第184話 ニンジャ・シャドウ①

 無事に部屋から出られた一行は、何も起きない広い通路を歩く。

 忍者の隠れ家と修練を経る場所であると聞いてはいたが、はっきり言って、クロエ達からすれば思ったよりも拍子抜けするようなものでしかなかった。

 これでマスター・ニンジャになれるなら、そう難しくないのではないかとすら考えられた。


「フォン……こう言っちゃ悪いんだけど、マスター・ニンジャってのに与えられる試練にしては、随分と簡単すぎない? ただの冒険者にも攻略できるものなの?」

「確かに危険な罠が多かったけど、試練と称するには簡単すぎる」


 尤も、やはりそうはいかないようで、振り向かずにフォンが答えた。


「理由は分からないけど、もしもさっきまでのがマスターになる為に必要な事柄だと言うなら、里の忍者は皆会得していた程度だ」

「やっぱり。あたし達三人に攻略できたんだもん、忍者ならそれこそ余裕のはずだよね」

「つまり、まだ別の罠があるでござるか?」

「そう考えた方がいいだろうね……ただ、この先に道があれば、の話だけど」


 フォンが立ち止まると、三人も揃って足を止めた。四人の目の前に聳え立つのは、それこそ天井が見えない暗黒まで届く、大きな、大きな壁。

 不気味なほど静寂が続き、話し声だけが響くこの通路で、壁は一際異端の構築物に見えた。


「行き止まり……この壁、壊す?」


 メイスに手をかけたサーシャが前に出ると、フォンが首を横に振った。


「いいや、忍者の秘密は無理な力を加えちゃいけないというのが鉄則だ。これだけ厳かな装飾を施した場所なんだ、何もないはずが――」


 どれだけ低俗な罠が続いたとしても、暗闇だけが障害になっていたとしても、ここはマスター・ニンジャが修行する場所――ひいてはそれに認められる場所だ。数少ないマスターになる為の試練が、そこまで陳腐であるはずがない。

 だから、フォンは努めて忍者のルールに則った。何かが用意されているのであれば全てを疑い、向こうの動きを許さず、常に警戒するというルールを守った。

 しかし、今回ばかりはサーシャの考えが正しかったのかもしれない。フォンはただ一つ、先程までのあらゆるトラップが、能動的であれば攻略できなかったという決定的事項を忘れていた。

 彼が話している途中に、またも地鳴りが起きたかと思うと、今度は廊下にひびが入った。


「――な、なんだぁっ!?」


 ぐらぐらと揺れ、動きを阻害する震動。しかも今度は、その割れ目が大きく開いたかと思うと、何かがせり出してきたのだ。

 黒く、大きなそれを、四人は『壁』だと思った。だが、一行が一か所に固まるよりも先に突き出してきた壁が互いを分断し、首を折るかの如く曲がり、折り畳まれてフォンを、クロエを、サーシャを、カレンを分断した時、ようやく忍者が察した。


「また壁が……いや、違う! 今度は『部屋』だ!」


 四方を囲む黒い長方形は壁であり、部屋を形どる新たな罠なのだ。四人を合流させないように創られた、攻撃ではなく攪乱用の罠だ。


「僕達を分断するつもりなのか!? クロエ、皆、こっちに来てくれ――」


 必死に手を伸ばしたフォンだったが、後の祭り。

 壁が地面に突き刺さる轟音を最後に、四人はそれぞれの姿が見えなくなってしまった。つまり、黒い壁に閉じ込められてしまったのだ。

 冷たい障壁に手を叩きつけ、三人が叫ぶ。


「フォン、フォン!」

「あいつの声、聞こえない! サーシャ、壁を砕く……でりゃあぁッ!」


 今だけは警告を聞いていられないとばかりに、サーシャはメイスを握り締めると、振りかぶって渾身の一撃を叩き込んだ。

 壁はぐわんぐわんと音を立てたが、何も起こらなかった。ひびも入らず、割れず、暫くして何事も起きなかったかのような元の形へと戻ってしまった。


「……壊れない……壁、ひびが入らない!」

「サーシャの一撃で壊れないとは、どんな強度をしているのでござるか、この壁は!?」


 怪力でも壊れない壁も脅威だが、クロエにとって大事なのは、無音のフォンだ。

 カレンやサーシャの声は聞こえるのだが、フォンの声だけがまるで聞こえないのだ。


「フォン、聞こえるなら返事をして、フォン!」

「お前、声、聞かせろ!」

「師匠、無事でござるか!?」


 三人が己を囲む壁を叩くが、やはり返事はない。


「……駄目でござる、師匠の声だけ聞こえないとは、どうなってるでござるか……?」


 大袈裟に体を動かしてもいないのに肩で息をするカレンや、もう一度メイスで壁を殴りつけようとするサーシャよりも早く、クロエは冷静さを取り戻していた。

 こういう時、フォンを除けば次に頼りになるのがクロエだ。最年長というわけではないのだが、ソロ冒険者としての年季は最も長いし、必要であればダーティな発想もできる。だから、彼女が落ち着けと言うなら、残る二人も従った。


「落ち着いて、二人とも。フォンの言ってたことが正しいなら、これは試練だよ。だったら、どこかに壁の罠を解除する手段があるはずだから、それを探せば……」


 クロエも自分の立ち位置を理解していたからこそ、一番冷静であろうとした。


「――クロエ」


 ――自分のすぐ真後ろから、自分達の誰でもない声が聞こえてくるまでは。


「……っ!?」


 ただの声なら、驚かなかった。

 彼女の目が大きく見開いたのは、聞こえてきた二つの声が、聞き慣れた声だったからだ。


「……どうした?」

「どうしたでござるか、クロエ?」


 二人の問いに、クロエは答えなかった。

 正確に言えば、返答というよりは独り言のようだった。幽鬼の如く揺らめく背後の影に、クロエは矢を向けず、刃を振るわず、振り返りすらせずに声を漏らした。


「……あたしの後ろに、誰かがいる。いるんだけど、いないはずなんだ」

「何を、何を言っているでござるか?」


 返事など、あってないようなもの。クロエの目の焦点は、既に虚ろだ。


「昔に聞いた声が聞こえるんだ。でも有り得ないんだ、あたしが知ってるその人はもう死んでるはずで、こんなところにいるはずがないんだよ。どうして、なんでなの……」


 誰よりも落ち着き払っているはずの弓手の同様に、壁越しにカレンとサーシャが目を合わせた。どう考えても恐ろしい事態がクロエに降りかかっているのは明白だった。

 だから、カレンは耳を震わせ、クロエに怒鳴りつけるかのように吼えた。


「いかん、クロエ! 振り向いてはいかん! きっと罠に違いない――」


 カレンの制止など、もう耳に入らなかった。真実を確かめるべく、自分の脳裏を過る恐ろしい空想がただの妄想であればいいと願いながら、クロエは振り向いた。

 ――残念ながら、そこにいたのは、彼女が予想した通りの二人だった。

 同じ髪の色。同じ瞳の色。少し老けた、クロエに似た顔つきの男女。

 忘れるはずがない。見間違うはずがない。


「――お父さん、お母さん……!」


 暗い闇の中に立っていたのは――クロエの両親だった。

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