国を見つめて7
パイルスは一向に口を開く気配がなかったがキシトアは構わずに話を続ける。
「諜報員と同じ経路で流れてきた報告書があったが、あれは貴様が寄越したものだろう」
「……」
「おかしいとは思ったのだ。内容においては非の打ち所のないくせに、無駄な改行やスペースが所々に差し込まれている。不自然だなと思い読み返してみれば、浮かび上がる“おもりはつかれた”などという一文。貴様、これは俺に対する苦言だな?」
「……」
「まぁ分からんでもないがな。確かに、近頃の俺は少し陰が差していた。だがそれももう完治よ。今後はトゥトゥーラをよりよく導く所存だ」
「……」
「それと、貴様の代わりは引き続きエティスにやらせるつもりだ。あれはあれで実によく行働く」
「……」
「貴様とは長い付き合いであったが、まぁ、こんな形で最期を迎えるのも悪くはない。人生というのは往々にして思い通りにいかぬものだし、カタチある物もない物も、変わっていくものだ。だからこそ人は新たな道に進む事ができるし、過去を払拭する事ができる。これから俺は、もう過去を振り返って俯いたり、失ったものを惜しみ溜息を吐いたりはしない。我は我としてただ進み、国を治める。故に、貴様も心配せず逝くがいい」
「……私は、最初から心配などしておりません」
続いていた沈黙が破られ、パイルスは語る。
「私はずっと貴方を信じてきましたし、国の未来を考えておりました。トゥトゥーラのために自分が何をすべきか常に考え、より多くの国民の幸福のために働いてきたのです。此度の事もそう。私も貴方と同じく、自身がなすべき事を行ったに過ぎません。今こうしているのもその結果であれば、一つの憂いも心残りもない。あるのは国の先行きに対する不安ばかりでございますが、貴方を見て安心いたしました。どうぞ、トゥトゥーラをよろしくお願いいたします」
パイルスの口から発せられる声には裏も思惑もなく、ただただ流暢で美しく、そして、儚くも強い意志と信念が込められていた。彼は最初から自身の死を計算に入れて動いていたのである。自身の死によって、混迷極める国家の情勢を抑えんと考えていたのだ。
「……俺は、貴様を殺したくない」
反対に、ぽつりと出されたキシトアの本音は悲嘆に暮れていた。自身の不甲斐なさ、弱さにより絶対的な信頼を寄せる人間を死なせなくてはならなくなったのだ。辛苦の重さ、痛さは想像もできない。だがそれでも、キシトアはパイルスを殺さねばならない。
「私が死ななければ、私の行動が全て無駄となります」
反逆者の汚名を被り死ぬ事によってはじめてトゥトゥーラの規律は誇示される。国の秩序を乱す者は法に基づき相応の罰を受けねばならない。パイルスは自らの命でそれを伝えようとしていたし、キシトアもそれを承知していた。
「キシトア様。私は貴方に仕えているのではございません。国に仕えているのです。その事、努々お忘れなきよう」
「……心得ている」
キシトアの声はいつもの様子に戻っていた。先に言ったように、彼はもう悲しみに躓いたり立ち止まったりはしない。自身に定められた役に従じ、命を捧げるだけである。
「パイルス。これまで大義であった。後は我に任せ、潔く死ぬがよい」
「御意」
パイルスが処刑されたのはその翌日の事であった。磔となり銃殺される場面は衆人環視の中で行われ、逆臣の死によって人々の中で反乱劇の幕は閉じたのだった。無論、それで全ての問題が解決したわけではない。未だ現政権に批判的な者もいるし、ドーガの影もある。だが、それでもキシトアはトゥトゥーラを導かねばならない。それがパイルスと最後に交わした約束なのだから。
「キシトア様。お客様です」
パイルスが死んで一か月がった頃、執務室にノックもせず入ってきたエティスは不躾にそう言った。しかし、どこか機嫌がよさそうというか、ニヤニヤと頬を緩ませている。
「今は忙しい。後にしてくれ」
「駄目ですね。今お会いになってください」
食い下がるエティス。キシトアは書類に目を落としたまま眉間に皺を寄せた。
「……なんだ? 誰が来たんだ?」
「それは直接お目になってください。きっと、お喜びになられますよ」
エティスはそう言うと、「どうぞこちらへ」と客を招き寄せた。キシトアはしぶしぶといった様子で資料から顔を上げ扉の方を見ると、そこへ現れた人間の姿に驚愕するのだった。
「……バンナイ殿!」
死んだはずのバンナイことハンナが、そこにいるのだ。
「キシトア様。バンナイ・アイは海へ落ちて死にました。今ここにいるのは、エシファン商人の娘。ハンナです」
そう述べるハンナの恰好は確かに女性の物であった。胸の膨らみも純白の肌も隠さない、女性そのものを現す衣裳に身を包まれているのである。
「いったい、何が……」
「話せば長くなるのですが……」
ハンナによると、転落後、予め工作しておいた船底にある排水用の穴から船に侵入。用意していた作業員の服に着替えて変装を施し、自身の死を偽装。その後は違法なルートでトゥトゥーラ行きの船に乗り込み、今しがたようやく到着したとの事であった。
「国の方は、大丈夫なのですか?」
「優秀な人間がおりますので問題なく。後人の育成をしっかりとやってきましたので」
「しかし、戦後の混迷期に……」
「戦後の混迷期なればこそでございます。のうのうとしていては人は動きません。動かなければならない状況に置かれて、初めて相応の働きができるようになるのです」
半ば詭弁のような気もするが一理はあるように思える。まぁ、彼女にしてみればどちらでも問題ないだろうが。
「これでようやく、キシトア様とご一緒にいられる事ができます!」
「……」
「キシトア様?」
「……あぁ、すみません。そうか。生きていてくれてよかった」
キシトアはどうも素直に喜べない様子であるが、よく考えてみれば当然であろう。なにせ彼女が死んだという報告がパイルスの死における遠因となっているのだ。その心情は複雑に違いない。
「……あの、ご迷惑でございましたでしょうか」
不安な顔をするハンナ。キシトアははたとして我へと返り、頭を振った。
「まさか! 長い独身生活にようやく終止符が打てると思うと、つい呆けてしまいました」
「……左様でございますか」
「そうですとも。ハンナ様。これから、是非とも永久に、よろしくお願い致します」
「……はい! こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
こうしてハンナと第二の人生を歩むようになったキシトアは以後酒を断ち、国と民と、そして家族のために身を粉にして政務に勤しんでいった。その結果、死後聖人大統領と呼ばれるようになるのだが、それはかなり、先の話である。
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