第99話 追いかけっこ

◆新魔王城 一階 酒場ダン&マッティ ノルトン支店


 魔王ヴァールは堂々たる威厳をもって食事に挑もうとしていた。

 飾りがついた黒いローブに赤いマント姿の正装だ。


 ここは新魔王城の一階に開店したばかりの酒場ダン&マッティ、ノルトン支店である。

 冒険者たちはここに酒とつまみを求めてやってくる。

 しかし魔王が求めるのは焼きたてホカホカふわふわのパンケーキなのだ。


 二階を攻略して一仕事終えたヴァールはすっかりお腹を空かしていた。

 大人用のテーブルについて高い椅子に座っているヴァールの足は床に届かない。

 厨房のほうからバターの香ばしい匂いが流れてきて、ヴァールはごくりと唾を飲み込む。

 足をぶんぶん振りそうになって、なんとか威厳のために我慢する。

 なにせ周り中の子どもたちから注目されている。


 酒場には子どもたちがあふれていた。

 子どもたちが新魔王城を見学に来ている。

 引率しているのはノルトン聖教会寺院のジリオラ先生、見習い女神官だ。

「静かに! はい、そこ走らない!」

 注意して、つかまえて、大変そうだ。


 子どもたちは魔王ヴァールに興味津々だった。

「リヴィールちゃん、魔王なの?」

「なんでみんな、ばあるって呼んでるの?」

 魔王を取り囲んで声をかけてくる。


 魔王は寺院で名前をごまかしたのを後悔しつつ、

「ヴァール・アルテム・リヴィールが余の名前なのじゃ」

「ばある・あるてむ・りびいる、かっこいい!」

 子どもたちは歓声を上げる。

「ばある! ばある!」


 酒場には数十ものテーブルが並んでいて、冒険者たちも酒や食事でくつろいでいる。

 ジリオラの姉である重剣士グリエラもどっかと座って肉を食べていた。他にもヴァールの見知った顔が多い。

 冒険者たちは子どもたちに合わせて叫んだり食器をフォークで叩いて拍子を取ったりして、酒場の喧騒が高まる。


 子どもたちに囲まれたヴァールのテーブルへといよいよパンケーキが運ばれてきた。

 高まる香りにヴァールは目を輝かせる。


「特製パンケーキお待ちどうさま!」

 ヴァールのテーブルに、女将のマッティがにこやかにパンケーキの皿を置く。


「久しぶりなのじゃ!」

 ヴァールはバターの香りをいっぱいに吸い込む。 

 パンケーキの上には黄金色の蜂蜜がとろけている。

 添えられた赤いキイチゴがまた甘酸っぱく美味しそうだ。

 

 だが子どもたちはまだまだ話しかけ続ける。

「ねえ、どうしてまおうなの?」

「ゆうしゃじゃないの?」

「つよいの?」

「どらごんやっつけられる?」


「魔族と人間を守る仕事をするのが魔王なのじゃ。勇者も致し方なくやっておるのじゃ。ドラゴンには負けたことがないぞよ」

 ヴァールはなんとか威厳を保とうと努力するが、口からよだれがたれそうだ。


「またいっしょにべんきょうしようよ!」

「たのしいよ!」

「ごはんおいしいよ!」


 子どもたちが口々に誘ってくる。

 ヴァールがよく見れば、以前に聖教団寺院で出会った以外の子どもたちも増えている。ヴァリア市の子らなのだろう。


「勉強かや。こうも子どもがいるのであれば学校を作るのもよいかもしれぬな」

 ヴァールのお腹が大きくぐうと鳴って思案を中断させた。


「はいはい、みんな、魔王様のご飯を邪魔しない! あっちでドーナツもらえるからね!」

 ジリオラが子どもたちをヴァールのテーブルから追い立てる。

「ごめんねえ」

 ヴァールに一声かけて、ジリオラは酒場のカウンターへと子どもたちを引率していった。

 そこでは揚げたてのドーナツが子どもたちに配られている。

 ドーナツはアズマ群島から伝わる伝統的な揚げ菓子だ。


 ようやく一人になったヴァールは勇んでフォークとナイフを手に取る。

 ナイフでパンケーキを細かく切り、フォークで一つ刺して小さな口でかじる。

 柔らかく熱々な甘さと香ばしさが口いっぱいに広がる。

 表面の絶妙な焦げ具合と中身のふわふわ加減、料理人ダンはさらに腕を上げたようだとヴァールは感服する。


 でもこんなに美味しいのになにか物足りない。

 ヴァールの目に映るのは子どもたちの仲良い姿、冒険者たちの談笑。ジリオラは姉の重剣士グリエラと仲睦まじげに話している。


 ヴァールはテーブルに独り。

 いつも一緒だったエイダの姿はない。

「寂しいのじゃ……」

 ヴァールは心の声を漏らす。


 そこに声をかけてくる者がいた。

 エイダの声かと胸をときめかせてヴァールは見上げた。


「ビルダなのダ。……三階への階段入口を開けてきたのダ」

 見た目にはエイダと変わらない。ただし道着をまとっている。


「ーーありがとうなのじゃ。守りは付けたかや?」

「聖騎士に連絡しておいたのダ」


「せっかくじゃ、そこに座るがよい」

 ヴァールに言われて遠慮がちに座る。


「……三階には行かないほうがいいと思うのダ。危なすぎるのダ」

「今までも、危ないのは、なんとかしてきたぞよ」

 ヴァールはパンケーキをほおばりながら首を傾げる。

 

