第32話

卓球で最も現代的なカットマンの名を挙げるとしたらリ・ミョンスンの名は外せないだろう。彼女は名だたるカットマンを生み出した“あの”北朝鮮の代表選手である。鉄壁のカット主戦型をベースにチャンスと見るや猛然とスマッシュを打ち込むそのスタイルは、国際大会で『国民的卓球少女』福原愛や『レフティかすみん』石川佳純を幾度となく苦しめた事で知られる。カット一辺倒で相手に試合の主導権を渡すのではなく、相手の出方次第でドライブ戦型に切り替わるスタイルはまさに現代の『可変型』の始祖ともいえるだろう。ぼくはそのリ・ミョンスンのプレーを動画で研究し、なんとか自分のスタイルに落とし込めないか思案していた。そして今、その機会がようやく巡ってきた。


「ほう、カットマンスタイルに変えてきたか!」


ガッツとのラリーの途中、得点板に手を掛けた茸村先生がぼくのプレーに感心したように声を発した。対戦相手のガッツはその声に耳を貸さずにこれまで通り自然体であの古武術を取り入れた『異能ドライブ』の出しどころを探っている。…ここだ。何度目かのラリーでガッツが体を傾けるとぼくはラケットの裏で構え、相手の打球を待った。


相手の動きに惑わさずに、ゆっくりと腰を落として打球のコースを予測する。するとピン球はラケットのすぐ近くに飛んできた。いける。ラバーの表面を軽く合わせるとボールはすごい勢いで反転し、相手のコートに真っすぐに跳ね返り、それがぼくの得点になった。


「得点!本田モリアくん!11-8!なんとこれが10分ぶりの得点となります!」

「余計な補足情報付け足さなくていいから!」

「あきさみよー!今のやつ、ショージさん以外に返せると思わんかったさー!」


会心の一打が返され、ガッツは一度落ち込んで見せたがすぐに目をキラつかせてラケットを握り直した。「そうだ、卓球は面白い。夢中になれタツオミ」ガッツに対し、夢中になれ、と呪文のように茸村先生は繰り返し呟いている。


「きっとまぐれさ!カットにしただけで俺っちの技が見切れるとは思えんさ!」


さっきと同じような展開でガッツは『異能ドライブ』を繰り出した。だが、ぼくはいい加減、この技に慣れ始めていた。ガッツの使う『異能』の正体は言ってしまえば究極のチェンジオブペース。相手の球の出所がわからないなら無理に見る必要はない。ショットの後の球の終着点さえ掴んでしまえばリターンする事自体はそれほど難しくないとぼくはラケットで証明してみせた。


「得点!本田くん連続得点!タツオミ、足が止まってるぞ!」


くそ、っと前髪を搔きあげた後、ガッツは茸村先生の声に気が付いてその場で軽く足踏みをした。まだあの『縮地』を攻略できていない。ぼくはラケットを裏返し、ドライブの打ち合いに持ち込むと意識的にフォアからバックへ、急展開の打球を放つ。


「きたっ!」絶好球に声を上げたガッツの足取りを一つずつ目視で捉える。対角線上にその打球が返球されるとぼくは見たまんまのステップでその打球に腕を伸ばす。


「決まったー!本田くん、なんとなんとの3連続得点ー!」

「『縮地返し…』素人にこんなに簡単に真似されたら親父に顔向けできんさ…」


明らかに落ち込むガッツを見て「いい技だな」とぼくは得意げに鼻を鳴らす。ガッツの『縮地』は着地の瞬間に素早く床を蹴り上げて前に進むという“超短距離用走方”。ぶっつけ本番ではあったが原理が分かってしまえばそれほど難しくなく、卓球に運用しやすい技術のひとつだ。これを機にパクらせてもらおう。


「茸村先生、ありがとうございます。俺をこの勤体に招待してくれて」


ぼくが礼を言うと「あん?」と意図を汲み取らない返事が返ってきた。


「俺がこの場所に呼ばれた意味を思い出しました。ガッツ、ミックスダブルスのパートナーを務めるのに重要なポイントはなんだと思う?」


初めて彼をガッツという名称で呼んだ気がする。ひとつ年下のガッツは「俺っちそんなに勉強が得意な方じゃないからわからんさ」と答えた。そうか、なら答えはプレーで示してやる。試合が再開するとぼくはカットスタイルを基本に緩い球にはスマッシュで得点し、相手の危険な打球はロビングで時間を稼ぎ、左右に打球を打ち分けて相手を動かす卓球でガッツのミスを誘った。そして茸村先生が最後の得点を捲り上げた。


「得点!21ー11!ゲームウィン、本田モリア君!」


勝負が決まるとぼくは「うしっ」と虚空に向かってこぶしを握り締めた。公式戦では無いとは言え、卓球で誰かに勝ったのは久しぶりだった。敗戦のショックでがっくりとその場に膝をついたガッツに「ゲームルーザー!小笠原タツオミ君!」と茸村先生は強烈な煽りを浴びせている。あんた、本当に教育者か。


「ぐそっ、何もそこまでいじめなくても…ぐすっ」

「ガッツ、お前・・・泣いてるのか?」

「泣いてなんか、うぅぅう~~」


声を上げて泣くガッツを見てぼくと茸村先生は呆気に取られてしまった。彼は本気でくらげのダブルスパートナーに立候補するつもりでぼくに勝負を挑んでいた。その願いが叶わず、感情が溢れ出してしまったのだろう。「おーよしよし。先生ちょっと言い過ぎた。悪かったよ。今のは先生が悪かった」


茸村先生がガッツをなだめ、なかなかカギを返しに受付に来ないぼくらを見かねた担当者に事情を話して卓球台を片付けたりしていると、ようやく泣き止んだガッツに茸村先生が優しい口調で言った。


「おれがなぜ、くらげのパートナーにおまえじゃなく、本田くんを選んだか分かっただろう?彼は状況に合わせた最適なプレイングを選択できる。それに敵だけじゃなく味方に対する配慮も忘れない。団体戦で双峰をあと一歩まで追い詰めた試合を知っているだろう?彼ならくらげを任せても大丈夫だ」

「うう、わかったよタケカン。…モリアさん!」


急にその場から立ち上がって声を上げたガッツを振り返る。


「俺っち、今のままじゃお姫にふさわしい男じゃないって分かったよ!ドライブだけじゃカットマンには勝てないって事もね!明日から部活に戻ってイチから卓球を頑張ってみるよ!あんたの口からお姫のパートナーに推薦されるような卓球男になってやる!」


ぼくは歩み寄って彼に握手を求めた。それに応じて右手がぎゅっと握られる。


「くらげの事が好きなんだな。その気持ちと今言った言葉を忘れるなよ」

「ああ、一度行き合えば兄弟さ。お姫の事、あんたにお願いするさー」



――次の日、ガッツは勤体に姿を現さなかった。スコート姿のくらげと基礎連を繰り返し時間一杯まで戦術確認を繰り返す日々が一週間続いた。


「なんだか私、少しずつ卓球が上手くなっている気がしますわ。本田さんのお陰で」


バスを待っている時にくらげがそう言ってくれた。ぼくの力で彼女とミックスダブルスの優勝を勝ち取れるだろうかという不安はあった。でも「ここまでやってきたし後は対戦相手とのくじ運に任せるしかないや」という練習への充実感もあった。


大舞台特有の高揚感を沈めながら毛布をかぶって眠りにつく。

そして大会当日の夜が明けた!



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