第118話 新魔王城 五階 その一

◆新魔王城 五階


 新魔王城の五階は長期籠城に備えた備蓄の階である。

 侵入者を排除して備蓄を守るための近衛詰所があり、いくつもの食糧庫や武器庫、油槽室や水槽室が並んでいる。

 水槽は単に水を貯めるだけでなく、魔法によって空気から水分を抽出して集める機能も持ち、見た目以上の水量を誇る。


 水槽室に置かれた水槽の一つから小さな銀色の塊がずるりと這い出してきた。

 茶色く濁った液体に塗れたその塊は力なく床に落ちる。

 鈍い動きで這いながら、その場に置かれている大型の甲冑に入り込んでいく。


 銀色の塊は冥王ネクロウス。

 そして大型の甲冑は彼が開発した生体甲冑。多数の龍と鬼を虐殺し、その生体パーツで作りだしたものだ。

 ネクロウスが融合したことで生体甲冑が起動、ぴくりと動く。


「……さすがは愛しき君…… まとめて不活性化するとは……」

 五階と四階の間には、四階に水を供給するための貯水設備がある。そこにネクロウスは己の銀血を貯め込んでおき、四階に放出して攻撃に使った。

 その貯水設備に、魔王ヴァールの手で聖剣ヘクスブリンガーが突き刺されてしまった。

 ヘクスブリンガーには魔力吸収と魔法阻害の効果がある。しかも巨大化で効果は増幅されている。

 貯水設備に貯めていたネクロウスの銀血はヘクスブリンガーに魔力を奪われてほとんど不活性化した。


 魔王は銀血を不活性化し尽くすこともできたはずだ。

 だが銀血はわずかに残され、ネクロウスはなんとか五階に脱出してきた。

 あれほどの怒りを見せながら、魔王はネクロウスを見逃したのだ。 

「ふふふ…… 甘すぎます」


 銀血はネクロウスの身体そのものだ。銀血の大半を失ってしまったネクロウスは大幅に弱体化している。しかし生体甲冑には圧倒的な戦闘力がある。銀血も魔力を補充していけば回復できる。


 戦いはまだこれからだ。

 勇者ルンと魔王が分断している隙に魔王を確保しようとして、それは失敗した。

 だが両者は分かれたままだ。今のうちに勇者ルンを討つ。

 人間を滅ぼすためにはまず人間最強の勇者を倒さねばならない。

 全ては愛しき君のために。


 生体甲冑を支配したネクロウスは水槽室を出ようとして、気配に動きを止める。

 五階には油槽室や食糧庫、武器庫が並んでいる。近衛が待機するための詰所は空だ。鬼に使わせていたが、根こそぎ出撃させたらまとめて操術から解放されてしまった。もう戻っては来ない。


 食糧庫のひとつから気配を感じる。

 ネクロウスはいったん生体甲冑から這い出て、小さな銀色のナメクジめいた姿になった。廊下を静かに進み、食糧庫を覗き込む。

 

 十三、十四歳ぐらいの少女がうろついていた。ぼろぼろの鎧をつけて、ポニーテールの黒髪をなびかせている。口には腸詰をくわえていた。

 勇者ルンだ。彼女が食料を漁っている。

「大魔王はいいもの食べてるね、ずるいんじゃないかな」

 そう言いながらも腸詰を喰いちぎっては咀嚼し、飲み込む。

「よりどりみどり、次はどれにしよっかな」


 ネクロウスは心の中でほくそ笑んだ。

 これは大チャンスだ。

 龍姫ジュラを操術に捕らえたときも、食料の中に銀血を潜ませておいた。同じ手が使える。


 ネクロウスは気配を消して食糧庫に入り、棚の後ろに回った。

 ルンが食べているあたりにゆっくりと近づく。

 保存魔法がかけられている果物パイを見つけて、その中に潜り込んだ。


 ネクロウスは待つ。

 ルンはパンをむさぼり、砂糖菓子をかじり、そして遂にネクロウスの潜むパイを手に取った。


 ルンは大きくパイをかじる。

 その隙にルンの体内へとネクロウスは侵入した。


 ネクロウスは勝利に酔う。

 勇者とてこの程度。

 体の中に広がってやる。

 支配してやる。

 我が道具に使ってやる。

 勇者の力で人間を滅ぼしてやる。


「お帰り、ネクロウス」

 ルンが朗らかに言った。


 ルンがどうしてネクロウスに呼びかけてくる!?

 ネクロウスは理解できない。

 体内に入り込んだというのに、ルンを支配できない。

 逆に自分が動けない。


「あ、忘れさせてるんだっけか。ほら、解放してあげるよ」 

 ルンが楽し気に言う。


 ネクロウスの意識が突然晴れ渡る。

 世界の見え方が一変する。


 魔王ヴァール、愛しき君。

 なぜ己は愛しき君の願いに逆らっている?

 どうして己は魔族を手にかけた?

 虫一匹ですら殺せず、臆病呼ばわりされていたのに。

 死別の悲しみに暮れる者たちを救うため、忌み嫌われる死霊術を志したというのに。

 それを分かってくれた愛しき君の願いに尽くすと誓ったのに。

 ああ、魔族と人の和平を夢見た愛しき君よ。


 記憶が蘇ってくる。

 三百年前、愛しき君が封印されてしまったとき。

 結界を観測していた己は、結界内部から現れた存在に浸蝕され、魂を乗っ取られた。

 存在は命じた。

 一人ずつ乗っ取るのは効率が悪い。まとめて操るための術を研究せよと。

 一人ずつ殺すのは効率が悪い。まとめて殺すための兵器を開発せよと。

 逆らおうとした己は意志を抑えられ、記憶を奪われ、いつの間にか存在のことも忘れさった。

 そして己の意志と信じ、操術を生み出し、魔動甲冑を作った。


 ネクロウスは声のない叫びを上げる。

 怒りと屈辱と罪悪感が心の中を渦巻く。

 己は許されないことをした。

 己は愛しき君を裏切った。

 あまつさえ傷つけようとした。


 操術であまたの者を支配し、道具にしていたつもりが、操られていたのは自分だった。

 自分こそが道具だ。


 許せない。

 己を。己に命じた存在を。


 そう、あの存在を感じる。

 すぐ側にいる。勇者ルンの中に。

 何者だ、お前こそは愛しき君の宿敵。

 

<我はアトポシス。星神の娘。全ての生命からあらゆる魔力を取り戻し、この星を受け継ぐ聖なる女神>


 アトポシス、聖女神。

 実在したというのか。


<時は来た。我の祭りが始まる。人は終わる。魔は滅びる>


 

 ルンは食べるだけ食べて満ち足りたようだった。

「さあ、行こっか。いよいよ君の発明を使うときだ。君は本当によくやってくれたよ。お礼にそこで観てていいからさ」


 ルンが手を伸ばすと、生体甲冑はするするとまとわりついてルンの全身を覆う。

 生体甲冑を装着したルンは二回りも大きく見えた。 


「名前を付けてあげよう。そうだなあ、君の名をとって生体甲冑ネクロシス。うん、いい名前だ。さあネクロシス、手始めに大魔王を始末しよう」

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