マンマ・ミーア2

 ノーノは若く美しい女だったが早くに結婚をしてしまいその美貌を持て余していた。

 ノーノが嫁いだ相手はホルストの議員で、歳は一回り違う。地位も金も名誉もあり、必然、彼女にも相応のステータスが付与されたのだが、それ以上のものは満たされなかった。歳の離れから異性としての魅力は感じられなかっただろうし、交わす会話全てが、どこかズレているような感じがしていた。また、相手の方にしても、それこそステータスのために顔がよく若い女を娶っただけで、愛があるようには思えなかった。本来政治家は、ノーノのような女は愛人としてキープしておく事が異星の常だが、彼は貧民の出身のせいか政治家としての完成に欠けており、さっさと籍などを入れてしまったのである。外見は永遠ではないと思うと、一番美しいうちに独占したいと考えたのだろう。ノーノの方も身分不相応の権力を得られる事に舞い上がってしまい、特に考えもなく婚姻書にサインを書いてしまった。それが燻りの始まりである。

 結婚して一、二年は互いに遠慮もあったし、不慣れなせいもあってか不満は抑えられているように見えた。恐らく、状況の変化により考える余地がなかったのだと思う。男は嫁の若さを自慢して回り、ノーノは金と地位を存分に乱用して皺が刻まれないような生活を送っていた。しかし三年が経過すると次第に関係の悪化が目に付くようになる。いつもどこか上の空のノーノに男は不貞を疑い感情的になる事もしばしば。ノーノもノーノで、「金と権力しかないくせに」と陰で罵倒するようになっていった(まぁそれ以前から口に出してはいたが)。だが互いに別れるわけにはいかない。双方にも面子があり、見得があり、生活があるのだ。離別すれば世間の嘲笑は避けられず、積み重ねた虚栄が崩壊するとなれば、おいそれとは決断できないだろう。滑稽であるが、社会とはそういうものだ。


 それから一年が過ぎると、男の疑心暗鬼によりノーノは外出を禁じられた。それが逆効果であると気付かない男に対し、彼女は冷めた目をして「はい」とだけ答えた。

 檻の中の鳥となったノーノは専らテルースの中で時間を過ごした。許可を取れば外に出る事もできただろうが、半ば意地となっていたのか、彼女は自分から「どこかへ行きたい」とは言わず、ずっと屋敷に閉じこもり鬱屈としていた。広い室内では十分に身体を動かす事ができたし、食事も美容も専門のスタッフが在中していたが、外に出ないというストレスは堪え難いものであり、彼女を仮想世界の住人とするのに十分であった事は、察するに余りある。

 しかしそんなテルースの世界も彼女に満足を与えるものではなかった。ホルストのサーバにいる多くの人間はユピトリウス教徒であり、宗教色が色濃く反映されていた。無宗教のノーノは辟易としながら聖歌の響くカフェでコーヒーを飲んだりデータで構築された風景を見たりしてうんざりするばかりであった。無論、ユピトリウスがいない区画もあるが、制限が掛けられアクセスする事はできなくなっている。

それでもなお彼女がテルースにいるのは、現実よりも息苦しくなく、また、僅かばかりの愉悦を体感できたかからかもしれない。アバターを使用していない彼女は男達のリビドーを刺激し視線を一身に集めていた。その様子は破戒の渦と形容してもいいよな、背徳的な印象を与えた。

 が、そんな事をしていても心に空いた隙間は埋まらないようで、ノーノはいつも不機嫌だった。どれだけ男の性欲を掻き立てても宗教上の理由で彼らがノーノに声を掛ける事は稀だったし、あったとしても神の言葉だの奇跡の詩の一節などを唱えるばかりで、より一層彼女の表情に虚無を彩るだけであった。宗教では渇きは癒えず、飢えは収まらない。欲望と快楽のみが彼女の血肉となる。それが得られない日常は、ノーノにとっては苦行に等しい毎日であっただろう。

何もかも手に入れる事ができる身でありながら何もできないノーノはある日、テルースのユピトリウス教区画に店を構えた。名をdevoutといい、表向きはカフェコーナーもある雑貨屋で従業員は数名。ノーノに頼まれた議員が用意し、屋敷に在中させている女達である。

 昼間、Devoutには多くの客が足を運びそれなりの繁盛を見せていたのだが、それはあくまで表の顔である。店には深夜、限られた人間達により、地下の広間で集会が行われていた。クスリ、タバコ、酒、セックス、なんでもありの背徳的な催しが、ノーノの手によって開かれていたのだ。これらはノーノが金を使って仕入れたプログラムである。完全な違法であるし、何よりユピトリウスの教義に反するものでm事が露見すれば無事ではすまないだろうが、彼女はそんな事少しも恐れていない様子であった。自分だけは無事だと思い込んでいるのか、それとも覚悟しているのか、真相は定かではない。


 夜のDevoutに集まる人間の素性は誰もしらない。皆アバターを用意して、何処の誰かは分からないようにしている。しかしノーノだけは違った。彼女はアクセスを解析しアドレスを取得。それを、雇ったプログラマに渡して個人情報を特定するに至る。すると中には、彼女と結婚相手である議員以上の大物が多数確認できたのだった。


 そのデータを使って彼女が何をしたのか定かではないが、数年後、彼女はこれまでの束縛が嘘だったように人生を謳歌していた。もう彼女はテルースにアクセスしていない。現実において欲望の限りを尽くし、晴天の面持ちを浮かべている。それとほぼ同時期に、ホルストの人々もテルースから現実へと戻ってくるようになった。これも理由は不明だが、ただ一つ言える事は、どれだけ現実に近づこうとも仮想は仮想であり、決して埋められないものがあるという事だ。生物はやはり、物質世界で生きていくしかないのである。

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