「エリカも言ってたのダ。勇者ルンが来ればいいのダ」

「余では不足なのかや?」


 ヴァールはテーブルの向かいをじっと見つめる。

「だって、危ないじゃないですか……なのダ。エリカは魔王様を裏切って封印したそうじゃないですか、なのダ」


 ヴァールはしばらく無言でパンケーキを食べる。

 遂に最後の一片まで平らげてから口を開いた。


「ーーエリカは確かに死んだのじゃ。余の目前でな…… どうしてエリカのふりをするのじゃ、エイダ」

「だって皆があたしをエリカの転生体だって、あ!」


 ビルダの服を着ていたエイダがテーブルから立ち上がった。

「いつから気付いていたんですか、ヴァール様」

「初めからじゃ!」

 ヴァールも立ち上がる。


 エイダは脱兎のごとく逃げ出した。

 人々をかき分けて酒場を走る。


「待つのじゃ!」

「待てないです!」


 エイダは酒場の扉を体当たりで開いて通路に出た。

 左右を見て、二階への通路を選ぶ。


 ヴァールは人々の足元を抜けてエイダを追う。

 扉を出て、通路の向こうに小さくなっていくエイダを見つける。


 通路には人が多くて魔法は使いにくい。

 ヴァールは二本の足で懸命に走る。

 息せき切って二階への階段入口にたどりつき、階段を駆け上る。

 通路の奥にちらりとエイダの姿が見えた。


「行くぞよ!」

 ヴァールの背後に魔法陣が出現。

 ヴァールのマントが風を巻いてはためく。

 風がヴァールの身体を浮上させた。

 ヴァールは風に乗ってエイダを追う。


 右に、左に、急旋回しながらマントを風に唸らせて猛スピードで通路を飛ぶ。

 エイダとの距離がみるみる縮まり、ヴァールは後ろからエイダに飛びかかった。

 二人はもつれあうように倒れ、ヴァールが下敷きになりそうなのを慌ててエイダが支えて下になる。


 床に倒れたエイダと、小さな身体でのしかかっているヴァール。

 二人はしばらく荒い息を重ねていた。


「ヴァール様、あったかい……」

 冷たい床と温かなヴァールの身体のコントラストに、エイダの心臓が激しく脈打つ。


 エイダの顔を熱い液体が濡らした。

「え?」

 ヴァールが大きな両目から涙を滴らせていた。


「余と汝は伴侶ぞ。共に居よ。余を信じよ」

「信じています! でも自分を信じられないんです!」

 エイダはヴァールをそっと抱き起す。そのまま強く抱きしめたくなるその手を懸命に離す。


 ヴァールの長い睫毛は涙に濡れ、その瞳は悲しみに沈んでいる。赤い長髪は元気なく床に広がる。

 あまりにも愛らしいその姿。エイダは胸が張り裂けそうな思いに襲われる。

 エイダは振り絞るように叫ぶ。

「あたしはエリカの転生体かもしれなくて、またヴァール様を裏切るかもしれないんです! だからあたしは、あたしはルンと戦って調べなきゃ!」


 向こうから金属のぶつかり合う音が近づいてくる。

 重装備の聖騎士たちだ。


「どうされましたか、勇者閣下」

 聖騎士たちが心配して声をかけてくる。


 騎士たちの隙間を瞬時にエイダは抜けた。

 ヴァールを見つめ、何かを言おうとして言えず、踵を返して駆け出す。先ほどよりもはるかに速い。人間離れした速度だ。

 ヴァールは困惑する。これではまるで勇者のようではないか。


 エイダは三階への階段を駆け上がる。

 ヴァールも続く。


 三階にたどりついたヴァールは目を疑った。

 どの方向の通路も漆黒の闇に閉ざされている。


「暗黒洞の結界かや!」

 重力で遮蔽された暗黒洞は、かつてエリカがヴァールを捕らえるのにも使った絶対の結界だ。入れても出ることはできない。


 エイダが近づくと暗黒洞結界は消え、エイダは通り抜ける。その先にはさらに多重結界が続いている。

 エイダを迎えるように多重結界は次々と消え、しかしエイダが通ると多重結界は復旧していく。

 この三階は無数の暗黒洞結界によって閉ざされているのだ。

 この結界をひとつ解除するだけでも莫大な魔力を要してしまう。


「えいだあああっ!」

 エイダは暗黒洞の彼方に去った。

 ヴァールの叫びはもう届かない。

 ただ床に点々とエイダの涙が残っていた。

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