第83話 宰相

◆男爵城 敷地内工場


 エイダは寝る間も惜しんで作業に勤しんでいる。

 銀血による支配の謎を解かねばならない。

 ジュラや鬼魔族を支配から解放できれば、きっと魔王様は大喜びしてくれるはずだ。


 魔王様がぴょんぴょん跳ねる様を想像してエイダはにやにやする。

 ああ、思い浮かべるだけでもこんなにかわいらしいのに、本物の魔王様だったらもうたまらない!


 垂れそうになったよだれをふいて、エイダはに聴診器を当てる。

 支配された兵士の心音は普通の人間のそれとは異なる。

 心臓には特に銀血が多く集まっているのかもしれない。


 鬼魔族には魔導師ネクロウスからなんらかの命令が下ったらしく、被験体にしていた鬼魔族たちも起き上がってどこかに行ってしまった。

 しかしネクロウスにとっては人間の兵士など価値がないらしく、兵士たちはそのまま放置されている。

 これ幸いとエイダは兵士の身体を調べていた。


 兵士たちから得られた結果には首を傾げることばかりだった。

 エイダは首を傾げる。

「心臓は動いていて確かに生きてるのに、死にたてほやほやだって反応が出るのはどうして? 銀血のせい? でもそれにどんな意味が?」


 集中して調べているエイダの耳にやかましい音が飛び込んできた。

 つんざくような爆音が工場の外から響いてくる。

 調査を邪魔されたエイダの眉間にしわが寄る。


「ゴッドワルドさん、ボーボーノさん、黙らせてきてください!」

 エイダが声を上げる。


 調査に徹夜で付き合わされて疲れきり、被験体たちと一緒にテーブルの上で寝ていたゴッドワルド男爵と自称将軍ボーボーノがびくりとして目を開く。

「何事だ?」


「この音が調査の邪魔です!」

 外からの音に負けじとエイダが声を張り上げ、二種類の大音響にすくみ上がった男爵とボーボーノは飛び起きる。


「み、見てくるとするか」

「す、すぐに行くでげす!」

 二人は急いでテーブルから降り、よろよろと外に向かう。


 ボーボーノが小声で、

「このまま外まで逃げましょうや」

「ばかもん、ここは俺の城だぞ」

 反論する男爵の声に力はない。


 男爵はあせる。

 ネクロウスが支配の力を見せつけ、小娘エイダにも仕切られている。

 強大な鬼魔族を思うがままに操ってきたはずが、もう一人とて言うことを聞かない。

 なんとか立場を取り戻さないと元の貧乏貴族に逆戻りだ。


 工場を出た男爵とボーボーノは口をあんぐりと開けて空を見上げた。

 眩しい朝日を背景に、空には翼を持つ者たちのシルエットが浮かび上がっている。

 つんざくような爆音を立てているのは彼らの翼だ。


 翼を四枚持つ者、八枚持つ者、そして中央には十六枚もの翼を持つ一際大きなシルエット。

 その者たちが城の庭に降下してくる。

 鱗の装甲をまとい、龍の翼と鬼の面を持つ者たちだ。

 翼からは風が噴き出しており、それが爆音の理由だった。

 地面に当たった風が土埃をまき散らして、男爵とボーボーノは目を腕で覆う。


 着陸し終わってようやく音が静まり、男爵たちは降りてきた異形たちを凝視する。


「や、やい、名を名乗れでげす!」

 ボーボーノが怒鳴る。

 一緒に文句を言おうとした男爵の声が止まる。


 中央に立つ者の胸甲には北ウルスラ王国の紋章が描かれていた。

 本来であれば王にしか許されない出で立ちだ。

 周囲を固める者たちの胸甲には近衛の紋章。


 男爵は蒼ざめながらがたがた震える。

「ダンベルク宰相閣下!」


 中央に立つ者の面頬が開き、壮年男性の顔が覗く。

 威厳と威圧感に満ちたその顔は確かに北ウルスラ王国を実質的に支配している男、ダンベルク宰相のものだった。

 太い眉とぎょろぎょろした大きな目が印象的だ。


 慌てて男爵たちは地面にひれ伏す。


 ぎょろ目で周囲を見渡した宰相は負傷者用テントの多さに顔をしかめ、

「ひどい有様ですねえ。大失態ですよお、これは」

 見た目によらず、甲高い声で言う。


 王軍のディスロ将軍が、宰相の元に駆け寄ってくる。

「宰相閣下、こたびの敗戦、誠に申し訳ありません! しかし戦死者は一名もおらず、すぐに戦力は回復できます! どうか王軍の名誉回復のために今一度の出撃をお許しください!」

 

 頭を垂れるディスロ将軍に対して宰相は鼻で笑い、

「ディスロともあろうものが聖騎士団の勇者ただ一人にやられたとか。ふむん、むしろ好都合というものですよ! これは生意気な聖教団を押さえつける良い機会! お手柄ですディスロ将軍!」


