上を見上げると、星明かりしかない闇夜の空を隼人の鷹が旋回している。

 それを目標に、伊織達は地を駆けた。


 一人、また一人と罠にかかったのか、所々血の跡も見受けられ始める。


 そう先に行かぬうちに、男達の後ろ姿が遠目にも見えてきた。

 怪我をしたらしき男に肩を貸す者や、ずるずると片足を引きずる者もいるため、歩を進める速さは普通に歩いているのとさして変わらない。


 見つからないように、伊織達は道の左右に分かれ、木に登った。


 何かから逃げ去る側の時、人は全体を見ているようで、実際前後しか見ていないことが多い。それが頭上ならば、なおさら注意の対象からは逸れる。

 だからこそ、追いかける側は幹と幹が一段11メートル程も離れているようなところならばいざ知らず、このように密集した山の中ならば下を走るよりも木の上を幹伝いに跳んだ方が良い。



「……よっと、こんばんは」

「……っ!」



 左近が男達の背後へと跳躍し、笑みを浮かべつつ声をかけた。男達は身体をびくりと震わせ、一斉に勢いよく振り向く。その顔に浮かぶ表情は、驚きと困惑の色が濃い。


 ここでさらに登る利点を付け加えるとするならば、このように相手の不意をつきやすくなる。もちろん不利になる点もあるが、それを今、心配する必要はなさそうだ。


 男達は城主を守るようにして取り囲んだ。そして、左近を注意深く観察し始める。闇夜で見えづらいのか、目を酷く細めている者もいる。


 左近の背には矢筒、手には弓。

 格好だけ見れば猟師とも思えるが、それにしては軽装すぎる。


 それに、手傷を負っている者もいるというのに、それを見てなお笑みを浮かべている。そんな情が欠けているように思える男が常人であるはずがない。



「……おのれ、何奴じゃ!」

「何奴って、貴方達もよく知っていると思うんだけれど。前回、前々回と、僕が仕掛けていた罠はどうだった? あぁ、違うな。貴方達に聞いても分からないか。罠に掛かった者は貴方達の所へ帰っていないから、罠がどうこうなんて貴方達は知りようもないよね」

「何っ!?」

「お、お前は……八咫烏かっ!」

「殿っ! お逃げください!」

「あぁ、そっちは……」



 男達の一人が先へ足を踏み出すと、地面が怪しい凹みを見せる。そして、次の瞬間には大穴が開き、男は悲鳴をあげながらその穴に落ちていった。


 驚いた男達は木々の間を逃げようとするが、そうは問屋がおろさない。隼人の鷹達が彼らの目を狙って襲いかかり、男達の足を穴の方へといざなうが、何人かはその攻勢を掻いくぐり、駆けだした。しかし、そんな足掻きを左近が予想していないはずもない。



「……ひっ。うわあぁぁっ」

「抜け出せないくらいの穴があるよと言おうとしたんだけど。話を最後まできちんと聞かないから」



 その穴はПの字型をしており、つまるところ、左近が背後に立った時点で彼らに逃げ場などなかった。見事に三方全てが開いた穴は、もはや穴ではなく、塹壕と呼べる代物だ。


 伊織が仕掛けた罠のうち、一番時間をかけた落とし穴は深く、一番背の高い男でも上まで手が届かない。


 殿と呼ばれた男を見ろす左近は、掘った時の土を出すのが大変だったと、わざとらしく肩を揉む仕草まで見せた。

 それから、どうぞ、と、傍に来た伊織にその場を譲り、自分は退いた。そして、せっせせっせとどこからか土を持ってきては、穴の横に積んでいく。



「問われたことに答えろ。嘘をついてもいいが、それは勧めない。末代までの恥を残したいのならば好きにしろ」

「なんだとっ!?」

「おい! ここから出せ!」

「……左近」

「うーん。僕、与一と違って人が苦しむ様子を見るのが好きなわけではないんだけどね? あと、自分で止めを刺すのも」



 と、言いつつ、まんざらでもない様子で盛った土を足で突き崩し、穴の中に押し流していく。もちろん一度にではなく、何度かに分けてだ。


 これには、すわ生き埋めかと、男達も慌てた。



「ま、待てっ! なんだ! 何が聞きたい! 儂に答えられるものなら何でも答えてやる! だから、命だけはっ!」

「ほぅ」

「殿!」

「えぇい! うるさいうるさい!」



 城主に付き従っていた配下の侍達が、自分の命可愛さに先走ったことを言う城主を諫めようとする。しかし、命の危機さえ感じるこの状況を前にして、城主が聞く耳を持つはずもない。



「では、まず、八咫烏の里への侵攻を決めた黒幕は、岡崎か、浜松か」

「く、黒幕?」

「あぁ。実際に攻めたのはうぬらだということは分かっている」

「なっ!」

「だが、支城の主に過ぎない者が勝手に兵を動かすことは許されない。兵を動かす大義名分を作ることができる者、つまり、どちらかが背後にいると考える方が理屈にあっているだろう? さぁ、とっとと吐け」



