第19話
「ルールは11点先取のワンゲームマッチ。大会ルールで戦ってやれないのは残念だがこっちはもう引退した身だ。先輩を労われ。それじゃ、はじめよう」
マツさんが卓の前に着き、ぼくはピン球を握る。体育館のドアが開いてマネージャーの田中と里奈がどたどたとこっちに近づいてきたのを感じる。ぼくはそこから視界をきるように王子サーブを打ち込んだ。
「得意の速攻はどうした?マジェスティでこいよ」
短いリターンをチキータで得点したぼくにマツさんが挑発を向けてきた。お望み通り。ぼくはマジェスティと名前を付けたボールに縦回転を付与して変化を加えたドライブを操る台上テクニックをOBの前で披露するとそれと同じような変化を持った打球が返ってきた。
「現役時代と変わらない切れ味で驚いたか?オレのサーブね」
アウトになったボールを拾い上げてマツさんは巻き打ちサーブを放つ。ぼくのマジェスティにマツさんがぶつけてきたのは『アクセラ』と彼が呼んでいる台上技術。ボールに細かい横回転を付与し、ラケットの手前でドライブが変化する厄介な技だ。ぼくはその打球に縦回転を掛けてドライブを放つ。マツさんがリターンする。ラリーが始まった。
「すげぇ…」
「まるでピンポン球がテーブルの上で踊っているみたい…」
「シアャ!」
後輩とマネジャーの感嘆を割くように打たれたドライブが決まるとマツさんが高い声で軽く吠えた。この得点でマツさんがリード。先輩に花を持たせる気はさらさらない。ぼくはラケットを握る手に力を込めた。
「さぁ、ここでモリアくんにクエスチョン」
ピン球を弾ませながら器用に指を立ててマツさんが問題をかけてきた。
「あまたの強敵を屠ってきたこのアクセラ。実は致命的な弱点を抱えています。それを今から回答してもらおうか!」
言い終わるが先か、次のサーブが打ち込まれる。ぼくはドライブを相手のバックに集めてフォアに持ち替えた瞬間を見極めてフォアにスマッシュ。得点が決まり、テニスのボールボーイのようにボールを拾いに走り出した田中を見て「ピンポンピンポーン。…卓球だけに!」とマツさんが口を横に開いて笑う。
「実はこのアクセラ。発動者の戦型の都合上、バックで横回転を掛ける事ができません。それが団体の決勝戦で負ける理由になってしまったんだけど、おまえたち後輩にはそんな思いをさせたくない。だから教訓としてこの技を先に見せた。後輩思いのなんて優しい先輩だろう!」
「教育は分かりますが、もっと真剣にやってもらえませんか」
立場を忘れて先輩に憤る。ゆるんだ空気がピリつくのを感じると「年長者の話は最後まで聞くもんだ」とマツさんの声色が変わった。
「ほかにも技を見せてやる。さあ、早くサーブを打てよ」
同点になり、ぼくのサーブ。ドライブの応酬を見通してロングに打ったが相手は台上に詰めてきた。衝撃の新技は4球目に出た。ミドルに打ち込まれたボールに背中を向けていたマツさんが反転してカットのような打ち方で強い回転を付与してはじき返す。ボールは自陣でワンバウンドした後、逆回転してネットに吸い込まれていった。
「すげぇ!なんだあの技は!」
「あんな打球を打ち込まれたらリターン不可能だ」
驚くギャラリーを尻目にふー、とラケットで顔を仰ぐながらマツさんはぼくに向けて言った。
「スピードボールの勢いを殺し、回転による反動を加えたカットスライス。180《ワンエイトオー》 サイクロンとでも名付けようか」
かなわないな。額の汗を拭いながら気づかれないようにして笑った。まさか中学生活のすべてを賭けた大会の後に新技を編み出して披露してくるなんて。卓球に対する深い愛情を感じるが、このゲーム、まだかなわないとは思っていない。仕掛けるなら今だ。場の空気が浮ついているこの瞬間を狙って、次のショートサーブに飛びついてツッツキを打ってやった。
「あれは!すばるの『聖剣』じゃねぇか!」
バウンドの瞬間、ケンジが叫んだのが聞こえた。タイミングを見計らった一球だったがマツさんには読まれていた。このボールを羽根つきのようにポーンと拾いあげると頭を超えたその打球が無人のコートにゆっくりとバウンドして消えていった。拾いに来た田中と目が合い、笑われる。…屈辱的である。
「何年一緒に卓球やってきたと思ってるんだよ。ここで絶対に仕掛けてくると思ってた。負けず嫌いのモリちゃんだったらね」
見透かされていた。悔しくて鉄の味が染み出るくらいに唇をかみしめる。「必殺のセイバーは相手に読まれると一転、ただのチャンスボールになる。150年続く世のフットボールのキーパーがなぜ前線にオーバーラップしないか、わかるかい?強引に流れを変えようとする奇策にはそれ以上の多くのリスクが付きまとうものさ」
その後もあれよあれよと失点を重ね、気が付けばマツさんのマッチポイント。「マッチでーす」調子づいた他の部のギャラリーのひとり(たぶんバスケ部の神谷)が往年のアイドルの真似をしている。それに付き合わずぼくはサーブの捕球体制に入る。
「久しぶりに真剣勝負ができて楽しかった。進路先では部に入るつもりはないけど、またちょっと興味が出てきた」
「まだ試合は終わってませんよ」
強気で球の出どころを探る。予想した通りロングにサーブが出るとこれをロビングでリターン。すると縦回転を加えたドライブが飛んでくる。よし。マツさんの位置を確認してぼくは台の下に左足を滑り込ませる。そのまま台に衝突する手前まで加速してその打球をチキータではじき返した。
「体ごとぶつける!…ッツ!」
「ふー、まだ未完成の技のようだったね。モリア」
肩を入れて全身の力を込めて放ったチキータがマツさんのサイクロンによって返された。跳ねるピン球の音を聞きながらぼくは「負けました」と正直に認める。「これで教えられることは全部だ。それじゃ、またな」ギャラリーの拍手が鳴りやまない中、握手を交わすとマツさんは荷物を抱えて体育館を後にした。その足は痙攣して震えているように見えた。
「あの人、引退後もずっとひとりでトレーニングを続けてたのよ」
里奈が歩み寄ってきてぼくに小声で言った。
「青春のすべて捧げた最後の大会があんな形で終わったら、もう卓球の事なんて思わないじゃない。でもあの人はこの一か月、誰にも言わずにラケットを振り続けた。部長の座を譲り渡した、あんたと戦うために」
それを聞いて涙を禁じ得ず、ぼくは更衣室の影に引っ込んで声を押し殺して泣いた。マツ部長、ありがとうございます。この恩はぼくが卓球部を率いて全国で優勝して返します。胸の奥に太い、大きな絆が結ばれた感覚が湧き上がる。こうして歴代から続いてきた偉大なる世代のバトンはぼくに引き継がれたのだった。
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