逆襲のシシャ26

 バンナイの声は揚々としているようでいて非常に疑り深く、また狡猾であり冷酷にも聞こえ、それでいてやはり、果実が弾けるように瑞々しく、しかし考えてみると泥沼に小鳥が沈んでいくように陰鬱でもあった。


「条件。いったどのような内容でございましょうか。是非ともお伺いいしたく存じます。私に叶えられるものであれば、すぐさまお聞き入れし、確約いたしましょう」


 キシトアは依然として自らを演じていた。それ故なのかバンナイの奇妙な状態に気付いていない。すっかりと役に入り込み自身の台本にしか興味がなくなっている。いや、平素のキシトアであれば、妙な領域に達した彼の異変に気が付いたであろう。ではなぜできなかったのか。それはこうなる事を想定しており、また、おおよその条件の内容を先読みしていたからである。優遇か立場の確約。他国家間との貿易構想を立ち上げる以上、自身の国の優位性を確保したい。キシトアは、相手が出してくるであろう条件がエシファンの地位に関するものであると検討を付けていた。


 だがその予想は大きく外れる事となる。というより、そのような条件を持ちかけてくるなど誰にも分かるはずがなく、後世の歴史家たちが多分に、大いに、まったくもってとんでもなく困惑しただろうという事は想像するに易く、もしかしたら怒りすら覚えたかもしれない。それほどまでに、バンナイの出した条件はふざけたものであった。


「……」


「……」


「……」


「……バンナイ殿?」


 沈黙に耐え切れず発しせられたキシトアの声には若干不安の色が見え隠れしていた。らしくもない動揺であったが無理もない。この交渉が決裂すれば今まで練ってきた計画が全て水泡に帰するのである。穴はあるといってもこれ以上の策はない。そのためにはエシファンの懐柔は必至であり、また急を要するのであった。


「……」


「……」


 キシトアの顔色が徐々に真に戻っていく。恐ろしい緊張と圧。国家の命運が定められる場というのは即ちその国に住む人間の命が掛かっているのだから、汗を流したり血色を青くしたりする程度で済むのであれば大したものだ。俺ならば卒倒しかねない。


「……」


「……」


「……さい」


「はい?」


 呼吸と一緒に出てきたバンナイの言葉はか細く弱々しく、すっかりと語頭が切れてしまっていて要領がまるで分からないものであった。


「……くだ……さい」


「え? なんですって?」


 二言もめも同じく、なんとも自信なさ気で小さな声であり、呼気にかき消される。


「申し訳ございません。もう少し声を大きく、はっきりと仰っていただけると」


 埒の明かないやり取りにキシトアはやや苛立ち気味に要求を行った。国の行く末が決まる交渉において、はっきりとしない姿勢は確かに責められるべき態度である。だがバンナイ程の人間がそれを知らぬわけがない。きっと何か、そうなるざるを得ない理由があるはずなのである。それがいったい何のか。それは、彼が発した次の言葉で明らかとなる。


「結婚……結婚! 結婚してください! 私と!」


 結婚。確かにバンナイは、そう言った。明瞭な発音で、声高く、響き渡るように、はっきりとそう述べたのだ。

 だが分かっていても理解できないという事はままある。バンナイの言葉の威力にすっかりとやられ混乱したキシトアは、これまで見せた事のない表情を作り、おかしな唸り声を上げるのだった。


「……決闘。あぁ決闘ですね。なるほど。なるほど。決闘。そうか決闘か……」


 無理やりな着地点を見つけ合点しようとするキシトア。しかし、そんなものバンナイが許すはずがなかった。


「結婚。でございますキシトア様。私と番となり夫婦となり、共に未来を築いていいただきたいのです」


 冗談を言っている顔ではない。バンナイは本気だ。本気でそのように述べているのだ。嘘でも偽りでもなく、キシトアに対して求婚しているのだ。


「馬鹿な! からかうのは止めていただきたい!」


 それを承知でキシトアは混乱の声を上げる。異星においても同性愛は確認されていたが、近代地球以降のように禁忌扱いとなっていた。未だ多様性が発展途上のため忌避されるのも致し方なく、キシトアの憤慨は、良し悪しはともかくとして当然の反応であった。


「私は本気でございます。それとも、この場において冗談を言う人間だと、貴方は思われますか」


 冷たく咎めるバンナイに対し、キシトアは幾分かの冷静さを取り戻した。


「……思いません」


「であれば、お答えをお聞かせいただきたく存じます」


「……」


 問われる選択。いずれに決めるか。

 国と自身。天秤にかけられればどちらを選ぶか。悩むまでもない。キシトアは間違いなく国を選ぶ。彼はそういう人間である。


「かしこまりました。結婚いたしましょう」


 腹が決まれば早かった。ヤケクソとも思えるような声であったが、ともかくとしてキシトアは国の未来を選択したのだった。


「本当……本当ですか!?」


「私に二言はございません。貴方と結婚いたします。そして、世界初の同棲夫婦? として、同性愛の伝道師となりましょう」


 滅茶苦茶な吹っ切れ方である。完全な悪乗りだ。もしこの通りの事を実現すればキシトアとバンナイは見世物、笑い物となり、国家の繁栄などは不可能となった事だろう。悪いのは時代である。


 だがそうはならなかった。そうはならない。理由があった。


「……キシトア様」


 おもむろに服を脱ぎだすバンナイ。それを見据えるキシトアは一見平然なようだったが、表情筋が固まり凍り付いているだけである。これから起こるであろう事を想像し、無理やり覚悟を決めたのだろう。しかし。


「……!」


 バンナイから全ての衣服が取り除かれた時、キシトアは改めて声を失った。


「隠していて、申し訳ございません。実は私……」


 バンナイが全てを言い切る前に、キシトアの仰天した叫びが聞こえる。


「お、女……! いや、女性! 女性であらせられておりましたのですか!?」


 彼が我を忘れて動揺と失態を見せたのは、後にも先にも、この時ばかりであった。



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