逆襲のシシャ29

 キシトアとエティスの別れはしめやかに行われた。

 雨季に入りつつあるリューイの港は小雨に見舞われ波は時化気味。遠方は白くぼやけ水平線が滲んでいる。見送り出たのは三名。ワザッタとハンナ。そして赤壁の給仕長である。彼が何故出てきたのかといえばキシトアが大物であるという事と、最後の最後に盛大に中小してやろうという目的のためであった。

 この三名はあくまで公に記録されている人数であり、非公式に訪れた人間は多くいた。いずれも、ムカームの息がかかった人間であるのは言うまでもない。




「世話になった。また来るから、部屋を空けておいてくれ」


「次回は宿をおとりになっていただけると」


「つれない事を言うな。何度も酒を酌み交わした仲だろう。俺達はもう仲間だ。仲間の誘いは断れないぞ」


「……」


 ワザッタの笑みは頭に苦と愛想とかが付く類であったが満更でもないというものであった。互いの立場はともかく、どこか気の合うところがあったのは疑いようがないだろう。キシトアがドーガにいれば、あるいは、ワザッタがリャンバにいれば、二人の間柄はまた違った形の絆を結んでいたかもしれない。歴史にifを付けるのは野暮な話であるが。



「キシトア様。良い経験をさせていただきました。今後ともよろしくお願い致します」


「えぇ……こちらこそ、是非……」


 ハンナの笑みにキシトアはたじろぐ。つい最近できた婚約者といきなり分かれるというのは如何なる気持ちが是非とも聞いてみたいものだ。しかも次はいつ出会えるかも分からないというのだから罪作りな男である。


「それと、これをお受け取りください。」


 いまひとつパッとしない態度のキシトアに、「船中でお開けください」とハンナが渡したのはいかにも高級な布で包まれた小箱であった。中身を告げず渡したというのは、きっとエシファン、或いはドーガの機密に関わるものか、それに準ずるものであろうと予想でき、キシトアにおいても恐らくそうしたものだろうと察して神妙な面持ちで受け取った。その際、ハンナは「お会いできる日を心よりお待ちしております」と耳打ちをし、再び動揺を誘っていたのが面白かった。



「私の方からも贈り物がございます」


 最後に声をかけたのは給仕長である。心なしか笑顔が邪悪だ。


「これは?」


「弁当でございます。どうぞ、船旅の途中に」


「それはありがたい。中身はなんだ?」


「トテモヤスクテマズイ白身魚のフライとカロウジテタベラレル野菜のマリネ。それとハンブンクサッテイル季節の果実のコンポートでございます。オマエナンカニハコノテイドデジュウブンダヨロコンデタベロクソヤロウ。お早めにお召し上がりください」


「そうか」


 ワザッタは給仕長の罵りを聞き顔を青くしたが、当のキシトアが知らぬを素振りしていたために黙っているようだった。まぁわざわざ藪の蛇をつつく事はない。


「し、しかし、本当にリャンバへ帰国せずコニコにお尋ねになるつもりでございますか?」


 ワザッタ早口にそう言った。話題を無理やり替えキシトアの注意を逸らそうとしたのだろう。


「そうだとも。なにせせっかくの外遊だからな。手の届く範囲は見ておきたい。本来であればフェースまで行く予定であったが」


「そ、それはおやめください! 絶対に!」


「そう焦らなくともコニコに寄ったらすぐに帰国するさ。そもそも、行きたくともムカーム将軍のお許しがおりなかったからな。難儀なものだ」


 キシトアは予めムカームにコニコ渡航の許可を取っていた。その際ムカームは「お好きなようにすればよいのではないでしょうか」言葉を残しているが、キシトアの言う通り、フェースへの侵入だけは難色を示した。表向きは安全保障のためとの事であったが、主要産業である奴隷を生産している島に仮想敵国の国主を入国させるわけもない。キシトアにおいてもその辺りは予想していただろうし、だからこそ「仕方ありませんな」と引き下がったのだった。



「さて、それではそろそろ出航の時間だ。改めて、滞在中は世話になった。バンナイ殿も、誠にありがとうございました。あなたと知り合いになれてよかった」


「私もでございます。次回お会いする際は、私の方からリャンバへとご訪問させていただきたいと存じます」


「えぇ是非……それから給仕長」


「はい」


「貴様にも迷惑をかけたな。色々言いたい事はあるが、食事は美味かった」


「ありがとうございますクソヤロウ」


「うむ。またエシファンに来た際にも是非立ち寄らせてもらう」


「ありがとうございますニドトクルナ」


「あぁ。次はちゃんと予約をしよう。それと、弁当もしっかり食べさせてもらう。トテモヤスクテマズイシロミザカナノフライトカロウジテタベラレルヤサイノマリネ。ソレトハンブンクサッテイルキセツノヤサイノコンポートダッタナ。シッカリカンソウヲキカセテヤルカラタノシミニシテイテクレ」


「……オマチシテオリマス」



 会話を交わし終えたキシトアとエティスは船に乗り込み、間もなくしてエシファンを離れた。ゆっくりと波に揺蕩う船が次第に速度を上げていくと、陸地が霧に消えていき、見える範囲は海ばかりとなっていった。遠く離れた土地への遠征は、キシトアにとって、また、彼と出会った人々にとっても、大きな意味のあるものとなったに違いない。


 その後キシトアとエティスはコニコにおいても密約を交わす事に成功するが、後世に詳細は伝えられておらず、また俺も語る気はない。いや、語るべき事もないといった方が正しいか。コニコの滞在は、その程度のものであった。


 かくして長い旅路を終えたキシトアは無事リャンバへ帰国する。それはちょうど国民投票の集計が終わり、次期国主たる大統領が発表される前日の事であった。


 ちなみに、ハンナがキシトアに渡した箱の中身は長々と書かれた恋文と髪一房であり、何があったのかエティスに説明するのに苦労していた。


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