逆襲のシシャ3
それからしばらくしてヨハネの逮捕が新聞で報じられたのだが、キシトアの目に入ってきたのは信じられない内容であった。
ヨハネ法王逮捕。ガーデニティ教祖ミツの死刑も明らかに。
見出しにそう記された新聞を読んだキシトアは怒りのあまりに気が狂ったような声を上げて勢いよく立ち、卓に用意されたティーセットを破壊した。
「なんだこれは! ペテロめ! よくもこんな発表をしたものだ!」
キシトアが激憤するのも無理はない。新聞には、ミツの処刑はユピトリウスの総意であり、ホルストの責任において執り行われたとの記事が書かれていたのである。これはホルストにおいて行われた会見の内容であり、リャンバの新聞社には重大な発表があるとだけしか伝えられておらず、カンバスも真相を情報を掴んでいなかった。完全に出し抜かれた形である。
「パイルス! 車を出せ! 至急バーツィットの聖堂へ行く!」
「その必要はないように思えます」
「何故だ!」
「実は先ほど、ユピトリウスのペテロ様はこちらにお見えになったとの連絡が」
「……分かった。待たせておけ。すぐに準備する」
「かしこまりました」
キシトアは舌打ちをしながらパイルスにそう命じると、自身を落ち着かせるようにソファへと座り粉々になったティーカップやソーサーを見据えた。それは彼が気に入っていたものであり、大きな溜息が少しばかり哀愁を誘うのだだ、自業自得である。
「よし。行くぞ。パイルス。茶は貴様が出せ。他の人間は近づけさせるな」
「既にそのように手配しております」
「よろしい。あと、茶は高いやつを出してやれ。一応客だ」
「御意」
諸々の手筈を踏んでからキシトアが応接室に入ると、待っていたペテロが起立して握手を求めてきた。キシトアとしては悠長に手など握りたくもなったかであろうが、礼儀的な意味で拒否する事はできない。仕方なく、渋々というような風で、差し出された手を受け取る。
「突然の来訪に応じていただきありがとうございますキシトア様」
「アポくらい入れたらどうだ。礼儀知らずにも程があるだろう」
この一言にペテロの顔が引きつる。見るからに「お前が言うな」と言いたげであったが、どうやら堪えたようだ。
「失礼いたしました。急遽お伝えしなければならない事案がございまして……ところで、リャンバの新聞には我が国の会見が書かれておりましたでしょうか」
「今さっき読んだところだ。いったいどのような目的があって俺との取引を反故にしたのか聞かせてもらいたいものだな」
「まさにその事について本日参ったのでございます。しっかりお話をしなければ、こちらも義理を欠くと思いまして」
「事前に伝えない時点で既に敵対行為だと思うのだが。まぁ、今日は顔を出した事に免じて命までは取らないと約束してやるが」
「それはありがたいお話でございます」
「で、何があった」
「はい。実は、あの日キシトア様がお帰りになった後すぐにドーガの使者がお尋ねになられまして……」
「……」
キシトアは戦慄していた。あの日。あの後。あのタイミングでドーガがペテロと接触してきたという事は、間違いなく自分の行動が筒抜けになっているという意味である。
「なるほど。それで」
だが、キシトアは落ち着き払って、あくまで冷静にペテロから情報を聞き出そうとしていた。一国の主として取り乱すわけにはいかないというプライドと、情報戦での敗北が国家滅亡に繋がるという確信が、彼に平静さ保たせたのだろう。
「はい。それで、使者はこう言ったのです。ホルストの全てはドーガが面倒を見てやる。凋落した大国に再び栄華の景色を見せてやろう。だから他の国との関係を持つのは控えろ。断れば奴隷の輸出を止める。と」
「馬鹿な。そんなもの内政干渉ではないか。なぜ突っぱねない。ホルストは脅迫に屈しないのではなかったのか」
「当然私は拒否いたしました。無論、信条だからというのもございますが、遠く離れたドーガよりも、近くのリャンバの方が連携を強化できるとも思っておりましたし、何よりドーガの使者が信用できなかったのです。急にやって来たと思えば威圧的な態度で命令のような物言いをする。このような交渉がございますでしょうか。突然やって来たのはキシトア様とて同じでございますが……」
「次回からは可能な限り連絡を入れる……で、どうなったのだ。その使者とやらの要求は断ったのだろう? ではなぜあのような公表をするに至ったのだ」
「確かに私は断りました。しかし、他の司教達が大騒ぎを起こし、直ちにドーガに従うようにと圧力をかけてきたのです。また、彼らはこぞってミツの処刑を国家公認であると発表するよう口を揃えておりました。恐らく、何らかの力が働いたと見て間違いないでしょう」
「……なるほど。俗物が多いユピトリウスだ。大方、何かに釣られたのだろう」
「返す言葉もございません。考えてもみれば、私も大いに打算的でございます。キシトア様の提案に乗り、我が権力を拡大しようとしていたのですから」
「まぁそれはいい。力を欲するのは男子の本懐。貴賤、是非、善し悪しはその振るい型に起因するものだ。自分を責める事はない」
「しかし、その結果がこれでは……今の私はリャンバとの友好路線の頭目となっておりまして、もはや発言力もなくなっております。キシトア様との盟約を悔いてはおりませんが、ドーガにしてやられた事や、それ以上にホルストの民の今後を考えると忍ぶに堪えません。何もできない自分を情けなく思います」
「……そういえば貴様は、我が国を招いた国家間発展会議で、一人だけ市民のための公共事業強化を提言していたな。あれで貴様の名を覚えたのだった」
「すべてはユピトリウス教徒のためでございます」
ペテロという人物は善人ではないが決して悪人でもなかった。役所的な態度が玉に瑕だが、基本的には市民と教徒のために働き、そこに生きがいを見出すタイプの人間である。保身的な傾向こそあれ、俗物まみれのホルストにおいてはまだ話の通じる部類といっていいだろう。
「……このままでは、キシトア様の危惧した通り戦争になりかねません。自由と平和を脅かす者との争いは宿命でございますが、何者かによって仕組まれた争いで命を落とすのは悲劇でございます。恥を承知で申し上げますが、どうぞ、戦争回避にご協力をしていただきたく……」
「……まぁ、無益な戦いはこちらも望むところではない。貴様の言を聞くまでもなくそのために動くつもりであったから安心しろ」
「……ありがとうございます」
深々と頭を下げるペテロを見るキシトアの表情は硬かったが絶望は感じられなかった。それは、降って湧いた問題をどう処理しようかと思案を巡らせている人間の顔だった。
希望を捨てず、それでいて現実的な解決策を探るというのは非常に難儀な事だが、それを行うのが国主の役目である。与えられた責務を放棄するなど、キシトアにできるはずもない。彼は常に考え、最善を尽くす男である。
キシトアに開戦を望むであろう民衆を止める手立てがあるのか。あったとして実現が可能なのか。馬鹿な俺には分からないが、なんとなく、キシトアならできるのではないかという期待があった。
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