国を見つめて1

 トゥトゥーラにおける反体制運動はこれまで少なからず見受けられたが奴隷戦争に際しその数は急増し、空爆の決行が油を注ぐ形となった。


「人間の尊厳を踏みにじるな!」


「自由を奪うな!」


「何のための戦争だったんだ!」


 戦争が終結しても批判は止まらず、デモは連日続いた。キャンバスの前に集いキシトア政権を批判するのはほぼ全員ガーディニティの人間である。彼らはキャンバスに石を投げたり、政府関係者に対して侮辱的、差別的な醜聞を発表したりしてとことんまで陥れようとしていた。精神の拠り所として取り入れた宗教が矛となり襲い掛かる様子はできの悪いデカダンスのようである。

 こうした過激派は主流ではなかったが、少数といえども熱を帯びた民衆というのは多くを巻き込んで肥大化し、国全体を呑み込むものである。連日巻き起こる暴動に感化された穏健派や中立派の数も決して少なくはなく、トゥトーラの市中は混沌たるアナーキーな地帯ができ始め分裂の危機に直面していたのであった。非暴力主義者による暴力的行為から生じる混乱というのは中々どうして皮肉が聞いているが笑えるものではない。結局のところ彼らは自身の都合だけを押し付け、それに反する者を排斥したいだけなのである。都合のいい平和主義もあったものだ。

 もっとも、このガーディニティの暴動が何者かによって仕組まれたものであるのは想像に易い。トゥトゥーラにおいて最大の発行部数を誇る新聞『ブライト』は当初右寄りの立場を示していたが、ある日を境に国の方針に対して批判的な記事を記すようになる。それはキシトアが大統領になったすぐ後の事であり、また、これまで好意的だったキシトアへの評価も一変して扱き下ろすようになっていったのだった。ブライトを発行するピュア社の帳簿に莫大な粗利益が計上されたのも、同じ年のでき事である。

 ムカームはこの動きを当然把握していたが、特に取り締まりなどはしなかった。諸々と法に抵触しそうな案件ではあるが、トゥトゥーラにはメディア規制が敷かれておらず、根拠もなしに罰する事ができなかったのだ。




「困った」


 ムカームは執務室で茶を眺めながら腕組みをしていた。冷え切ったティーカップの湯気は落ち、葉の破片が水を吸って沈んでいる。


「これはれっきとした反乱です。法を適用し、治安圧を行いましょう。このままでは国家の治安が損なわれ、トゥトゥーラは中から腐敗していきます」


 パイルスはいつにもなく強い口調であった。国民の信によって立ったキシトアが、その国民によって窮地に立たされている事に危機感を抱いているのだろう。彼の思想において、国民感情は優先すべき事柄であるが絶対ではなかった。民の意思によって担ぎ出されたキシトアの首を簡単に挿げ替えるような社会となってはトゥトゥーラは衆愚政治国家と成り果て劣化の一途を辿ると考えているのだ。その思想について賛否を述べる気はないが、部分的には正しいようにも思える。しかし、部分的には間違っている。キシトアにおいてもその点は把握しており、簡単にパイルスの意見を呑むというわけにはいかなかったのだろが、それにしても、以前のような力強さは感じられなかった。


「国は民によって立っている。俺は民の代理人であり実行者に過ぎん。民が不満を抱えているのであれば解消しなければなるまい」


「キシトア様。無差別、無尽蔵の慈悲は毒となります。駄々をこねる子供になんでも買い与えては生来真っ当な大人にはなれません。国民とは国家の子供なのです。それを考えますれば、此度の騒動は国民の父として叱り、躾けねばならない事態でございましょう。どうぞ今一度お考えの上、十分に対処される事を望みます」


 なおも食い下がるパイルスであったが、キシトアは一瞥もせず、座ったまま静かに答える。


「トゥトゥーラは自由の国だ。それを覆してしまっては礎が崩れる。破壊行為や暴力行為は看過できんが、真っ当な手段で訴えている人間を捕まえて黙らせる事などできはしない」


「キシトア様……」



 参戦して程なく、キシトアは急激に老け込み態度を軟化させていった。かつての覇気はなく気弱で、頼りない雰囲気が漂う。度重なる心労が祟り心に影が差したのか、それともアルコールの過剰摂取により鬱傾向となったか。本人は何も口にしなかったが、ともかくとして、この頃のキシトアは少々リーダーたる態度が欠けていた。口では国民の自由意思を阻害できないとしているが恐らくそれは方便で、単純に気力がなかっただけであろう


「……分かりました。それでは、引き続き静観といたしましょう」


「すまないな。迷惑をかける」


「……」


 キシトアがパイルスに謝罪を示すなどこれが初めてだったかもしれない。これまで傲慢不遜、大胆不敵、唯我独尊を貫いてきた男にとって、考えられない事態である。


 これに対して、パイルスは一瞬怒りの表情を見せキシトアに向き直った。


「申し訳ございませんが、しばし暇をいただきます」


 既に語気は平時のままで目線も定まっていたが、明らかに様子が違った。彼の胸には言いようのない感情が、失望や落胆に近いがいずれにも当てはまらない、決意めいた心の炎が熱を発し、不穏な兆しを表していた。


「それはかまわんが、何か用でもあるのか?」


「野暮用でございます。しばらくおりませんので、私が不在の間はエティスをお使いください。それでは、お元気で」


 パイルスは部屋を出ていき、冷めた紅茶を変える者はいなくなった。外からは相変わらずデモの声が聞こえ騒がしく、時に窓が震えた。だが、キシトアは気に留めず溜息を吐くばかり。まるで抜け殻である。


「……」


 そんなキシトアが懐に手を忍ばせて出したものは、以前ハンナから送られた彼女の髪の束であった。


「……」


 キシトアはそれを無言で撫で、目を閉じた。執務室の中は変わらず、静かで、独りである。

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