第60話 男爵城

◆男爵領 聖騎士団 寺院


 とっぷりと夜も更けて、寺院の施術室も冷え込んでいる。

 魔道具の灯りが実験器具の並ぶテーブルを照らし出している。


 治療台に乗せられた兵士はぴくりとも動かない。

 麻酔の魔法が深くかけられている。


 アンジェラは彼から採った血を様々に分析していた。

 複雑につながったガラス管からいくつもの試験管に液体が滴り落ちている。

 血を各種成分に分離しているのだ。


 試験管に溜まった液体の色は、赤、透明、そして銀色。


 アンジェラは銀色の血が入った試験管に封をしてから軽く振ってみる。

 銀血は生き物のように激しく踊り出す。


「やっぱり……! これは妖魔の血。でも、この血からは生命力も魔力も感知できない。死んだ血なのよ。なのにこの激しい反応は……」


 アンジェラは暗い施術室をぐるぐる歩き回る。

 そしてぴたりと止まった。


「そう! 死してなお生きる不死の属性…… 魔力に反する存在、死魔アンデッド! その血なんだわ! でも……」


 アンジェラはまたその場でくるくる回り出す。


「味方の印として血を与える? 死魔だって自分の血は貴重でしょうに、こんな下級の兵士にまで? なにかの力を与えるため? でもこの兵士が特別な力を持っているようにはとても思えない。ああ、やっぱり情報が足りないわ!」


 これ以上は調べようがない。

 アンジェラはぺたりと椅子に座り込む。

 食事もとらずに熱中して一晩中調べていたのだ。

 正気に戻ると疲労と空腹が襲いかかってくる。

 

 そこに湯気を立てる茶碗が差し出された。

 お茶の良い香りが心を落ち着かせる。


「そろそろお茶にしようではないかい」

 サース枢機卿がにこにこしている。


「ありがとう、おじいちゃん」

 アンジェラは熱い茶碗を受け取って一口すする。

 身体が中から暖まってくる。


 テーブルの上には試験管と並んで焼き菓子も置かれていた。

 香ばしいそれをアンジェラは摘まむ。甘味が身体に染みわたるようだ。


 サースも共にお茶を飲んで焼き菓子を食べる。


 しばらくして落ち着くと、サースは暗く沈んだ声で言った。

「死魔とは厄介だな。滅多に見ない妖魔だ。極めて高等な魔法によって自らを反魔法、反生命に転換した存在だというが、ここ数百年は目撃情報がない。もはや伝説だな。どう対すべきやら」


