第五十六話


もし、公娼の強情な下男をなびかせる駆け引きが楽しくて、

そこまでしたと言うのなら、

アルベルトほど悪質な偽善者はいないだろう。


昨日までならそうやって自分を言い包め、

アルベルトから自分を遮断する城壁をいっそう強固なものにした。

ありとあらゆる難癖をかき集め、アルベルトを頭から占め出した。


けれど今、それをしようと思っても、

目の裏に焼きついたあの顔が、それは違うと言い返す。

お前ぐらい正直で嘘つきな奴はいないと言ったアルベルトの細められた双眸は、

深い哀しみをたたえていた。

微笑みをかたどった唇には、苦悩と疲弊がにじんでいた。


何かを搾取する為に心にもない嘘を吐く者は、自身の嘘を信じる者を嘲笑する。

辱める。

かといって、相手の言葉を全部嘘だと決めつけて、

跳ねのけ続ける自分も同じ罪を犯している。


アルベルトの瞳に浮かんだ落胆も、あの呟きの沈んだ声音も、

芝居だ、演技だ、騙されるなと警戒の棘を張り、

その棘で彼を痛がらせた。

悲しませてきた。

そんな痛みに堪えかねて、今夜を限りに見切りをつけ、

アルベルトが公娼から去ったとしても自業自得だ。

彼は何も悪くない。


「サリオン?」


唐突に口を噤んだサリオンを気遣うように、下男の一人に呼びかけられて、

ハッとする。

サリオンは作り笑いを浮かべつつ、「何でもない」と呟いた。


「オリバー様が提督の機嫌を取って下さって助かった。提督がお帰りになられたら、オリバー様には俺からもう一度礼を言う。皆も心配してくれて、ありがとう」


内心の葛藤を押し殺し、努めて冷静にふるまった。


身分は同じ奴隷とはいえ、公娼内では自分は『廻し』だ。

昼三男娼から下男に至るまで、総じて彼等を束ねる役職だ。

これからレナの居室に赴いて、

今夜もアルベルトが床入りもせず、

帰ってしまった苦しい事実を伝えなければならない責務がある。


そして、悲嘆にくれるレナに自分のせいだと何度も詫びて許しを請い、

傷心のレナを慰める。

それは友人に対する謝罪であり、助力でもあり、

側付きとしての職務でもある。

ただ、もう今夜は頭がぼんやりしてしまい、

今の自分にそこまで遂行できる自信がない。


「それから、すまないが誰かレナ様に、アルベルト陛下が急用でお帰りになられたことも報告に行ってくれないか? 陛下がとても残念がられていらっしゃったと、レナ様に、くれぐれも伝えてくれ」


サリオンは大階段の踊り場で、誰にともなく言いつけた。

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