第84話 エブロス生物科学研究所

 僕は多くの鮮魚が泳いでいる水槽から引っ張り出された。そこは薄暗い倉庫だ。ここはエブロス地下都市なんだと思うが、僕には何の確証もない。


「金」


 不愛想な髭面の男だ。


「ほらよ」


 アザミが分厚い茶封筒を髭面に渡す。そいつは中を確認して満足そうに笑った。


「じゃあな」


 男は鮮魚運搬用のトラックに乗り込み、そのままその場を走り去った。そしてアザミは僕の宇宙服のヘルメットを外してくれた。途端に何とも言えない解放感を味わう。僕はアザミに問いかけた。


「殺さないんだね」

「不要な殺しはしない」

「へえ」

「何が言いたい?」

「何も」


 こいつらがアケローンで何人も殺した場面を見て来た。それなのにあの男を殺さなかったのが不思議だった。


「アレは軍関係者だ。殺した方が足が付く」

「なるほどね」

「さあ、私たちも移動するぞ」


 僕は宇宙服を着たまま倉庫の隅に駐車していた黒いバンに乗せられた。貨物用の窓がない後部貨物室だ。


「ちょっと揺れるが我慢しろ」


 バックドアが閉められ、僕はまた暗闇に包まれる。

 メタン燃料のタービンエンジンがシュイーンと甲高い回転音を響かせ、バンが走り始めた。貨物車の床に座っていると、路面からの突き上げを直接受ける。体が浮き上がったり揺さぶられたり、とにかく乗り心地が悪かった。先程までの静かな水中とは大違いだ。これは車酔いしそうだと思ったところで振動が少なくなる。これは舗装路に入ったのか、さっきまで未舗装だったと気が付く。バンは速度を上げて走り始めた。一旦停止などせず、一定の速度で走っている。高速道路なのか。


 僕がいる貨物室は真っ暗で何も見えない。聞こえてくるのはキーンという甲高いタービン音と、ボボボと低く響く排気音だけだ。十分程度しか経過していないはずなのに、もう何時間も走っているような気もする。比較する何かが無ければ、時間を把握する事は難しいと気づいた。


 バンの速度が下がり、左右にGがかかる。高速道路から一般路へと入ったのか。目的地は近いのかもしれない。


 ふわりと重力が無くなる感覚があった。これは急な下り坂。地下の駐車場にでも入ったのか。バンが停車し、バックドアが開かれた。


 眩しい。大した光量ではないはずなのだが、ずっと暗闇の中にいた僕にとっては失明してしまうんじゃないかって位のものだ。


 その、光芒の中に二人の影があった。

 一人は細身で長身の男性。一人は小柄な女性。そんな印象を受けたのだが、目がちゃんと見えている訳じゃない。


「エブロス生物科学研究所へようこそ。私は所長のヨシカズ・ワッジです」

「ボクはアキレウス・政宗だよ。こんな名前だけど女の子なんだ。間違えないでね」


 長身の男性、ヨシカズ・ワッジに手を引かれバンの貨物室から降りた。やっと目が見えて来た。彼は初老の紳士で白髪なのだが肩まである長髪にしていた。研究者らしく白衣を羽織っている。

 もう一人のアキレウス・政宗はまだあどけない表情の女性。中学生か高校生といっても差し支えない容姿をしている。栗色の髪をツインテールで束ねているところが若さを更に際立たせていた。

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