 時間がないぞという伊織の傍らで、左近が蹴鞠をするように軽く盛り土を蹴り続けている。もちろんその土は穴の中へと落ちていく。


 段々と増えていく土に、埋まっていく身体。男達の何人かは何とか出ようともがいているが、足場になりそうなものは全て左近が取り除いている。早い話が無駄骨に終わった。


 とうとう観念したのか、城主に代わり、付き従っていた侍大将の男が話し始めた。


 事の黒幕は岡崎城の主であること。前線に出るのが浜松城の者が多く、岡崎は専ら負傷者の治療や外交など後方に回ることが多いことで、両者の間に軋轢あつれきが生まれていること。そのため、密かに岡崎城主を持ち上げ、家督を三河守から奪おうとしていること。そのためには情報戦が必要になってきて、情報戦といえば忍び。それも、大名家のどこにも属さぬ者でなければ、仕える大名に情報が筒抜けてしまう。そこで目をつけたのが皇家の八咫烏だということ。


 それらを語る侍大将の顔つきは真摯しんしなもので、適当なことを言ってだます素振りはない。


 もしここで口をつぐんだまま自害して果てれば、先程主が口走ってしまった‟何でも答える”という言葉が嘘になる。ただでさえ奏者の言葉を信用しきっている城主に従い、ここまで隠れ逃げてきているのだ。二重の恥をさらすようなことは、武士として絶対に避けたかったのだろう。



「……分かった。それではもう一つ」

「な、なんだ」

「奥御殿の城主の間にいたあの棒術を操る男、一体どこで引き入れた」

「……」



 そこで今まですらすらと答えていた侍大将は黙りこくり、隣にいる城主の方を見た。


 その様子からして、彼も詳しい事は知らぬのだろう。その他の者も誰一人口にしようとはしない。



「あ、あれは……ひ、拾ったのだ。儂の小姓だった者が、鷹狩の帰り道に」

「拾った?」

「怪我をしておったゆえ、か、看病をしてやろうと」

「看病?」

「わ、儂は何もしておらん! 何も知らんぞっ!」

「……」



 その一言一言と焦り様は、城主と平治の間に何かあったのだと自白しているようなものだった。



「頼むっ! 命だけはっ!」

「……平治って子供の頃、正蔵に負けず劣らず女顔だったよね。無理やり衆道を迫ったとか?」

「なっ! 無理やりなどっ! あやつが、小姓達を手荒に扱うのはご容赦をなどと、この儂に指図しおったが故にだな!」

「……へぇー」



 左近は用意していた盛り土の半分を乱雑に蹴り上げた。もちろん、これが全て入れられて積み重なっても、男達が逃げ出すに足る量には程遠い。


 城主以外の男達の目からは段々と生気が失われていく。自分達の死に時を悟ったのだろう。それぞれ黙って地の底に腰を下ろしていった。



「左近」

「ん?」

「もういい。必要な情報は手に入れた」

「……いいの?」

「あぁ」



 それを聞いて、城主はほっと安堵の息をついた。これで助かる、と。

 しかし、現実はそう甘くはない。それを城主以外は分かっていた。


 その証拠に、伊織と左近は踵を返す。男達を自力では出られぬ穴に残したまま。



「おい! 待ってくれ! 答えてやっただろう!? ここから出してくれ!」

「殿っ」

「……もはやこれまで。お見苦しゅうございますぞ」

「なに!? そんな! よせ! やめろ!」



 辺りに最後に響いたのは、城主の聞くに堪えぬ醜い断末魔だった。


 山中での仕事を任されていた左近と、代の大将である伊織を除き、他の皆は黙って成り行きを見守っていた。いや、黙ってというと語弊がある。顔を歪ませ、憤怒の形相で木を殴ったり、拳を固めたりと様々。行動に違いはあれど、抱える思いは皆同じ。


 戻るぞと短く言葉を発し、駆けだした伊織に、皆も続いた。




 平治を治療している与一と蝶、そして正蔵を残した場所に着くと、丁度与一が手を止め、両の拳を握りしめて俯いたところだった。



「与一?」

「……ごめん」

「ごめんって……ごめんってなんや!」

「もう、これ以上は」

「そんなこと言わんと! なぁ!」



 持ってきていた金創膏の効果も追いつかない。

 それは流れ出ていた血の量からも明白で、言い募る蝶自身も分かっていた。しかし、請わずにはいられない。



「……蝶っ」

「……っ!」



 与一の腕にすがる蝶の腕に、正蔵が両手を当てる。ぎゅっと握られた拳は小刻みに震えていた。


 皆は何も言わない。言えない。


 そして、皆に見守られる中、平治の胸が上下するのをやめた。


 正蔵が口を開いては閉じる。一際固く口を引き結ぶと、泣き出しそうな顔で、いびつな笑みを浮かべた。



「平治。帰ろう」

「……っ」

「皆で、帰ろう。今度こそ」



 左手で蝶の、右手で平治の着物を掴み、顔を伏せると、より一層優しげな声音で囁くようにそう言った。


 この友との別れの涙はあの時既に流し切ったはず。それなのに、まだ出ようとする。また、出ようとする。


 たまらず蝶が平治の身体を抱き上げ、正蔵の背に手を回し、強く抱きしめた。咽び泣く声は、なかなか収まることを知らない。


 遠く、城の方。

 慎太郎と源太が硝煙蔵などを爆破し始めたのだろう。その音がここまでとどろいてくる。その音はまるで、葬送の時に鳴らされる鐘の代わりのようだった。


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