落とされた。


いつもなら彼の方から駆け下りて来ただろう。けれども今夜は動かない。

奴隷のΩが彼の元まで上って来るのを待っている。

熱い目をして、そこにいる。

サリオンは頂の二段手前で立ち止まる。

唇を固く引き結んだまま、長大な花崗岩かこうがんの階段で膝を折り、

こうべを垂れて下知を待つ。


「どうした? 早く上がって来い」

 

静まり返った大階段に皇帝の指令が反響した。

じれったいと言いたげな口調も声音も、普段の彼のそれだった。

それでも王宮での自分は皇帝の声掛けがあって初めて同じ階まで上がることを

許される。


「恐れ入ります。皇帝陛下」


サリオンは厳粛な顔つきで立ち上がる。

一段上がり、もう一段上がった時には、アルベルトは両腕を広げかけていた。

サリオンがトングに金と真珠の細やかな装飾が施されたサンダルを、

階段の頂の端に乗せかけた瞬間に手首を掴まれ、引っ張られ、

逞しい胸の中に抱き込まれた。


「サリオン……」

 

サリオンの背が弓なりにしなるほどきつく抱きすくめ、

アルベルトが声を消え入らせる。

サリオンのうなじに頬を押し当てて、何かをじっと噛み締めるように黙っている。

やっと、ここまで来てくれた。

公娼でもなく貧民窟でもβ階層の居住区でもない。

自身が住まう王宮で、誰にも何にも干渉されずに逢瀬に耽溺たんできする。

そんな歓喜をたぎらせた恋人の胸に抱かれても、

サリオンは悲痛に眉を寄せるしかない。


王宮への来訪に応じたのは、伝えるべき言葉があるからだ。

それを反芻するたびに、左の胸が奥底で引き絞られていくかのように痛み出す。

彼の背中に腕を回し、抱き返すことも躊躇われ、されるがままになっていた。


「どうした? 緊張しているのか?」


何ひとつ反応を示さないサリオンに、アルベルトが怪訝そうな声を出す。

サリオンの両肩に手をかけながら体を離したアルベルトが、

気遣わしげに顔を覗き込んできた。


「いえ、……何でもありません。失礼致しました、陛下」

「俺の意を受け、この階段の頂まで上ったお前は、たった今、皇帝の客人という立場を得た。王宮内でも遠慮なく、言葉も態度もいつものお前に戻ってくれ」


肩を掴む両手に力を込め、言い聞かされたが、

サリオンは軽く目を伏せ、やっとのことで「はい」と小声で頷いた。

しかし、実際サリオンは圧倒されてしまっていた。


今夜のアルベルトは、襟と袖に金糸の刺繍が施された緋色ひいろの鮮やかな貫頭衣かんとういに、地模様じもようが織り込まれた絹のトガを優雅に纏い、金の腕輪や指輪もしている。

また、何層にもひだを重ねたトガの襟元は、

白蝶貝しろちょうがいの平面に、繊細な彫刻を施したカメオのブローチで留めていた。


「……あんたって、本当はいつもそんなに派手なんだな」

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