116.私も猫耳生える? 尻尾も欲しいの

 深夜の星空を舞う聖女クナウティアの話は、平民達の間ですぐに噂となった。賢者も勇者ももう魔族と和解したらしい。その噂の出所を確かめることなく、彼や彼女らは口の端に乗せた。


「僕達もそろそろ合流かい?」


「そうだな」


 各都市に隠れ住むリクニスの血族は、それぞれが根付いた街や集落に噂を撒いた。他人から聞いた風を装い、巫女ミューレンベルギアの通知をアレンジして広める。国が混乱しようが、滅びが迫った今は関係ない。仲の良かった家族が消え、普段買い物をしていた店が閉まるたび、残された民は不安に苛まれた。その背中を少し押すのが、リクニスの役目だ。


 そろそろ終わりにして合流予定だった。巫女から送られた最後の手紙を焼いて、纏めた荷物や家畜にも白い布を巻いた。


「お父さん、この子も」


「ああ、忘れずに連れて行けるように白い紐を結んでおやり」


 幼い娘が抱いた飼い猫を見て、父親は穏やかに微笑んだ。娘愛用のレースのリボンを巻いた猫は、大人しく喉を鳴らしている。可哀想だが、今夜は散歩をさせてやれないな。猫を抱いた娘を膝の上に乗せ、父親は隣の妻に微笑んだ。


 リクニスの血を引くことを隠すため、近所付き合いも気を遣わせてしまった。だがもう自由に生きられる世界が待っている。


「ずっと苦労させたな」


「いえ。承知であなたと結婚しました。この子も授かって、私は十分に幸せです」


 夕食を済ませた夜、幼い一人娘は猫の温もりをしっかりと抱いたまま眠ってしまう。窓の外は星空が広がり、街はしんと静まり返っていた。


 ばさりと大きな布がはためくような音がする。ここ数日、何度も聞いた音だった。窓に近づいて空を見上げれば、月光にピンクの髪を靡かせた聖女の姿がある。


 巨大な竜に乗ったその姿は、白く輝いて見えた。救世主という単語が頭に過ぎる。そして魔法陣が輝き、ふわりと意識が吸い込まれた。咄嗟に娘を抱き寄せ、妻と手を繋ぐ。


「お疲れ様、こっちよ」


「新しく合流した人を案内して」


 ほんの一瞬だった。目を開いた先の風景は違う。リクニスの者が先頭を切って、送られてきた人々を案内していく。白い布を巻いた人間達が、手招きされて異動を始めた。時々悲鳴が聞こえる。どうやら鱗や翼、爪などの特徴がある魔族と鉢合わせしたらしい。


 これから慣れていく。それが当たり前の世界に引っ越すのだから、居候が家主を見て悲鳴を上げるのは失礼というものだった。


「お母さん、見て! うちのミーと同じ耳の人がいる!」


 腕の中の娘が、メイド服の女性を指さした。魔王城の侍女は、猫耳と尻尾を持っている。


「人を指差してはいけないよ」


 そう教えた父親に頷いた幼子は、目をきらきらさせて訴えた。


「私もミーのお耳生える? 尻尾も欲しいの」


 その言葉に、きょとんとした顔で振り返った侍女がふわりと膝をついて視線を合わせた。伸ばした手で、そっと撫でてくれる。肉球がある手に気づいた幼女が「うわぁ、可愛い」とピンクの手を握った。


「いつか生えるといいね」


 子供の小さな憧れと夢を否定しないバーベナの微笑みに、母親は小さな声で礼を言った。小さな頃から当たり前の景色になれば、誰も差別されない世界が出来る――未来を信じさせてくれた幼子に手を振り、バーベナは立ち上がった。

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