ヨッパライの帰還9
程なくして現れたバンナイ、いやハンナは浮かない顔をして大統領執務室へと通された。
「どうもハンナ殿。会議ではろくにご挨拶もできず申し訳ございません」
「……いえ、こちらこそ有益な発言もできず」
「いやいやそんな……お立場もございますので……」
「はい……」
「……」
「……」
沈黙が流れる。両者ともに気まずそうに指を動かしたり足を動かしたりして忙しない。いったいどうしたとのいうのかこの雰囲気は。見ているだけで息が詰まる。
「恋愛模様も人類史に花を添えるドラマですね。熾烈な生存競争や文化の発展も勿論面白いのですが、他人の恋路もまた乙なものです。いやぁロマンス。アモーレ」
モイがエナジードリンクを差し出しながら気持ちの悪い事を言ってきた。心なしか、ストロー越しのドリンクがいつもより甘い。
「お前が色恋沙汰に興味があるとは知らなかった」
「心外でございますね石田さん。それはありますよ。なんといっても人の歴史は恋愛の歴史と言っても過言ではないのです。下等生物から進化、成長するにつれ、徐々に感情が高等となり、複雑な心、心理が芽生えていく。単に強い、生きる力のある個体ばかり求めていた生物はそれ以外の要因を求め、果ては生物の存在意義である交尾や繁殖まで放棄し独自の価値観の元、愛という命題における真理を得んとする個体まで出るのです。これは生命への反逆であり、また革命でもある。石田さん。貴方がいた地球では恋愛に対するスタンスやロジックはまとめて恋愛哲学などと陳腐な呼ばれ方をしていましたが、これは重要な事なのです。人の数だけ恋や愛の形がある。それは人間が持つ魂の形であり、決して同一のものは存在しない固有の概念。長い歴史を覗くうえで、これほど好奇心がそそられる対象もないでしょう」
「なるほど。ゴシップ紙を読み漁る人間の気持ちが少し分かったよ」
「石田さんはまともな恋愛経験をしていないからそう捻くれているんです。この星の創造が終わったら、婚活パーティーにでも出席してみたらどうですか?」
「年収は最低一千万。学歴はMARCH以上で高身長。ハゲデブでなく決して怒らず、家事を進んで行い料理が美味い二十代男性が求められる世界はちょっと難易度高くて俺には無理だな。年齢しか条件を満たせていない」
「それもステレオタイプというか、モテない男性の卑屈な侮蔑ですねぇ……いつまでもそんな拗らせかたしていると平面にしか相手にされない人間になってしまいますよ?」
「生憎と俺はギャルゲーをあまりやらんのだ。しかし、そんな人生もいいのではないか? お前の言う、交尾も繁殖を放棄した、生命への反逆であり革命的な恋愛になると思うのだが」
「言語化はできませんが、それは詭弁というか、欺瞞な気がします」
「……まぁ、どうでもいいさ。本人達が満足ならそれでいいだろう」
「それは腑に落ちる。一理ありますね」
俺は空になったエナジードリンクの入れ物をモイに渡し改めて半生を思い返してみたが、残念ながらやはり女との思い出などなく、見事に孤独なのだった。「親しい女性はいますか」と問われたら「いません」と答えるしかなかい。最も親密な女だった母親さえ、今は死んでいる。ほとほと女に縁のない人生だ。まぁ、自慰行為すら億劫な俺には伴侶など必要ないのかもしれないが。
おっと、これは下手をしたら女性軽視に捉えられるかもしれんな。人の前では口にしないようにしなければ。話す相手がいないという点については概ね認める。
しかし、一般的に男女がそれぞれ番になりたがっている事は理解している。人は誰かに求められたいし、また求めたいものだ。キシトアとてそれが例外ではなかったという事だろう。ムカーム辺りはどうなのか知らないが。
「あの、ハンナ殿……」
キシトアがそういうや否やハンナは泣き出し、大粒の涙をホロホロと床に落とし始めた。動揺するキシトアはハンカチを渡し「どうなされましたか」としどろもどろに伺うも返答はなく、ただ嗚咽と落涙の音が二人きりの部屋を満たしていく。
「な、何か私が、失礼な事でも……」
「……」
「もし、そうであれば申し訳ない。その、慣れていなくて……」
「いや、女性との交流は勿論あったのですが、その、恋愛というか、結婚、婚約というのは経験がなく……婚約者に対してどうしたらいいのか右も左も……」
「違うのです……違うのですキシトア様……私……」
「ど、どう違うのでしょうか……」
「私、ずっと不安だったのです……キシトア様がエシファンを発ってから、ずっと怖かったのです……私の事など忘れてしまったのではないかと……他の魅力的な女性と一緒になるのではないかと……それで、確認しようとここに参ったのです……本当に私と生涯を共にしていただけるのか……迷惑じゃないですかと……」
「迷惑だなんて……」
「はっきり言っていただいて大丈夫です……私はこれまで女らしい事など何一つできず、ずっと男の世界で生きてきました。魅力のない、つまらない女です。いえ、女とも言えないでしょう……そんな人間を、キシトアが断れないと知りながら、貰ってほしいと頼んだのです。なんと卑怯で浅ましい事か……さぞ軽蔑されたと思います。私も、そんな自分が今になって許せないのです……ですので、何の憂慮も必要ございません。ただ私に対して、婚約はなかった事にしたと、それだけを言っていただきますれば……」
涙に染まったハンナの顔を見たキシトアの鼓動が、一瞬大きくなった。
「ハンナ殿。私は、貴方に伝えてない事がございました。是非聞いていただきたい」
「……なんで、ございましょうか」
「私は、今まで恋などしてきませんでした。女性と真似事のような関係を持った事はございますが、それまで。生涯を誓うといった間柄にはなりませんでした。しかし、私はたった数回、数えるほどしか言葉を交わした事のない貴女に、胸をときめかせているのです」
「……」
「ハンナ殿。どうか、私の側にいてほしい。どれだけ月日がかかろうとも、どれだけ障壁があろうとも、必ず共になってみます。そして、公私において、力になっていただきたい」
「……」
「どうぞ、私と結婚していただきたい」
キシトアの求婚は、彼の人間としての芯が露わとなった、真っ直ぐなものだった。何者を演じるわけでもない、そのままの、誰にも見せた事のない素顔の、キシトアという一人の人間が、世界に立って、真の言葉を発したのだ。
「……キシトア様……あぁ……キシトア様!」
キシトアとハンナは互いを抱擁し、涙を拭いあった。先まで哀色に染まっていた執務室は愛色となり、弾けるような感情に埋め尽くされている。
なるほどこれが愛か。確かに少しだけ羨ましい。
俺はそんな事を思いながら、今後二人が夜を共にするようなら覗き見は控えようと誓った。
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