第九話


クリストファーも大きなクッションを左脇に挟んで横臥おうがして、

給仕の下男がナイフで削ぎ切りにした焼き肉の肉片を摘んでいる。

そのたび、クリストファーに身を寄せて座るレナが彼の汚れた右手を、

下男が持った深鉢の水で洗ってやり、布で拭ってやっている。

表向きは甲斐甲斐しく客に仕える男娼だ。


今夜の宴席で最も高価な料理は、この猪肉の串焼きだ。

上流階層の饗宴では、主催者よりも同席者達の地位が低いと、猪肉は供されない。

だから、これはクリストファーがΩのレナを、

αの自分と同格に扱う気持ちの現れでもある。


「レナ。君ももっと食べなさい。猪は君の好物だろう?」

「ありがとうございます」


レナは艶然として微笑んだ。

饗宴の主催者の相方は、

Ωであっても客と同じ料理やワインを食することが許される。

けれどもクリストファーが精一杯のもてなしとして用意させた料理にすら、

レナは関心を示さない。手を伸ばそうともしなかった。

つれないレナに、クリストファーも困惑気味に整った眉尻を下げている。


サリオンは決して盛況とは言えない不毛な宴席は切り上げてしまい、

さっさとレナの居室にクリストファーを案内しようと算段した。


宴が終われば、クリストファーが招いた客は帰宅する。

今夜の饗宴での料理や招待客や楽士の数も、

クリストファーの財力相応のものだった。

彼はレナを何としてでも手に入れたくて、見境なく私財をつぎ込み、

自滅するほど浅はかでもない。

彼は決して見栄を張らない。そのぶん堅実だとも言えるだろう。

余興や料理も奇抜さはないものの、

αの中流貴族の邸宅などでも催される饗宴の典型だ。


その点、日ごとアルベルトの宴席で出される珍味は、

毎回レナに驚嘆の声を上げさせる。

野菜で綺麗に彩られたラクダの爪先の大きな煮込みが、

その原型を留めたままで、銀の皿に盛られて出された時など、

広間に同席していたサリオンも度胆を抜かれて目を剥いた。

 

ヒトコブラクダの足首から下を切り取って、

爪先の肉が柔らかくなるまで深鍋で煮込まれ、少量の塩と香草のディルで、

風味付けをされていた。

 

煮上がった爪先は大皿に移され、

高価な香草のサフランや蜂蜜、葡萄果汁などの調味料と小麦粉を加え、

柄杓ひしゃくで混ぜながらとろみをつけ、たっぷり肉にかけられた、

見たこともない逸品だ。


醜怪な見た目に慄いたレナは、

同じ臥台がだいに寝そべるアルベルトに声を上げて抱きついた。


レナが気味が悪いと頑なに拒んだその肉を、

普段は宴席での料理には口をつけないサリオンが、

代わりに味見をさせられたのだが、骨回りの肉の脂の甘さと旨味、

そして、酸味と甘みと香草の香りが絶妙に調和した煮汁まで美味だった。


咀嚼そしゃくしながら目を丸くして唸った途端、

アルベルトに得意満面な顔をされ、むっとしたことまで鮮明に覚えている。


悪戯が好きなアルベルトらしい余興として、

記憶に刻み込まれている。

サリオンは胸の奥にチクリとした痛みを感じて目を伏せた。

あんな風変りな体験は、皇帝でなければ供されることはないだろう。


あれはレナを驚かせたい一心でしたことなのか。

それともと、サリオンの思考が停止する。

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