第三十三話
「アルベルト……」
サリオンは
ここから公娼の門前まで続く路面が突如として陥没し、
黒くて深い大きな穴が開いてしまったかのように、足がすくんで動けない。
けれどもアルベルトはサリオンの肩を強く抱き込み、勇猛果敢に踏み出した。
向かっているのは公娼の正門だ。
「アルベルト!」
「夜営業の開始時刻に遅れたのは、俺がお前を引き止めたからだ。館の主には俺が経緯を説明する」
定められた時刻までに奴隷が帰館しなければ、逃走したとみなされる。
直ちに逃亡奴隷を捕獲する請負人に依頼が行き、国中の似顔絵が貼られ、
国境の検閲が強化される。
捕らえられた逃亡奴隷に待っているのは、
競技場で死ぬまで猛獣と戦わされる上流階層の娯楽としての拷問か、
額に灼熱の烙印を押されるなどの懲罰だ。
しかし、今夜は門番が目視できる距離まで戻っていたのに留まらせたのは皇帝だ。
門番も証言をするだろう。
とはいえ必ずしも門番が、館の主に真実を報告するとは限らない。
廻しの仕事は男娼からも客からも恨みを買いやすい。
金払いのいい太客に他の男娼を廻したら、廻されなかった男娼に、
客は客で指名相手にフラれると、その男娼の機嫌を廻しが取り損ね、
床入りにまで至らせなかった落ち度だと責められる。
廻しに対して何らかの悪意を抱いだ人物が多少の金を渡したら、
門番達は躊躇なく嘘をつくだろう。
それを案じてくれている。
アルベルトの細やかな心遣いが胸を打つ。
そんな彼を帝位を追われるかもしれない重大な政局に立たせている。
その要因の一端になっている。
サリオンは自ずと顔を伏せていた。
心のどこかでアルベルトを拒みきれずにいた自分。
邪険にしながら気を引いて、期待を持たせる真似をした。
子供ができないΩの奴隷に振り回されていなければ、
もっと早くレナが孕んでいただろう。アルベルトの帝政を継ぐ皇太子を、だ。
「ようこそ陛下。御来館を心より御待ち致しておりました」
モザイクタイルで幾何学模様が描かれた一階部分の中央の大ホールで、
館の主人が出迎える。
アルベルトはサリオンの肩を抱いたまま、
サリオンの帰館が遅れたのは自分のせいだと強調した。
「ええ、はい。陛下がおっしゃるのなら、罰したりなど致しません。どうぞ御安心下さいませ」
小太りで手足の短い館の主人は、
吹き抜けのホールに響き渡るぐらいの声で応対した。
そのあからさまな猫撫で声に、下男や来館者達が一斉にアルベルトへと目を注ぐ。
ある者はトガも纏わず、粗末な麻の貫頭衣姿の皇帝に、
呆気にとられた顔になる。
だが、ほとんどの者は哀れむような冷笑を目尻に浮かべて立ち去った。
子供ができたダビデの方が既に現帝よりも権威を増し、
民人がアルベルトを既に一段低く見ている。
サリオンは激しい屈辱に打ち震えた。これではまるで見世物だ。
肩を抱かれたサリオンは腕の中から抜け出した。
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