第118話 ニンジャ・シスターズ

 フォンが確実に敵を捕らえようとしているのと同様に、敵もこれ以上逃げようとは思っていないようだった。代わりに、彼をここで消そうと考えてはいるらしい。

 もう一人のフォンが羽織るコートの裾から、鋭い刃が伸びてきた。柄が見えない刃は、まるで騎士が使う剣のように、陽の光を浴びて輝いている。

 それだけではない。右手で剣を握り、左手には黒い四つの刃が付いた鋼の板を三つ、指の間に挟んでいる。掌大の大きさしかないが触れた空気すら斬り裂きそうな鋭さを誇るその武器が『手裏剣』と呼ばれるのを、フォンは知っている。

 やはり、予想は当たっていた。手裏剣を使うのならば、敵は高確率で忍者だ。


「……忍者だな、名を名乗れ」


 無言でしか返さない敵に、フォンは畳みかけるように話し続ける。


「どうして僕を狙う? 僕を知っているのか、恨みでもあるのか――」


 そこから先は、何も言えなかった。

 べらべらと喋る彼を黙らせるかの如く、もう一人のフォンが左手を振りかぶり、手裏剣を投擲してきたからだ。


「――ッ!」


 フォンは跳躍し、身を翻してかわした。服を僅かに掠める感触が肌にも伝わってきたが、そんな些末な問題は、着地した彼の眼前に迫る偽物によって掻き消された。

 偽物が振るう刃は、山賊やただの冒険者が剣や鉈を振り回すのとわけが違う。どこに当たればいいという乱雑さはなく、確実に急所である喉を串刺しにしようとした。

速さと力強さを両立した一撃の切っ先を、フォンは苦無をぶつけてずらす。火花が散るよりも先に、もう一人のフォンはくるりと体を回転させ、今度は本物の腕を斬り飛ばすべく、突風よりも勢いよく刃を薙ぐ。

 常人であれば上半身を裂かれる一撃だが、攻撃を予期していたかのようにフォンは苦無で防御する。刃は偽物の方が大きく、力もともすれば敵の方が強いが、技術で勝る本物は苦無をぶつけた地点から敵を全く動かさない。

 フォンと無機質な偽物の顔が、じりじりと近づく。虚空を見つめるようなそれの目を見るのは無意味だと判断した彼は、攻撃を一人に任せてばかりのもう一人を観察する。


(指を、動かしている? 何かを操っているのか?)


 後方で立っているばかりの何者かは、指を揺らすかのように動かしているだけだった。

 ピアノを弱々しく演奏している時のような、か細い指の動かし方。暇を持て余しているかのようにも見えるが、相手が忍者であれば、あらゆる挙動に意味がある。漆黒の衣装を身に纏ったそれが何をしているのか。

再び動いた指の正体を探るよりも先に、偽物のフォンが刃を突き放った。

 しかも今度は、手裏剣を持っていた方の左手にも同じ刃を握り締めている。苦無一本に一振りで敵わないのならば二振りの武器で切り刻んでやろうというのだ。

 距離を取ったフォンだが、偽物は瞬時に間を詰めてくる。人間とは思えない動きで体を捻り、不可思議な姿勢を一本の手足だけで支えて猛攻を仕掛けてくる敵に対し、フォンはじりじりと後方へ圧されてゆく。

 ここが好機とばかりに、一人は指の動きを強め、もう一人は大袈裟に刃を振るう。

 だが、そうやって敵が優勢になったと判断するのを、フォンは待っていた。


「甘いッ!」


 相手を殺そうとする瞬間にこそ、攻撃が最も大振りになるとフォンは知っていた。だからこそ、彼は自身の首を掻き斬ろうとした二振りの刃を屈んでかわし、がら空きになった敵の顎目掛けてアッパーを叩き込んだ。

 一人の指の動きが止まり、もう一人がぐらつく。刃を握る力が弱まった隙を逃さず、フォンはすかさず腹に蹴りを一発、微かなひびが入った顔に苦無を握った拳を三発、直撃させる。

 ようやく偽物は現状をどうにかしようと動き出すが、何もかもがもう遅い。

 敵が刃を薙ぐよりも先に、フォンの渾身のパンチが、その顔面を抉り取った。

 大気がみしり、と音を立てるかのような一撃は勢いよく振り抜かれ、肌を破壊し、偽物を吹き飛ばした。顔を屋根の瓦で削りながら転げ回ったそれは、もう一人の敵の足元まで殴り飛ばされ、ようやく止まった。

 普通なら、顔の皮を根こそぎ剥がれたショックで死ぬだろう。少なくとも、フォンから見れば確実に顔の皮は一枚剥ぎ落された。


「……成程」


 彼の推測は当たっていた。皮膚は確かに一枚、削がれた。


「僕の顔は、偽物か」


 しかし、静かに立ち上がったそれの内側にはもう一枚、別の顔があった。

 フォンとは似ても似つかない貌――女性の顔だった。剥がれた彼の顔がまだ三割ほど残っているので全貌は不明だが、目の大きさ、丸みを帯びた輪郭など、これまで男性の顔つきだったとは思えないほど、どう見ても同年代の少女の顔なのだ。

 しかも、よく見れば体格まで変わりつつある。フォンと同様に細い男性的な体つきではなく、華奢な少女の肉付きへといつの間にか変貌を遂げていた。瞬く間にフォンではなくなったそれの変化の理由に、彼は気づいていた。


「君は人間じゃないな。ついでに言えば、生命ですらない。さしずめ、後ろのもう一人が操っている人形といったところだな」


 武器を交えた感覚。殴った感覚。屋根を踏む音、その他諸々、十の要点。フォンの洞察力は、眼前の敵の片割れが人間でなく、人形の類だと結論付けた。

 ぼろぼろと剥がれてゆく顔をじっと見つめるフォンは、話を続ける。


「ずっと動かない一人が、糸も使わずに、指先の動作で人形を動かす。さも人間の如く傀儡を動かす技術は大したものだが、その『禁術』を僕は知っている……種は明かされたんだ、正体を見せろ」


 沈黙が流れる。八割ほど失われた偽物の肌が、真なる顔を晒しだす。

 やがて、小さなため息と共に、フードで顔を隠した敵が口を開いた。


「――凄いね、『傀儡の術』を知ってるなんて。やっぱり、お兄ちゃんはカッコいいなあ」


 お兄ちゃん。

 兄を呼び、指し示す単語。ただのそれだけなのに、フォンは背筋が凍り付いた。


「でも、私達のこと、忘れちゃったのかな。寂しいな、私はずっと覚えてたのに」


 可愛らしい、愛嬌に満ちた声の持ち主は、コートを脱ぎ捨てた。

 人形もまた、完全にフォンの肌が剥がれた顔を上げた。


「……君は……!」

「思い出してくれたんだね、覚えててくれたんだね」


 フォンは知っていた。全く同じ顔を持つ、まるで双子のような少女と人形を。


「久しぶり、お兄ちゃん。ずっと、ずっと、ずうっと、会いたかったよ」


 白い髪をたなびかせ、肩に龍の刺青をぎらつかせ、人形を操る少女は微笑んだ。

 歯と肉が見えるほど裂けた――頬まで裂けた、悪魔の口で。

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