121.秒読みに入った足元は揺らぐ

 リアトリスは砦の一室で目を閉じる。王太子となった弟は、きちんと白い布を巻いただろうか。砦の外では城壁を打ち据える槌の音が響いていた。


 城塞都市として、長くセントランサス国を守護した城が陥落する。この場所を得たとて、世界が終われば同じなのに。人間は略奪に精を出す。兵士や住民が逃げ出した家を漁り、誰かが置いて行った不要物を嬉しそうに回収する。


「なんと醜い生き物か」


「殿下も同様に思われますか。魔物以下ですな」


 バコパは、不安に瞳を揺らす幼子を膝に乗せる。妻が用意した白い布は、砦を守る全員に渡された。使うかどうかは個人の判断だ。夕方に「また会おう」と声をかけたバコパの言葉は、彼らの耳にきちんと届いただろうか。心まで染みたのか?


 堅く閉ざした城門を叩く破城槌はじょうついの音が大きくなる。耐え兼ねた城門の扉が軋む悲鳴が聞こえるようだった。


「落ちる方が早いか?」


 運がないと溜め息をついたリアトリスが見上げる空に、ばさりと羽ばたく影が現れる。思わず立ち上がって窓辺に駆け寄った。


「きたっ!」


「布を確かめろ」


 広間に集まった侍女や主だった兵士や家族が、一斉に互いの腕の布を確認して、自分の腕に視線を戻す。自分より先に愛する人の腕を確認する彼や彼女らは、街の住人を逃した後で最終日まで残った心の強い者ばかりだ。


 ガシャ、ギギャア……バタン。ついに壊された城門が倒れる音は、難攻不落と謳われたリキマシアの伝説の最後だった。侍女はきゅっと唇を噛み、祈るように両手を組む。兵士は剣の鞘を強く握り、怒りと悔しさを噛み殺した。


「聖女……クナウティア陛下」


 リアトリスの唇が、月光に照らされた少女の名を呼ぶ。まるで聞こえたかのように、彼女は砦を振り向いた。輝く黄金の瞳と目が合った気がする。瞬きした直後、転がされたような違和感に襲われた。咄嗟に目を閉じ、開いた時には魔王城の前にいた。


 転送された人々は、手早く移動を指示される。呆然としながら従う先に、指揮を取る女性がいた。銀髪の美女は、隣に熊のような男に何かを囁く。そして壇上から飛び降りた。


「セントランサスの賢者リアトリス様ですね。この場の指揮をお任せできますか?」


「あ、ああ」


「セージとクナウティアの母ですわ。もうすぐセージが来ますけれど」


 熊のようなルドベキアに連れられてリナリアは、城の中に姿を消した。代わりに城から出てきたのは、勇者となったセージだった。役職だけ与えられたとはいえ、彼の強さは本物だ。


 言い争いを始めた人間を数人殴り、喧嘩両成敗と言い放つ。駆け寄ったリアトリスに肩を竦め、壇上を指差した。


「まだ転送されてくるから仕分けてくれ。どうも同国出身者を一緒にすると、過去の因縁がどうとかケンカを始める奴が多くて困っている」


 端的な説明に頷き承諾を伝えると、多くの人の中からバコパを見つけて助力を請う。指揮官としての能力は彼に敵わない。地位を捨てた王子の願いを、辺境伯だった不敗の男は笑って引き受けた。

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