第64話 亡霊

◆ヴァリア市 地下


 震えるヴァールの身体から血の気が引いて、その顔は蒼ざめる。


 目の前に広がるのは滅び去った魔王国の都。

 かつて世界中の魔族たちが集った活気あふれる街は今や死んだ抜け殻。


 かつて魔王国は魔王を封印されて統率を失い壊滅した。

 強大な力を持つがゆえに対立も激しかった魔の諸族をまとめていたのは魔王。

 諸族を愛する魔王があってこその魔王国だったのだ。


 自然が厳しく作物に乏しい北辺の地だ。

 魔王がいないのであれば住み続ける道理もなかった。

 魔王城と都から住民は去った。


 歴史を研究してきたエイダからそうした話を聴いて、ヴァールも自分が封印された後の国がどうなったかは理解していたつもりだった。

 だが、かつての都が埋もれて遺っていようとは。


 ヴァールは力なく歩む。


 このあたりは猫魔族ウェアキャットの区画だった。

 高い建物のあちこちに日向ぼっこをするための露台が設けてある。

 のんびりとくつろぎながら尻尾を振る様が目に浮かぶようだ。


 ここは龍魔族ドラゴンの中でも海龍が訪れていた別荘のあたり。

 大きな池に水が張られていた。

 四天王の龍王アウランがよく気持ちよさそうに泳いでいたものだ。


 あちらは猪魔族オークの好んだ食堂。

 騒がしくも楽しい連中であった。

 見回りの狼魔族との衝突も今となっては懐かしい。


 ひと際大きな建物が並ぶ一画は、鬼魔族オーガの居住区。

 鬼王バオウは見た目を恐れる者も多かったが、心優しく繊細な娘であった。

 共に書物を読むのは心落ち着く一刻だった。


 立ち並ぶのは魔導師の塔。

 四天王の冥王ネクロウスは時にやりすぎなこともあったが奥深い魔法の真理を解き明かすことに熱心な男だった。


 そちらの鳥居が並ぶ一画は森魔族エルフの神社。

 己を神扱いされて崇められるのには閉口したものの、様々な道具を生み出す森魔族には大いに助けられた。

 長のサスケは四天王の忍王として諜報を担い、危険をよく察知してくれたものだ。彼の諫言をもっとよく聴いていれば……


 一族を持たない単独特異体の妖魔であるヴァール。

 生まれもつかない孤独な彼女を魔族たちは受け入れ、育んでくれた。

 だからヴァールも魔族を愛し、長じてからは魔族同士の融和を進めて国を作り上げた。


 全て遠き思い出。


 だが、記憶の亡霊が現れる。

 そこに、ここに。


 彼らが問うてくる。

 どうして我らは滅びねばならなかったのか。

 なぜ魔王は我らを置いて封印されてしまったのか。


 我らを守るために戦ってくれなかったのはなぜ。

 人を滅ぼしてくれなかったのはなぜ。


 建物のあちこちから亡霊が顔を覗かせているではないか。

 通りをにじり寄ってくるではないか。


 ヴァールを記憶の亡霊たちが取り囲む。


 なぜ、なぜ、なぜ。


 そう、あの頃も問われた。

 なぜ魔族の宿敵である勇者を倒しにいかないのかと。

 なぜ魔族を差別してきた人との和解を進めるのかと。


 魔王は殺し合いの不利益と貿易による利益を説いて和平を進めた。


 だが、本当はそんなことが理由ではなかった。

 

