第3話 火坑の過去③

 梅が香る。


 まだ年が明けていくらも経っていないのに、不思議なことだ。


 とは言えど、妖の界隈だから不可思議なことが起こっても無理はないが。


 ただ、何故室内にいる火坑かきょうの鼻でも匂うのだろうかと。犬や狼とは違って、猫人の火坑では鼻も常人の人間より少し強い程度。


 なので、このむせ返るような芳しい梅の香りには覚えがあるようでなかったのだが。


 それからすぐにやってきた来客のお陰で、合点がいった。



「いらっしゃいませ」

「久しいな、火坑?」

「こ、こんばんはー」

「お邪魔ー」

「大将殿、お久しゅう」



 団体客だが、恋人の美兎みう以外は人間ではない。彼女の守護についている座敷童子の真穂まほもだが、小豆を注文していた小豆洗いの保鳥ほとりに続き。


 はるか平安の世に無念の死から、大怨霊を経て学問の神となった御霊みたま菅公かんこうとも呼ばれていた菅原すがわらの道真みちざね


 火坑とも、縁の深い神となればこの梅の香りも納得がいく。



「……道真様、お久しぶりにございます」

「ふふ。私よりもはるかに得を持ったのに、相変わらずだねえ?」

「当然ですよ?」

「それに。猫とヒトのあいの子になったお陰か、良いえにしも出来たようだが」

「……はい」

「? 珍しいんですね、火坑さんが様付けされるだなんて」

「おや、話していないのかい?」

「ふふ。特別聞かれなかったもので」



 とりあえず、入り口は寒いからと席に着いてもらい。道真を真ん中に左が保鳥で右が美兎達になった。


 道真にはあまり意味がないだろうが、熱いおしぼりを渡す前に持っていた扇を優雅に閉じた。


 途端に、道真の姿が揺らいで平安の貴族装束から、どこぞの社長かと思わせるようなスーツ姿と適度な口髭に変わってしまった。


 当然、術を見慣れていない美兎は可愛らしい目をまん丸にさせたのだ。



「え、え!? 道真様!?」

「ふふ。あの装束のままではいささか食べにくいからね?? どうだい、お嬢さん? 似合うかね?」

「は、はい!!」

「さて。私と火坑の関係だが……この猫人が昔に地獄の補佐官となっていた、さらに昔。私がまだ人間で朝廷ちょうていに宮仕えしていた頃さ。まだ火坑とも名乗っていなかった、ただの猫だったのを飼ってたんだよ」

「え、えーと??」

「僕には補佐官になる以前の前世もあるのです。その時は、ただの飼い猫だったんですよ」

「……火坑さん、記憶力良すぎませんか??」

「おっもしろーい! 美兎、それで片付けちゃうんだ??」

「いや、だって」



 慌てる様子が本当に可愛らしい。欲目を差し引いても可愛らしい。いや、そこは火坑のビジョンに合わせ過ぎかもしれないが。


 しかし、本当に久しぶりの会合となった。火坑が今の猫人となって店を構えてからも、片手で数えられる回数しか訪れていないのに。


 けれど、元飼い主とは言え、今の火坑がすることは贔屓ではない。



「本日はいかがなさいましょうか??」

「そうだね? 熱燗……といきたいが、あの機械はなんだい?」

「ああ、生ビールですか?」

「真穂それにする!!」

「儂も是非」

「私は、梅酒のお湯割りで!」

「かしこまりました」



 生ビールに最適な、しかも寒い寒い睦月一月の始まりの始まり。


 美兎は仕事始めで大変だろうし、小豆洗いの保鳥もわざわざ九州から来てくれた。


 であれば、仕入れた小豆でここはひと工夫と行きたいところだが。



「大将殿、お願いいただいた小豆ですじゃ」

「ありがとうございます。では、本来なら去年の暮れの食べ物ですが。炊飯器でかぼちゃと小豆のいとこ煮を作りましょう」

「ほう? 甘い煮物か?」

「ふふ。少し塩気も入れますとも」

「そうかい?」

「あ、火坑さん! 今日も心の欠片お願いします!」

「そうですね? お願いします」



 ぽんぽん、と差し出された両手を軽く叩けば。


 美兎の手から出てきたのは、今日は気分的にと餅を選択したのだった。

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