第67話 激流

 魔王の一行が霊廟にたどりつく少し前まで時をさかのぼる。


◆男爵城 最上階 執務の間


 ゴッドワルド男爵は執務の間に大きな安楽椅子を置き、そこにふんぞり返って命令を下していた。

 ごてごて飾り立てられた悪趣味な剥製をどこに飾るか、鬼魔族たちに言いつけている。

 人間の兵士であれば数人がかりでようやく動かせるような重い台座付きの剥製も、鬼魔族は一人で軽々と運ぶ。


「今一つ決まらんな。そうか、まだ剥製が足りんのだ。おいボーボーノ、王都まで買い付けに行ってこい」

 男爵は傍らに控えている部下のボーボーノに命じる。

 ボーボーノは男爵領の兵士たちを率いる立場で、将軍と自称している。


「男爵閣下、その前にお耳に入れたいお報せが」

「大魔道男爵と呼べと言ってるだろうが!」


 男爵は手に持った扇でボーボーノを打擲してから、

「それでどうした。動いたか」

「ははっ。魔導師からの報せで、いよいよ獲物が籠に入ったとのこと。水責めの時にございますぞ」


 男爵は立ち上がった。

「我が偉大にして精緻な計画が最終段階を迎えるのだ! 邪魔者どもをまとめて沈めてやるわ」

「計画したのは魔導師では」

「ええい! 私が計画させたのだ!」

 男爵はボーボーノを激しく打擲し、扇を開いた。

「いざ水門を開けい!」

「ははあっ」


◆男爵領からヴァリア市への地下トンネル


 サース枢機卿とアンジェラはトンネル内を早歩きして、ヴァリア市へと先を急いでいる。

 空間が魔法で圧縮されているため、通常では数日かかる行程が数時間ですみそうだ。

 とはいえ、暗くじめじめしたトンネルを歩き続けるのはそれなりにアンジェラの体力を奪っていく。


 ときどき張られている結界をくぐり抜けるのもアンジェラは気持ち悪かった。


 一方通行の結界で、男爵領からヴァリア市の方向には通すがその逆は止められる。

 認証された魔道具で制御すれば向きの反転もできるようだ。男爵たちはヴァリア市から戻ってきた後に結界を反転したのだろう。


 あちこちに魔道具を使った罠が設置されている。無理に結界を破ろうとすれば発動するの仕掛けのようだ。

 壁に設置されている引き絞られた弓矢や、天井にびっしり並んだ棘が剣呑だ。

 殺気に囲まれて、背筋を寒くしながらアンジェラは歩く。


 先を行くサース枢機卿がぴたりと足を止めた。

 険しい顔のサースは横に伏せて地面に耳を付ける。 


「やはりな」

「どうしたんですか」


「水音が近づていてくる。水門を開けられたぞ」

「なんですって!?」


 考えてみればいつ開けられてもおかしくない状況だったが、そこまですぐではなかろうとアンジェラは高をくくっていた。

 耳をすませば轟音がかすかに聞こえてくるような気がする。

 このトンネル内で水流に巻き込まれれば逃げ場などない。一巻の終わりだ。


 アンジェラは急いで走り始める。

 ロングスカートは邪魔だし、胸が揺れるのも走りにくい。

 冒涜的な言葉を吐きかけてサースに聞かれることに気付き、慌てて口をつぐむ。


 サースはしばし走ってから、

「これでは間に合わんな。やるしかないか」

 アンジェラをひょいと抱え上げてお姫様抱っこした。


「え、な、なんですか!?」

「目をつぶれ」


「はい?」

「目を絶対に開けるな。開けたら捨てていくぞ」

「は、はい!」


 アンジェラは訳も分からず目をぎゅっとつむる。

 サースの走る音が速くなる。

 風がびょうびょうと肌に当たる。


 アンジェラはサースの首にしがみつく。

 少年とは思えない身体つきに感じたが、目をつぶっているのではっきりしない。


 サースはなにやらぶつぶつ独り言を言っている。