「男爵が死魔なのかしら。でもあの男には王都であったことがありますわ。自信過剰で傲慢なただの人間としか思えませんでした」

「ふん、そこが解せないのだ。死魔は日の光が苦手ともいうが、あ奴は平気で昼間も出歩いている」


「サース一世なら死魔を知らないかしら」


 そう言われて、サースの表情がくるりと陽気なものに変わる。

「わしの頃にも死魔は滅多に聞かんかったな。死魔転換を研究していた魔導師なら知らんこともないが、いや、まさかよな、あ奴はもうこの世にはおらん」


「二世、四世とおじいちゃんは?」

「ううむ、ぱっと思い当たることはないなあ」


 サースの表情が暗く沈む。

「アンジェラよ、お前には当てがないのか」

「もしかしたら勇者ヴァール様であればあるいは。幼いながらにあれほど魔法を極めた方は他に知りません、サース五世猊下」


「……であろうな」

 サースはつぶやく。

「しばらく先祖の記憶をさらってみるとするか。うるさい先祖たちも少しは役に立つことがあればいいのだがな」


 そう言うと、サースの表情がくるりと明るいものに変わった。

「どうも五世には我ら先祖への敬意が足りないのではないかい」

「己に厳しい方なのですわ」

「そうかねえ」

「五世猊下は代々の記憶を引き継ぐ重い役目をお務めなのに、おじいちゃんこそ敬意が足りないんじゃないかしら」

「ううむ」


 お茶と焼き菓子の軽食を済ませたアンジェラはお腹もくちくなり、急な眠気に襲われた。 口を手で隠しながらあくびをする。


「ひと眠りするのだな。明日は城に入るぞい」

「手だてがあるの? おじいちゃん」


 サースは銀血が入った試験管を振ってみせた。

「これを使えばいいさね」


「印だけでなんとかなるかしら」

「念を入れて変装もしておくのだな。アンジェラはこの男の服を着ればよかろう」


「えええ、こんなぼろい服を」

 アンジェラは口をへの字にして嫌そうな顔をする。


「我慢せい。わしは術を使わせてもらうとするか」

 言うや、サースの姿が兵士とそっくりに変わっていく。


「おじいちゃんだけ変化術を使ってずるい」

「忍術の修行を断ったのはアンジェラではないかい」

「だって神官の勉強に忙しかったし」


 アンジェラはあきらめて兵士の服をはぎ取り始めた。


◆男爵城 城門前


 翌朝、アンジェラとサースは男爵城の城門を再び訪れていた。

 アンジェラは兵士の服装をまとい、サースは兵士の姿そのものである。


 二人はそれぞれ懐に小さな瓶を忍ばせている。

 瓶には兵士から抽出した銀血が入っていた。

 これが印のはずだとアンジェラは信じているものの、心臓の鼓動は落ち着いてくれない。

 アンジェラは普段の顔をさらしていて、変装はただ兵士の服装をそのまま着ているだけなのだ。


 城門前には長槍を装備した兵士が四名。

 見張り台には弓兵たち。


 サースはそこにすたすたと近づいていく。

 おそるおそるアンジェラはついていく。


 兵士たちは特に反応を見せるでもなくサースを素通しにした。

 アンジェラにも目もくれない。


 城門をくぐりながら、アンジェラは振り返る。

 後ろからいきなり斬りかかられるのではと心配したのだが、本当に兵士たちは無反応のままだった。


「やっぱりこの銀血が印…… それにしてもまるで確認されないなんて」

「ふうむ、やはりこ奴らはちと様子がおかしいようだなあ」

 アンジェラとサースは小声で会話しながら城の庭を進む。


 言われてみると、兵士たちは妙に機械的な動きをしている。

 持ち場に立っているが、他の兵士と話すでもなく、ただ無表情に見張りをしているだけ。

 交代要員が来れば、やはり言葉もなく入れ替わる。

 アンジェラには彼らがまるで蟻のように見えた。


 城内には石造りの城館、それに木造の平屋がいくつも並んでいた。

 平屋のほうは比較的新しい。人が多く出入りしていて、どうやら作業場所のようだ。


 サースは堂々と歩いて平屋の一軒に入る。

 アンジェラも後ろから続く。


 平屋の中には長いテーブルが並べられていて、兵士たちが黙々と作業していた。

 銀血が入ったガラス瓶があちこちに置かれており、兵士たちは手元の型に銀血を注ぐ。すると銀血は見る間に固まって銀細工物と化した。

 兵士たちは型から銀細工物を取り出して、指輪や首飾りに仕上げていく。


 アンジェラはいぶかしむ。

 妖魔の銀血で銀細工物を作って、それをどうするつもりなのかしら。

 なんらかの呪具?


 完成して棚に並べられた銀のブローチをサースはひとつ失敬した。

 兵士たちには気付かれなかったようだ。

 サースは素知らぬ顔で平屋を出ていき、アンジェラもついていく。


 別の平屋に入ると、そちらでは注射器類が量産されていた。

 普通に注射する類のものから、投げつけて突き刺すとおぼしいものまである。

 銀血を印として注射するのに使うものだろうとアンジェラは合点する。


 他の平屋も似たようなものだった。

 一通り平屋を調べ終わって、そろそろ脱出かしらとアンジェラは一息つく。

 だがサースは城館に入っていくではないか。

 慌ててアンジェラもついていく。


「どこまで調べるの、おじいちゃん」

 小声で問うアンジェラに、

「聞こえんのかい、アンジェラ」

 サースは耳を指してみせる。


 アンジェラは耳を澄ませた。

 下の方からなにかを砕くような音、それと獣のような咆哮がかすかに響いてきていた。


「地下で大仕事をやっているようだぞ。これは見に行かねばなあ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る