左近が地下に下りると、以の年は上の代の膝なり背なりを貸され、全員が夢の中に落ちていた。そのせいで身体を動かせないものだから、視線だけ寄越してくる部の年の面々。



「起きてたんだ」

「同じ代の友人が必死で役目を果たしているのに、おちおち寝てなんかいられませんから」

「まぁ、気分的にはそうだよね」

「あの、瀧右衛門は!?」

「彼なら与一と一緒に、怪我人の治療にあたってるよ」

「どんな感じですか?」

「どんな感じって……自分達で見てくればいいんじゃない?」

「え?」

「行ってもいいんですか?」



 あまりにも軽く言われるものだから、皆、戸惑いの声を上げた。

 ここにいろと言われればどうしても行きたくなるものだが、いざ行ってもいいと言われると、本当に大丈夫なのか不安になる。不思議なものだ。


 与一の件もあったものだから、周りの八咫烏達も目を見合わせる。すぐに一人が確認のため、地上に上がっていった。それを見て、信用ないなぁと左近は笑うが、日頃の行いをかえりみろと、上の代からすげなく言い返された。


 左近は部の年の子供達に向き直り、ひとまず以之梅の子供達を回収する。部の年に次いで年長の保や仁の年の子供達が、部の年の子供達から眠っている後輩達の身体をそれぞれ預かった。



「君達にも掃除をしてもらうことになったから」

「……それは」

「八咫に上がるか、それとも在野に下るか。決める判断材料にしておいで。さ、早く。先生方や八咫の面々が待ってるよ」

「は、はい!」

「失礼します!」



 先に向かった瀧右衛門を除く部の年十七人が頭を下げ、入り口を守る正蔵達の横を駆け抜けていく。その背を、残された後輩達はじっと見詰めていた。そして、それは後輩達だけでなく正蔵達八咫の者達も。


 確認に行っていた者も戻ってきて、翁の許可まで得た正式なものだと報告されると、八咫烏の面々の表情が面からすっとがされた。


 雛が成長するのは喜ばしきことだが、こうやって一歩一歩それに近づいていく。自分達大人ができるだけ遅く遅くと願っても、それは等しく、かつ時に不条理に襲いかかってくるものだ。


 あわれみはしない。

 その道はかつて自分達も通ってきた道。そして、今も歩む道。


 彼らが迎えた初めての分かれ道を、どのような顔をして見送ればいいのか、いまだ持ってこうだと言い切れる者は少ない。


 だからこそ、無となる。

 子供達が成長した姿に笑むことも、死に近づく彼らを悲しむことも、この終わらない戦の世に怒ることも、本来であればままならない身の上であるからこそ。


 八咫の面々が葛藤かっとうを抱える一方、左近は子供達の頭を撫でていた。


 こんなに子供が密集しているために、えもいわれぬ子供くささがある。あとは寝ているが故の高めの体温。健やかな寝顔に、ささくれ立っていた気が鎮まっていくのが分かる。


 気づけば、左近の口元はわずかにほころんでいた。



「子供達、どうする?」



 自分の横で丸くなって寝ている子供の頭を優しく撫でる菊が、傍にやって来た左近に尋ねた。



「数が多いから全員運ぶのは厳しいね。ま、丁度いいよ。掃除し終えるまで時間もかかるし」

「そう。なら、私は朝餉あさげを作ってくるから」

「うん。見ててくれてありがとう」

「どういたしまして」



 今が何刻ほどになったかは分からないが、朝餉の量はいつもよりも多めに用意しておかなければいけないだろう。部の年が口に入れられるかは分からないが、それでも十分な量を用意しておいてやりたい。それか、食べられる者から先におにぎりでも握って持っていってやるのもいいかもしれない。


 菊と、手伝いを申し出た八咫が二人、地上へと戻っていった。


 すると、周囲の音に反応したのか、利助が目をほんの少し開けた。



「あれ? 起きた?」

「……せんせ?」



 利助がまだ寝ぼけ眼ながらも身体を起こした拍子に、手近にいた三郎の顔を思い切り手で押し潰してしまった。痛みに悲鳴をあげて三郎が、三郎の悲鳴に他の子供達が、次々と目を覚ましていった。


