124.魔女である巫女を裏切る者

 巫女としての能力はリナリアに受け継がれ、残った魔力を絞って消滅する。完璧だった計画を、魔族の宰相に邪魔された。この機会を逃したら、もう死ねないかも知れないのに……。


「死ぬ気なのは、知っていた」


 一緒に死んでやれないと言ったのに、それでも私を望んだ夫。同族とすら距離を置く私に近づき、心に入り込んだ男が手を伸ばす。ふらふらと近づき、作動した魔法陣から出た。


「やっと手に入れたぞ」


 執着の言葉に、涙が溢れる。ああ、なんて可哀想な人だろう。魔女に魂を捧げ、悪魔に傅いたのか。


 喉を震わせて笑うネリネが大きく両手を広げる。魔法陣に触れぬ距離に浮いた魔族は、その身を道標に光を呼び寄せた。明るく眩しい光ではなく、今にも消えそうな暗い光が幾つも集まっては吸い込まれる。数えきれない多数の光を供物に捧げ、ネリネは魔法陣の上に新たな魔法陣を重ねた。


「世界が分離します。女神すら知らなかった陣を捧げ、我らの配下に降った巫女に敬意を」


 空中に透明な地面があるかのように、ネリネは優雅に片足を引いて一礼した。女神ネメシアは世界を融合したが、分離する手段を持たない。彼女が干渉できる範囲に、その術は存在しなかった。


 魔族と人間が融合したリクニスの巫女だからこそ、魔力を体内で分離する手法に行き着く。生まれつき魔力をもつ魔族は考えもせず、神としての制約に縛られる女神は知らない。体内で数世代にわたり融合した魔力を分離する術が、そのまま世界の分離に転用出来るなど。


 ミューレンベルギアに術を行使させなくてはならない。だが彼女が捧げる供物を別のものにすり替えれば、巫女である魔女は死ねない。彼女は死にたがっているが……叶えてやる理由はなかった。


「すべての魔力と能力を失う魔女に、私から祝福を」


 ぱちんと指を鳴らしたネリネは、魔法陣を守るための結界を張った。その上で、夫の腕に抱きしめられた巫女から魔力をすべて抜き取る。がくりと崩れた妻を愛おしそうに支える男は、リクニスの長であり……巫女を裏切った共犯者だ。


「ありがとう、ございました」


「最後の術は陛下が施しますので、用意した部屋で待ちなさい」


 妻を自由にして、呪われた定めから解き放ちたい。そう願った男は、最後の夫となるべく行動を起こした。魔族の宰相に近づき、彼女の情報を洗いざらい話す。死を望んだ妻への裏切りであると知りながら、夫は協力し続けた。


 人間は欲深いですね。恋愛など邪魔な感情でしょう。そう考えるネリネは部屋を出る男の背中を見送り、口元を緩めた。


「最愛の妻を独占したい、などと」


 愚かで身勝手な願いだ。やはりリクニスの者達は魔族寄りの考えを持つのでしょうか。より生命力の強い方へ思考が引き摺られるのは、魔族の特徴でもあるのだから。


 理性でそう考えを纏めたネリネは、もう誰もいない閉ざされた扉を見つめ、ぽつりと呟いた。


「愚かですが……羨ましくもあります」


 己を犠牲にしても、世界を供物にしようと手に入れたい人がいるのは――きっと幸せなのでしょう。

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