第十五章―遺された側



 朝日が昇り、山の斜面を陽光が輝かせる。


 目を覚まし、外へと出てきたお菊が学び舎へとやってきた厳太夫達から聞かされたのは、伊織達全員の訃報ふほうであった。


 胸を押さえ、膝からくずおれたお菊を、勘助が慌てて支える。元々白い顔をさらに蒼褪あおざめさせ、今にも気を失ってしまいそうに思えた。



「……」

「……お菊さん」



 厳太夫がしゃがみ、声をかける。


 彼女は八咫烏ではない。だから、本当のことを告げるべきか、誤魔化すべきか、ぎりぎりまで迷った。

 結局、厳太夫達が選んだのは前者であった。もし、彼女の立場が自分だったら、絶対に誤魔化されたくない。きっと、彼女も同じだろうと、皆の意見が一致したのだ。



「最期、皆、どんな顔してた?」



 お菊は顔を伏せたまま、そう尋ねた。


 その声は、僅かに震えているようにも聞こえる。だが、厳太夫は知らないフリを通した。



「笑っていらっしゃいました」

「……そう。何が目的なのか、私には分からないけど、きっと目論見通りいったんでしょうね。……でないと、ゆるさない」



 お菊は顔を上げ、厳太夫の方を向けた。泣き出しそうな顔を懸命に堪えている。


 すると、こちらに向かって複数で駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。ばたばたと忍びにあるまじき足音である。


 お菊は両手で顔を覆い、顔をさっと拭った。



「おきくさん!」



 駆け寄ってきたのは、宗右衛門達と宮彦だった。うずくまっていたお菊を見ていたようで、顔色を窺ってくる。



「だいじょうぶですか? ぐあいわるい?」

「大丈夫よ。ちょっと砂埃すなぼこりが目に入ってしまっただけ」

「そっか」

「そういうときはね、こすらないで、みずであらうといいってせんせいいってた」

「そう。でも大丈夫。もう取れたから」



 ありがとうとお菊がお礼を言うと、宗右衛門達は小さく笑みを浮かべ、ふるふると首を振る。



「お前達、どうしたんだ?」

「せんぱいたちこそ、どうしたんですか?」

「そのけが、いたそう。だいじょうぶですか?」

「おくすり、ちゃんとぬりましたか? めもはれてますよ?」



 皆、多少なりとも涙を流したせいで、確かに、まだ目蓋が腫れていた。事の次第を報告した後、榊に言われて冷やしていたものの、十分ではなかったらしい。


 その上、自分達を見上げてくるのは、左近達が一等大事にしていた雛達である。彼らがこの子達を根気強く鍛えている姿が脳裏にちらつく。また涙がこみ上げてきそうになった者が皆の後ろに回り、友の背に庇われた。


 上手い言い訳がないかと探していると、瀧右衛門が宗右衛門達の前にすっと腰を落とす。



「任務中に、山中をかきわけて進んだ時に触れた葉が、思いのほか腫れてしまうやつでね。でも大丈夫。みんな一日で治まるやつだから」

「そうですか」

「おだいじに」



 宗右衛門達はまだ心配そうにしているが、医学のことに明るい瀧右衛門がそう言うならと、それ以上聞いてくることはなかった。


 そして、自分達がここに来た本来の目的を思い出したらしい。


 お菊と、そしてこの場にいる先輩達の顔を見渡し、最終的に皆で厳太夫の顔を見上げてくる。



「あの、さこんせんせいたちはどこですか?」

「おれたち、こんどはあいつらのこと、ちゃんとめんどうみてたんです」

「いっぱいほめてもらわなきゃ!」



 ねーっと、笑顔で顔を見合わせる子供達に、厳太夫はことさら慎重に言葉を探した。


 お菊の時は良かった。ただ事実を伝えればいいだけだった。しかし、この子達はまだ事実を知るべき年には至っていない。これは榊に報告した時にも厳重に注意されている。


 ‟くれぐれも、その時が来るまでは悟られることがないように”と。



「……お前達、よく聞け。先輩方――左近先生達の代は皆、急ではあるが、昨日の夜から遠い地へ任務に出られた」

「えっ、そんなっ!」

「きいてないっ!」

「いつ! いつもどられるんですかっ!?」



 それまでの誇らしげな表情から一転、酷く狼狽ろうばいしている。


 見かねたお菊が、背後から子供達の背をまとめて抱きしめた。



「貴方達がうんと大きくなって、時が来たら、きっと会えるわ。……大丈夫。貴方達なら、きっと」

「……でも、いちねんにいっかいはおもどりになられますよね!?」



 いつかなんてやだ!と、納得できない三郎が大声で叫ぶ。

 普段はわりかし聞き分けが良い宗右衛門達も、自分が満足のいく答えを得ようと、必死になって手近にいる者へそれぞれ質問攻めにし始めた。


 