 異様なまでの高速移動を感じているアンジェラは怖くてそれどころではなかった。

 それに風が激しくて言葉は聞き取れない。


 さっきまで少年だったはずのサースは大人の姿になっている。

 老いた顔だが引き締まった筋肉質な身体つきだ。


「やっぱり本性が最も速いかのう」

「そうですなあ」

「子どものふりなんぞしおってからに」

「おい、そう決めたのはお前、いや、俺だぞ」

「さわぐなや。人格をひとつに寄せるぞい」


 目まぐるしく表情を変えながらサースはつぶやく。

「わしはサース一世、二世、三世、四世、五世、聖騎士団の創設者であり継承者にして後継者の統率者である反逆者。全ては仮初の姿」


 サースの耳が伸びて尖る。

 森魔族エルフの特徴だ。

 もはやサースではなかった。


「拙者は森魔族忍群の頭目、ヴァール魔王国四天王が一人、忍王サスケ。拙者は……」


 アンジェラを抱きかかえたサスケは飛ぶように走る。

 彼の顔は苦悶の表情を浮かべている。


「今の拙者は魔族を裏切りし者。もはやヴァール様に合わせる顔などござらぬ。しかれども陛下のご無事が大事」


 後方から水が迫ってくる。

 土砂混じりの黒い濁流だ。


「この危機を早くお知らせせねば。そして召還の命に応じぬエイダを陛下から遠ざけねば」


 サスケの目がギラリと光る。


「このままではいずれエイダに陛下のお命が奪われる」


 前方に明かりが見えてくる。

 トンネルの終わりが近い。


 サスケの姿が再び変わり、少年の姿に戻っていく。

 ヴァールに会わせる顔がないという思いはサース五世という人格に分離される。


「僕は会わないからな!」


 サース五世はトンネルから飛び出した。


「もう目を開けていいぞ」

 サースから言われて、アンジェラは地面に降り立つ。

 目を開くとそこには予想どおり地下都市空間が広がっている。


 トンネルの出入口を警戒していた聖騎士がサースを見つけて誰何しようと近づいてきた。

 逆にサースは聖騎士を怒鳴りつける。


「馬鹿者、僕が誰か分からないか!」


 聖騎士は目を疑う。

「は、いえ、こんなところに猊下がいらっしゃるとは」

「時間がない! ここから濁流が流れ込んでくるぞ! 早く勇者殿にお報せしろ! 地下にいる者は全員退避だ!」


「は、ははっ!」

 

 怪訝な顔で集まってきた警ら隊の者たちに聖騎士が説明する。

 トンネルの奥から低い地響きのような音が近づいてきている。

 サースが言ったことのの信ぴょう性は明らかだった。


魔法板マジグラムは連絡に使えないのか」

「だめです、ここは結界に邪魔されて」

「では足で伝えに行け!」


 警ら隊の者たちは急いで各所に散っていく。

 冒険者らがまだあちこちで探索しているのだ。

 そして墓所の地下深くにヴァールたちが潜ったままだ。

 

「ハインツはどこなの?」

 アンジェラの問いに聖騎士は暗い顔で、

「勇者殿と共に地下の墓所へと向かわれました」


「あのバカ!」

 アンジェラは歯ぎしりする。


「猊下、私はハインツを探しに行きます」


 アンジェラに言われたサースの動きが止まった。

 どう答えるか、懊悩しているように見える。


「あ…… ああ…… 行くがいい…… 僕は……」

「行って参ります!」


 アンジェラは聖騎士の一人に道案内を頼み、駆け出していく。


 サースは拳を強く握りしめる。血が出るほどに爪が掌に食い込む。

「僕は…… わしは…… 拙者は…… 絶対に会いたくない、お会いしたい、お会いする訳にはいかぬ…… そうだ、エイダを回収せねば、殺してでも」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る