18.優しい人が報われない世界

 あまり寝られなかったわ。クナウティアは朝日が射し込む部屋の中で、毛布に包まって欠伸をする。時々ドアにぶつかる音がしたり、女性の悲鳴みたいな甲高い声が聞こえた。


 サルビアは無事だろうか。心配で扉を開けようとするたび、彼女に言い聞かされた言葉が過ぎる。開けてはいけない。彼女が呼びに来るまで、この部屋にいなくては……己に言い聞かせて薄暗い部屋の隅に丸まった。


 身体のあちこちが痛い。この部屋は物置で、雑多に物が散らかっていた。当然眠れるベッドはない。奥にソファらしき物があるが、上に物が積まれて座れない。物置なのだから当然だけど、物を動かして寝られないか試した。上の荷物が崩れなければ、上に横たわることが出来たかも。


 とりとめのない思考の合間に、両親や兄達の顔が浮かぶ。きっと心配させている。夕飯の準備までに帰るって出かけたのに、まさか聖女に選ばれるなんて思わなかった。


 昨日聞いた話をまとめると、聖女は夜の商売らしい。蔑まれ、嫁に行けなくなる。だから手足や口を拘束されたのね。家に帰ろうとした私が、逃げたと思われたんだわ。


 教会に王太子殿下が迎えに来たけど、あれは何だったのかしら。もしかして王宮で、夜の商売をさせる気なの? 教会の神官は渋ってたわ。サルビアは夜の商売は女なら出来るけど、向き不向きもあると言った。


 私に適性があるか、確かめないと王宮へ渡せないとか? ぐるぐると考えが回るたび、夜の商売の正体が分からないため、何を求められるか怖くなる。


 蔑まれる……その単語で思い出したのは、街角で見た手足の一部が欠損した物乞いだった。戦争ではなく、犯罪を犯した罰だと聞いた。哀れっぽい声を出して、昼夜関係なく金銭や食事を願う。彼らは蔑まれる存在だと、兄セージは言った。手足がなくても仕事は出来る。しかし働かずに物乞いして楽をするのは、罰が無駄になっていると。


 もしかして、私も手足を切られるところだったのかしら? サルビアは手足があったけど、これから切られるんだとしたら。


 ぞくりと恐怖が背筋を走る。そのタイミングで、扉がノックされた。それからサルビアの声が聞こえる。


「お嬢さん、サルビアよ。起きてるかい?」


「は、はい」


 サルビアに言われた通り、中からつっかえ棒で押さえた引き戸を、ゆっくり開けた。にっこり笑うサルビアは、派手な化粧をしている。酒の匂いもした。


「ごめんね。遅くなってしまった。パンがあるから齧りながら帰るといいよ」


 硬いパンの間にチーズが挟んである。受け取って礼を言うと、少し迷ってブローチを外した。これは兄セージから貰ったお土産のひとつだ。大切な宝物だけれど、こうして匿ってもらった礼をしないのは気が引けた。


「あの、足りないかも知れませんが、これを」


 ぺこっと頭を下げて、サルビアへ差し出す。じっと見つめた後、穏やかな笑顔でサルビアが首を横にふった。


「貰えないよ。これはお嬢さんが大切にしてるんだろう? 綺麗にしてるからね。もし気が咎めるなら、次にここを通った時に10セントを放り込んでおくれ」


 10セントなんて、子供のお小遣い程度の金額だ。食事代だからとウィンクしたサルビアは、大急ぎでクナウティアを外の扉まで連れて行く。周囲を見回して誰もいないのを確かめ、優しく背中を押してくれた。


「いいかい? 本当はこんな場所、二度と来ちゃダメだ。あんたは大切にされる薔薇になるんだから。私らみたいな夜の蝶になっちゃダメだからね」


 泣きそうな顔で扉を閉めるサルビアに、何も言えなかった自分が悔しい。あんなに優しくていい人なのに、自分を貶すなんて。


 女神様の御加護があの人に多く注がれますように――クナウティアはそう祈って、荷馬車が到着する広場へ向かった。

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