第三十七話
「昼三の方々は皆様、控えの間に出ておいでになりませんから、提督はオリバー様のお美しさを肖像画でしか、ご御存知ないだけでございます。実物のオリバー様に会われましたら、提督もミハエル様など眼中になくなり、きっとお気持ちを鎮めて下さいます」
歯の浮くような世辞を並べ、オリバーにもかなりの額の袖の下を握らせて、
ようやく首を縦に振らせることができた。
オリバーや下男に渡した大金は、今夜アルベルトから館で働く者達全員に
振る舞われた
初めから受け取るつもりはなかった金だ。
惜しいという気は微塵もない。
取り急ぎ、根回しは整ったという安堵の方が勝っていた。
サリオンは、ほっと一息ついた後、オリバーの居室を辞しながら、
再び顔を険しくした。
とはいえ本番はこれからだ。
提督が損か得かで動いてくれれば、治まりはつくだろう。
けれども、ここまで騒ぎを大きくしたら、
自分をフッたミハエルに、何が何でも制裁を加えようとするかもしれない。
そうなれば、身を
サリオンは廊下を進む歩みを速めて腹をくくる。
それが廻しの務めだからだ。
ミハエルの居室は二階の外れだ。
昼三男娼の居室は窓から緑豊かな中庭に面して設けられ、
風通しも良く、採光も充分取り入れられている。
それに対して、格下の寝所持ちの居室は廊下を挟んで反対側に用意され、
北に面している為に、日中でも薄暗い。
窓から見える景色は館を囲む高い外塀。典雅なものは何もない。
それぞれの位により、部屋の内装だけでなく景観まで、
あからさまに差別される世界でもある。
そのミハエルの居室の出入り口には数人の下男に混じり、
館の主人の姿まである。
彼等が群れを成す廊下には、
燭台や一人掛けの肘掛椅子やクッションが投げ出され、
ワインの水差しやコップや花瓶は、粉々に砕け散っている。
活けられた花々も、提督を宥める館の者に踏みにじられ、無残な姿を晒していた。
「サリオン!」
救世主が現れでもしたかのように叫んだのは、
丸々太って腹だけが異様に突き出た館の主人だ。
一斉にサリオンに顔を向けた下男達も、頬や腕に青痣を作り、目蓋を腫らし、
唇の端を切っている。
提督の八つ当たりの矛先は家具や食器だけでなく、
呼び出された彼等にも同じように及んでいた。
「どこへ行っていたんだ、こんな時に!」
「大変遅くなりまして、申し訳ございませんでした」
憤慨する館の主人に頭を下げて詫びると、すぐにミハエルの居室の出入り口まで、
進み出た。
「……サリオン、だと?」
部屋の中から地を這うような低い男の声がした。
燭台のロウソクが点された廃墟と化した居室から、ぬっと熊のように立ち現われ、
サリオンは一瞬喉を詰まらせた。
上背もあり、軍隊生活で鍛え上げた見事な体躯に、
王族の証でもある金糸と
右手には閃く長剣を下げている。
鉛色の癖のある髪。軍人らしい日に焼けた浅黒い肌。
鷲鼻で下顎も張り、首も太く、肩幅も広い。
まるで男の野性の一面だけを強調したような容貌だ。
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