 ディスロ将軍は宰相の言葉をどう捉えるべきかわからず、黙って聞いている。


「しかし一人も戦死しなかった? いけませんね、それでは茶番と見られてしまいます。血が流れてこその戦場!」

 宰相がまとう甲冑は、背中から十六枚の翼が生えている。その一枚が動くやディスロ将軍の首が飛んだ。


 何が起きたのか分からないという表情を浮かべたディスロ将軍の首が、ひれ伏す男爵たちの前に落ちる。

「ひっ!」

「ひいいい!」

 血がかかった男爵たちは思わず叫びを上げる。


 宰相は自分に酔ったような声で、

「あああ、なんたる悲劇でしょう。王軍の剣たる将軍が、反乱勇者のせいでお亡くなりに! それもこれも反乱のせい! ヴァリアには天罰を下さねばなりません! 勇者は斃れねばなりません! 偽王は地獄に落ちねばなりません!」

 そこで宰相は周囲の近衛騎士たちにぐるりと目をやる。


 近衛騎士たちはきらびやかな剣を高く掲げた。

「ヴァリアに滅びを!」

「勇者に死を!」

「偽王に地獄を!」


 地面にひれ伏したままでがたがた震えている男爵たちに、上から宰相の声が降ってくる。

「ネクロウスを呼んできなさい」


「は、はいっ!」

 男爵とボーボーノは飛び起きる。

 だがネクロウスが今どこにいるのか分からない。今の城は入ってみても迷ってしまう始末だ。


「ただいま呼んでまいります!」

 男爵とボーボーノは闇雲に駆けだそうとして、動きが停まった。

 鬼魔族の群れ、海龍の少女、そして魔導師ネクロウスがぞろぞろとやってきたのだ。


 ネクロウスはダンベルク宰相の前に膝をついた。

 全身を黒いローブで覆っていてその表情はうかがい知れない。

「お待ち申し上げておりました。このような片田舎まで遠路はるばるお越しくださいまして光栄至極にございます」

「挨拶など時間の無駄、お前にはヴァリア絶滅の任を与えます。鬼と龍を使ってヴァリアに侵攻なさい」


「そ……」

 その鬼と龍はネクロウスではなく自分のものだと言いかけた男爵は、近衛騎士たちがゴミでも見るかのような冷たい視線を向けてきたので黙り込んだ。

 少しでも邪魔をすれば容赦なく掃除されてしまうだろう。


「この地に来ているはずの勇者はいかがなさいますか」

「わたくしが遊んであげましょう。全ての王国を滅ぼしてダンベルク帝国を打ち建てる手始めに、勇者を血祭りにあげるのも悪くありませんからねえ」

「その魔動甲冑の慣らしにはちょうどよいかと存じます」


 男爵は二人の会話に聞き耳を立てている。彼らが交わす会話は以前からの知り合いとしか思えない。

 ボーボーノがごく小声で、

「ネクロウスの奴め、ずっと宰相閣下と通じていたに違いないでげす。うまいことやりやがって」

「……あの魔動甲冑とやらもネクロウスが用意したようだな」


 宰相や近衛騎士が着ている甲冑を男爵はそっと眺める

 翼の数や装甲の作りで数種類あるようだが、基本的な作りは同じだ。

 全身を覆う装甲は鱗のような構造をしていてまるで龍の身体を思わせる。

 背中には飛龍のような翼が複数。翼の先にはそれぞれ龍の首が生えている。

 頭部は二本角が生えていて鬼魔族によく似ている。

 魔族を寄せ集めたような甲冑だった。

 それも生きた魔族の各部分を。

 男爵は身震いする。

 

「止めてください! もうちょっとで結果が出るところだったのに」

 エイダの叫び声が響いた。

 工場から近衛騎士たちが出てきた。エイダを連行している。


 宰相はエイダをじろりと眺めて、

「ふむん、この女を勇者退治の餌に使わせてもらいましょう」

「あたしがそんな役に立つと思うなら大間違いです! あたしはただの下僕です!」

 エイダが叫ぶ。


 宰相は眉根を寄せて、

「黙らせておきなさい」

 近衛騎士の一人が籠手でエイダの口を押える。

 エイダはそれでも叫んでいるようだが、何を言っているのやら。


「勇者をお探しになるなら私めに道案内をお任せください」

 なんとかここで点数を稼ごうと、男爵は勇気を振り絞って宰相に声をかける。


 宰相はつまらなそうに、

「案内など不要なのですよ。道などなくなるのですからねえ」

「はい?」


「このノルトンを平地にして差し上げるのです。そうすれば残ったのが勇者ですよ」

「そ、それはしかし民が」

「反乱を治めるための尊い犠牲、感謝せねばなりませんねえ」


 宰相の魔動甲冑は十六枚の翼を広げた。

「さあ、掃除の時間ですよ。きれいに一掃するとしましょうか」

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