 魔王は人と友達になりたかったのだ。

 時に乱暴で、時に残酷で、しかし暖かく優しく楽しい様も見せる人族。

 勇者との語らいは人の可能性を魔王に信じさせてくれた。


 でも、家族や仲間を殺されてきた魔族たちにそれは言えなかった。

 想いを隠して和平に臨んだ。


 そのあげくがこの死んだ都だ。


 ヴァールの足が暗闇にとられる。

 暗闇からは無数の手が伸びてきて引きずり込まれる。

 そのままずぶずぶと沈んでいきそうだ。


 すまぬ…… すまぬのじゃ……



「ヴァール様!」


 大きな声が響き渡った。

 闇が吹き払われる。


 温もりがヴァールを包む。

 エイダがヴァールを抱きしめていた。


 温もりだけではない。光も感じる。

 もう亡霊たちの姿はどこにもない。


 エイダから伝わってくるのは体温、そして魔力。

 足元に伝達の魔法陣が生じている。


「止めよ! エイダ。魔力は命なのじゃぞ」


 エイダはヴァールを抱きしめる手に一層の力を込める。

「もう少し…… お身体が冷え切っていましたから、よく暖まるまでは」


「ありがとう、もう十分じゃ、エイダ」

 ヴァールの頬は赤くなっていた。


 エイダは心配げにゆっくりと離れる。

 いつの間にかエイダが魔法陣を使えるようになっていることにヴァールは頼もしさよりも不安を覚える。

 魔法陣は魔力を垂れ流すように消費するのだ。制御を誤れば命の危険に直結する。


「ここは…… 昔の都に似ているんですね。歴史の記録にあった図面とそっくりです」

 エイダが慎重に言う。


「……そのものじゃ」

 ヴァールは答えながらエイダを見上げる。


 見つめられてエイダも頬を赤くした。

「どうなさったんですか」


 我が友じゃ。伴侶じゃ。

 心中でヴァールはつぶやく。


「心配させてすまぬ。先に進もうぞ」

 ヴァールは一行に告げた。


 見守っていたヴォルフラムやズメイが安心した顔をする。

 仮面のレイは表情を読ませないが興味深そうな様子だ。


 ジュラは空気を読まずに、

「ここ、来たことがあるぞ。そうだ、ヴァールおねえちゃんの都だよ。ああ、お姉ちゃんきれいだったなあ、そこのちんちくりんと違って」


「汝もあれから三百年も経っておるのに子どものままであろ。いい加減に育ったらどうじゃ」

「あたいは仕方ないんだもん!」


 ジュラの言葉を聞いてズメイが表情を暗くする。


「ねえ、ズメイはお姉ちゃんの居場所を知らないの? 知ってるよね、教えてよ!」


 ズメイはジュラに答えず、

「さて、あちらが見ていただきたい場所の一つ目でございます」


 ズメイが指さした先は地下都市の端、高い壁に大きな穴が開いている。

 穴の高さは十五メルほど、ヴァールの身長の十数倍だ。

 

「あ、また無視した! あたいが宿題やらずに都に行ったのをまだ怒ってるの? ねえ、先生ったら」


「違うのでございます……」

 ズメイはつぶやき、気を取り直したように、

「この穴はかなり奥まで掘り抜かれているようなのでございますが、また調べられておりません」


「結界かや」

「はい、一方通行の結界が張られておりまして、あちらから通ることはできても、こちらから入ることはできないのでございます」


「この結界、幾重にも張られておる。破るのは簡単じゃが、どうも罠がありそうじゃな。慎重に準備してから調べるのがよいであろ。冒険者たちにもそう伝えるのじゃ」

「はい。仰せのままに」


 レイが大穴を遠くまで覗き見て、

「この方角、このまま進めばゴッドワルド男爵領」


 エイダは魔法板を取り出して地図を確認し、

「この先にゴッドワルド男爵領があります」

「そのとおり、俺がそう言ったではないか」


「もしかしたら、この穴を通って男爵たちは来ているんじゃ」

「うむ、きっとそうじゃな。見張りをつけておくのじゃヴォルフラム」

「はっ」


 ヴォルフラムは魔法板で部下に連絡を取ろうとして、

「つながらない?」


「この地下都市全体が魔力を通さないように封鎖されております」

 ズメイが説明する。


「魔法で探知されないように結界を張ったかや。あの粗忽そうな男爵にしては丁寧なことじゃが」

「では、ひとっ走り伝えてきますんで」

 ヴォルフラムは駆けだす。


「案内人の癖に置いていくなあ!」

 ジュラが走って追いかける。


 ジュラがいなくなって、ズメイがほっとした顔になった。

「では、次の場所に参ります。古代の墓所への入口を発見いたしました」


「墓所じゃと! まさか暴いたのかや!?」

 ヴァールがにわかに怒気を膨れ上がらせた。


「いえ、我々ではございません。すでに墓所の扉が破られていたのでございます」

 ズメイが一歩退きながら説明する。


 ヴァールは深呼吸してから、

「すまぬ。もともとここは墓所を守るための社だったのじゃ。墓所に手を出す者なぞ誰もおらなんだ」


「どうなさいますか」

「参ろうぞ。荒らされておらぬか、中を調べるしかあるまい」


 ヴァールはレイをじろりと睨む。

「汝を連れて入るのは先祖への冒涜じゃ。地上に戻っておれ」


 突然、レイの態度からふざけた様子が拭い去られた。

「先祖を大事に思う気持ちは私も同じだ。決して無礼な行いはしないと誓う」


 ヴァールは戸惑ったものの、

「余が墓所に入ることすらやむを得ずなのじゃ。汝を入れねばならぬ理由がないであろ」

「私はあなたを娶りに来たのだ。であるからにはご先祖にもお会いせねばならない」


 しばらく沈黙が続いた。


「なん…… じゃと?」

 ヴァールは言われた意味がよく分からなくて困惑する。


 ヴァールの前をエイダがガードする。

「なんですって?」


 レイは仮面を外して、堂々と宣言する。

「私はレイライン=ウルス。北ウルスラ王国の王。勇者にして魔王ヴァール陛下に私との婚姻を申し入れる。私たちは人と魔の頂点に立ち、大陸を制し、最強の王国を築き上げるだろう」

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