 寝て起きたら、したう左近が目の前に座っている。目を見開いた以之梅の五人は、左近ににじり寄り、彼の服に勢いよくすがりついた。



「せんせい!」

「ぼくたち、べんきょうも、たんれんも、がんばります!」

「せんぱいたちをこえます!」

「うん? どうしたの、君達」



 いつもなら滅多なことでは尾を引かない小太朗も、一言くらいは文句を言うものだが、それすらも些事さじと、しゃかりきになって自分の思いを口にする。めいめいが思ったことから先に口にするものだから、何故そう思ったかの話が全く見えてこない。


 まだまだ筋道立てて話すことが苦手な子供達が言うことに、左近は首を傾げた。後ろを振り向いて、この場にいた正蔵に助けを求める。すると、正蔵は苦笑し、こちらに歩み寄ってきた。宗右衛門の後ろで膝立ちした正蔵は、宗右衛門の肩に手を置いて事のあらましを左近に語って聞かせた。


 そこでようやく得心した左近は、思わず笑みを漏らした。


 彼ら自身が自ら志す道は決して楽で綺麗な道でないけれど、彼らなりの決意を持って選んだ道。この先、彼らが弱音を吐いた瞬間には、彼ら自身が言った言葉が返されることだろう。いつもの憧れからくる言葉ではない。今の彼らの決意が、そう生半可な覚悟の上に成り立つものではなさそうであるということは、彼らの顔を見れば明らかだった。



「正蔵。ありがとう」



 雛達だけで話をさせたことは、少なからず彼らの意識向上に繋がっただろう。それには八咫烏の誰もが口を挟まない必要があり、実際に挟まずにいてくれた。中でも、正蔵は言ってやりたいことがあっただろう。それでも、今は自分の出る幕ではないと退いてくれていたのだ。


 それに対しての礼だが、もちろん雛達に聞かせるわけもない。分かりにくい礼となったが、正蔵もきちんと左近の意をみ取った。



「ううん。……皆、良い子に待っていたよ。ね?」

「はいっ」

「うんうん。頑張ったね。色々と汚れちゃったり壊しちゃったから、掃除が終わるまでもう少しここにいてね」

「「はいっ」」



 良い子にしていたと正蔵に褒められた五人は、少し鼻が高いと、胸を張って見せる。左近もそれに応えておだてた後、話の流れで新たな要求を出したが、それをまたごねられることはなく、素直な返事を受けた。


 けれど、もう少しここにという言葉に、子供達が左近によりまとわりついてくる。

 本当なら子供達の顔を見て掃除に加わる予定だったが、しばらくの間は断念せざるをえなさそうだ。ここで無理に引き剥がせば、前回で味をしめた彼らは自分達も手伝うとごねかねない。そうなると、余計面倒なことになる。


 既に脅威は去り、掃除に人手がいる状況。雛達を集めているだけのこの場に、頭数に十分加えられる八咫烏の者はほとんど必要ない。


 そう判断した八咫烏の上の代が、左近と正蔵にこの場を任せても大丈夫かと尋ねた。とはいえ、本当は正蔵を残し、左近を連れていきたいのだが、子供達がしっかと左近を抱きしめている以上、それは難しい。かといって、左近一人に任せていれば、雛達にどんなことを吹き込むか分かったものではない。左近を残す以上、正蔵も一緒に残すのが次善じぜんの策であった。


 それに対して、問題ないと答える左近だったが、正蔵が同じことを言い、ようやく二人以外がこの場から地上へ戻っていった。



「せんせい」

「ん?」

「せんせいは、ぼくたちみたいにここをでられたんでしょう? どうやってそんなにつよくなったのですか?」

「強く。強く、ね。そうだなぁ。まだしばらくは掃除に時間がかかりそうだから、少し話をしてあげる。君達も、気になるならこちらへおいで」



 左近の鶴の一声に、わらわらっと起きている子供達が集まる。寝ている子供に膝を貸しているせいで動けない者も、僅かずつではあるが身体をよじらせるなどしてこちらに向き直った。


 また、正蔵も以之梅以外の以や呂の年の鍛錬指導をいくつかの組で受け持っているため、見知った顔が傍に寄りたそうにしているのには気づいていた。しかし、以之梅以外とはあまり接点のない左近がいるせいでなかなか近づけないでいた。正蔵が手招きすると、ようやく嬉しそうにはにかみつつ傍に寄ってくる。



「あれは、僕達が君達みたいに、まだこの学び舎の雛だった時」



 昔話のように話始める左近に、子供達は皆、目を輝かせて聞き入った。


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