「そうですね。年に一度は戻るかもしれません。けれど、貴方達と会うことは難しいでしょう」



 声のした方を皆で振り返ると、建物の影から団次が姿を見せた。報せを受け、館へと戻ってきたのだ。隣には榊もいる。


 子供達はお菊の腕から抜け出し、二人の元へ駆け寄った。



「あうことがむずかしいって、どうしてですか!?」

「ぼくたちもあいたいです!」

「せんせいに、まだいっぱいおしえてもらいたいんです!」



 これから、彼らが戻ってくる一年に一度は、正月ではなく、盆の時期になる。そして、その事実を子供達が知るのは、まだ当分先でなければならない。それが決まりだ。


 団次は口元を緩やかに上げるのみで、答えを口にすることはなかった。


 返事がないのに焦れたのか、宗右衛門は団次ではなく榊の方を見上げ、口を開いた。



「さかきせんせい! せんせいがもどられたら、またぼくたちのせんせいにしていただけますか?」



 どうやら、今度は違う方面から自分達の要求を通すことにしたらしい。そして、それが彼らなりの最大限の譲歩だと分かる。子供達の唇は皆きゅっと固く引き結ばれ、大きな瞳で榊の顔をじっと見つめてくる。


 榊は宗右衛門の頭に手を乗せ、少し撫でてやった。



「……そうなったらいいな」

「ぜったいですよ!?」

「ほかのくみにしたらだめですからね!」

「あぁ」



 ‟そうなったらいい”


 それは、話を誤魔化さざるを得ない大人がよく使う手だ。その後には大抵、そうなるはずがないけれど、などと、否定的な言葉が続く。


 しかし、子供達はなんとかそれで自分の感情と折り合いをつけたらしい。帰ってくるまでにやれるようにするやつ表を作ろうなどと言い出してもいる。実に前向きで、良い事だ。

 

 無知は罪。異国のとある学者はそう言ったという。

 けれど、無知ゆえの純粋さ、ひた向きさは、知を得た者の心を慰め励ましてくれる。この世の黒い面に足を踏み入れた者にとっては、何物にも代えがたいもの。

 もし、誰かがそれを罪というならば、それはわざと覆い隠した自分達側の責任、罪であろう。


 そして、彼らに知を与えていた彼らはもういない。だが、自分達は残っている。まだ、こちらに。この子達の傍に。


 お菊は僅かな間、目を伏せた後、ゆっくりと立ち上がった。



「皆、おにぎり作るから、手伝ってくれる?」

「いいですよ」

「おれ、うめぼしいりがいいなぁ」

「ぼくはのりまきの」

「みやは……みやはねぇ……んーっと」



 皆、口々に自分の好きなおにぎりを作るんだと意気込んでいる。


 最終的には、お菊の手を引き、皆で食堂へと続く道の角を曲がっていった。



「団次」

「はい」

「あいつらはいるか?」

「いえ。どこにも」

「……そうか」



 団次は館までの道中、先にった彼らの代の残り六人を見つけだし、知っている事情を聞いてみた。だが、だんまりを決め込まれたのだ。あいつらが決めたことを、俺達が言ってしまうわけにはいかないと。


 それに、死者が生者の元へ戻ってくるのは盆の時と決まっている。それなのに、まだこの地に留まっていると知れば、榊が気に病む事実が増えることはまず間違いない。


 ただでさえ翁の代理で学び舎全体を支えているのだ。あまり負担をかけたくないというのが、先達に対する団次の偽らざる気持ちであった。


 そして、沈黙が場を占める。


 すると、それを見計らったかのように伝左衛門が榊を探してやってきた。何やら大きな箱を両手で抱えている。



「どうした?」

「あいつらの部屋の文机から、これが」



 榊が箱の中を覗いて見ると、大量の巻物が入っていた。任務に出る時、万が一に備えて文を遺すことはあるが、巻物というのは見たことがない。


 榊は巻物のうち一つを手に取り、僅かに広げ見た。にわかに眉をひそめ、その巻物の紐をまき直し、箱に戻す。



「翁は今、どちらにいらっしゃる」

「館まで登って来られているそうです」

「そうか。ここはお前達に任せる」

「はい」

「お任せください」



 団次と伝左衛門は、すっと頭を下げる。


 榊は伝左衛門から受け取った箱を持ち、飛ぶような速さで館へと駆けていった。


 厳太夫達もお互いに顔を見合わせる。この後、八咫烏達は哨戒任務か火事などの後始末に割り振られている。しかし、彼らは怪我のため、そのどちらも免除されていた。


 すると、誰からともなく榊を追い、この場を去り始める。

 団次と伝左衛門も、彼らをこの場に引き留めるようなことはしなかった。


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