41.魔王参上ゆえの惨状

 聖女クナウティアは伏せっていた。というのも、食べ過ぎて動けなくなったのだ。口を開けば何か出てしまいそうだし、鼻も押さえておかないと食べ物が溢れ出しそうだった。ベッドに倒れ込んだものの、これ以上動いたら惨事が待っている。


 兄も似た様な状況だが、何とかソファで姿勢を保つ。何か隠しているのかと疑いたくなる腹の膨らみは、まだ消化し切れていない証拠だった。ベッドに寝転がり、潤んだ目は瞬きするたびに涙を零す。苦しさからの生理的な現象だが、食器を下げにきた侍女は焦った。


 聖女と兄君が苦しそうだが、何より……10人前の食材が消えたのだ。まさか彼と彼女が必死に口に放り込んだとは信じられず、何かあったのではと青ざめた。うるうる涙で輝くクナウティアの若草色の瞳と目が合い、混乱に拍車をかける。


 慌てて人を呼びに走る侍女の報告に、顔色を紙のように白くした侍女長が走った。報告を受けた執事から国王まで話が抜ける。その間もクナウティアとセージは、込み上げる食べ物の圧力に耐えていた。近所の大食いのおじさんがこの場にいればよかった……そんな思いで顔を両手で覆う。


 もういっそ溢れさせてしまったら、すっきりするのに。そう願った彼らの思いを汲んだのか。窓の外が騒がしくなった。


 ばさりと羽音がして、窓から突き出たテラスが暗くなる。そちらを振り向くと、あれこれ溢れ出そうな2人は、動けぬまま固まっていた。


「……随分と胆力の強い者らのようだ」


 黒い影が何か告げても、セージは答えられなかった。胆力も何も、胃も腸も限界を訴えている。今の状態で動くのは、社会的な死を意味した。絶対にすべて出てしまう……上から。


 喉につかえた感触は、最後に無理やり放り込んだ果物だろう。それが上がりそうになるたび、喉の筋肉を総動員して飲み込む繰り返しだった。


「聖女は預かるぞ」


「きゃああ……うう゛」


 可愛い妹の悲鳴が途中でくぐもる。口を両手で押さえたクナウティアを、軽そうに抱き上げた紺の髪の青年はにやりと口角を持ち上げた。魔王シオン自ら乗り込んだのだ。王城を囲むようにして、翼を持つ魔族が飛び交う。塔や屋根に降りた者も複数見受けられた。


 聖女が力を持つ前に潰しに来たのは初めてだ。まだ対抗できない聖女は、哀れ囚われの身となった。


「まてっ、う……」


 聞き捨てならない言葉に、即座に反応して動いた兄セージが膝をついて……吐いた。声を出したのが致命的だが、動いた勢いとつかえた喉が開放されたことで嘔吐が止まらない。高価な絨毯の上に、まだ消化されない食べ物がけろけろと流れ出た。


 我慢できなかったことに衝撃を受けたセージは、立ち直れずに片膝をついたまま項垂れる。


「何者だ!」


「魔族だ、襲撃だぞ!!」


 後ろで騒ぐ衛兵や騎士の声に、なんとか顔をあげたが再び込み上げる吐き気に、剣を抜く余裕がない。ぎこちなく身を捩り、汚れた右手を服で拭って柄を握った。

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