ち
雛達の怪我の治療に使われる部屋には、常時数十種類の薬が置かれている。それらは全て薬師としての知識がある与一達が作っているものだ。
今日もまた、留守にしている与一から製法を預かった瀧右衛門が、薬研で生薬をごりごりと押しつぶしていた。
戸を少し開けて中を覗き込んでくる子供達に気づいた彼は、僅かに首を傾げた。
「みんな
「せんぱい、これ、たからさがしのもんだいです」
部屋の中に入ってきた宗右衛門が瀧右衛門に文を差し出し、邪魔にならないような位置に腰を落ち着けた。
他の子供達もぞろぞろと中に入って、宗右衛門の隣に座る。
「あぁ、これか。問題の答えは分かった?」
「わかりません!」
「そ、そう。……あぁ、なるほど」
「せんぱい、わかったんですか!?」
「すごい!」
子供達は目を輝かせて瀧右衛門を見上げた。
瀧右衛門は薬研を脇にどかし、顔の鼻から下を覆っていた布を人差し指をひっかけて顎の辺りまで下ろした。
「まぁ、部の年だからね。年が明けたら八咫烏に上がるんだよ? これくらい当然さ」
「すごーい」
「それで!? なんてかいてあるんです?」
「あ、ちょっと待っててくれる? これを袋に移しておきたいから」
「「はい!」」
瀧右衛門は布を再び元の位置に戻すと、薄い和紙で作った包み袋にすり潰し終えた生薬をさらさらと流し込んでいく。全て移し終えると、それを隅に置いてある
三郎はそれを見て、そわそわとしだす。
その葛籠こそ彼が言っていた薬箱なのだ。きっとこの問題に関係があるに違いないと、気ばかりが
その様子を知ってか知らずか、瀧右衛門はそのまま葛籠の蓋を閉めずに振り向いた。
「えっと……それじゃあ、皆、こっちに来て」
「……あっ」
「どうした?」
子供達が瀧右衛門の方へ行って、隣に座りこむと、藤兵衛が声を上げた。宮彦の手を握って、少し上げさせる。
「このこ、みやひこっていいます」
「あ、うん。……そうなんだ。僕は瀧右衛門。よろしくね?」
「あい」
虚を突かれた様子の瀧右衛門だったが、すぐに笑みを浮かべ、普段以之梅の子供達にしているように宮彦の頭を撫でた。
自分の身体に近づく瀧右衛門の手に、宮彦は少しびくりと身体を揺らしたが、彼の微笑みに心を許したようだ。それ以上宮彦の様子が変わることもなく、瀧右衛門の手は離れていった。
「さて。この問題はこれに関係しています」
葛籠の中は仕切りがたくさんあり、それぞれ生薬が潰されたものが入った包みが種類ごとに分けて入れられている。
瀧右衛門は先程宗右衛門から受け取った文を隣に置き、一番右に書かれている文字を指さした。
「これとこの漢字はね、たてとよこって読むんだよ」
「たてと」
「よこ」
「あ! たてとよこ!」
「分かった?」
「……あはっ。いってみたかっただけです」
三郎の照れ笑いに、思わずがくっと肩を落としてしまった瀧右衛門だったが、別の方からも何かを壁に打ち付ける音がする。皆でそちらの方を見ても、
しかし、瀧右衛門にはその音の主が分かった。
「……んんっ。気を取り直して。次、一番右側の上部分だけど、吾無口。これは、吾の字から口を無くすってことなんだ。つまり?」
「つまり?」
「つまりつまり?」
「こら、三郎。ふざけてばかりは駄目だよ」
「はーい。ごめんなさいっ」
優しく
「ごっ!」
「そう! じゃあ、次は王無中。これは王の字から中の棒を無くすと?」
「「さんっ!」」
「そうそう。で、この葛籠の位置にそれを当てはめて、縦に五、横に三の生薬が……
瀧右衛門が包みを一つ取り出して、文の横に置く。
やり方が分かれば後は早かった。
「わははっ!」
「こたろう! かいてかいて!」
「うんっ」
小太朗も文の余白に瀧右衛門が一つずつ教えてくれる生薬の名前を書き込んでいく。それと一緒に、何故そうなったかの解法も忘れない。
藤兵衛はその間、手持無沙汰にしている宮彦と一緒に、葛籠の中を物珍しそうに眺めていた。
「いろんなのがあるねぇ、みやひこ」
「んっ。すごいねっ」
「見るのはいいけど、触っちゃ駄目だからね? ばらばらになるといけないから」
「「はーい」」
そうして、最後の生薬が取り出された。
全部で七種類。桂皮に
「で、当てはまったのがこれかぁ」
「むずかしいんですか?」
「うーん」
難しいか難しくないかと言われると、その人の熟練度に関わってくるので何とも言えないものがある。
それでも、隼人達が彼らに作らせようとしているのは、刀傷などに効く【
しかし、そういえば、と、少し前の与一による以之梅の講義の時を思い出した。あれは最早、事件といってもおかしくなかった。まだ以の年であるにも関わらず、毒に慣れさせようとした所業は鮮明に覚えている。
それを考えると、これも彼らの指導でいえば
瀧右衛門は心配そうにする宗右衛門達に、にこりと笑って見せた。
「大丈夫。頑張ろう」
「「はいっ」」
まず、準備として手を洗わせ、自分がしていたような布を巻かせる。熱い火鍋に入れて混ぜるところはさすがに瀧右衛門がやったが、後は子供達にも協力させた。そうして、昼前にようやく出来上がった。
「よし。じゃあ、これを八咫烏の館まで持っていこう。次の問題はきっとそこでもらえるはずだよ」
「「はいっ」」
八咫烏の館までとはいえ、隣近所ではないのだからそれなりに準備もいる。
後片付けを終え、門の前で集合だよと言って長屋の部屋の前で別れた。
しばらくして、門の前で再び合流すると、子供達は瀧右衛門に駆け寄ってきた。
「せんぱーい」
「ん?」
上目遣いで瀧右衛門の腕を掴む三郎に、瀧右衛門はこれはおねだりだなと苦笑した。
その考えはどうやら当たりのようで、三郎は今度は少し照れたように俯き加減で、掴んだ瀧右衛門の腕をゆらゆらと振り始めた。
「せっかくおてんきもいいし、こだぬきがさんぽしてるところがあるんです。そこにもいきたいなぁ」
「えぇ? そんな寄り道していいのかなぁ?」
「だ、だって、みやひこもあそこまでいったらつかれちゃうだろうから、そこでおわりだしっ」
「たぬき? たぬきいるの? みやもみたい」
「えっ? 君も?」
「さぶろう。せんぱいこまらせちゃだめだろ?」
「えぇーっ。そうえもんはみたくないの?」
「み、みたくないわけじゃ……ない、けど」
宗右衛門は以之梅をまとめる立場として、三郎を
「まぁ、僕も今日は休みだし、いいっか」
「やったぁー!」
「よかったね、みやひこ」
「んっ!」
瀧右衛門はどこかで見張っているだろう隼人達に、心の中ですみませんと謝っておいた。そして、そのまま先に突っ走っていこうとする三郎の手をとり、子供達と石段を下っていく。
八咫烏の館までの山道散歩へと、彼らは楽し気に出かけていった。
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