第6話 母の笑顔

 朝、階段を下りるとキッチンに立つ母の忙しそうな姿が見えた。

 いつもは何も思わなかった光景だが、今日は違って見えるような気がする。

 仕事をしながら、家事をやるってたいへんなんだろうなと感じる。

 将来、自分がその立場になったとき、家族のために子供のために、こんなにがんばれるだろうか?

 自信がない。

 

「ああ、まきちゃん、おはよう」


 母が私に気付いて声を掛ける。

 階段の下にいつまでもいる私に、「何してるの?」という顔だ。


「おはよう」


 テーブルに着く。

 卵焼きと納豆、おしんこ。二人だけの朝食。

 ご飯と味噌汁。今日は茄子の味噌汁だ。


「さあ、食べましょう」

「いただきます」


 納豆をかき混ぜる。朝食はいつも和食で、納豆と卵焼きがつく。

 私が昔、希望してこうなった。

 今でも、好きなメニュー。


「お母さん、仕事忙しい?」


 母が「え?」という顔をする。

 そんなに驚くこと?


「まあ、忙しいかな」

「家事とかたいへんでしょ? 少しは手伝おうか?」


 箸を持つ手が止まった。

 なぜ、そんな不思議そうな顔をする?


「どうしたの? なにか欲しいものあるの?」


 なぜ、そうなる?

 娘が母の手伝いを申し出ているだけだ。


「別にないよ。たいへんそうだし……」

「いいのよ、まきちゃんは高校三年生なんだし、大学受験がんばってもらわないと。気持ちだけありがたくいただきます」


 母の笑顔を久しぶりに見た気がした。


「お母さん……いつも、ありがとう」

「……どうしたの? なんか今日、変よ?」


 なんかうれしい。

 母に「ありがとう」と言えた。

 感謝の気持ちを伝えることが、こんなに気恥ずかしくて、でも、いい気分なんだと初めて知った。

 ユウちゃんのおかげかもしれない。


「そうだ。お母さんに聞きたいことあったんだ。この家って新築で買ったの?」


 私は生まれた時から、この家に住んでいる。あまり気にしたこともなかった。

 だが、確かめなければならない。ユウちゃんのことだ。

 あの部屋から出られないということは、あの部屋に思い入れがあるのかもしれない。

 前に使っていた人物がいるなら、ユウちゃんの素性が分かるはずだ。


「突然だね。ほぼ新築の物件を無理して買ったの。お父さん、がんばったのよ」

「ほぼなら、前に住んでいた家族がいたってこと?」

「そうね」

「どんな家族?」

「どうして、そんなこと知りたがるの?」

「だれか自殺したとか?」

「ぶひゃー!」


 母は飲んでいた味噌汁を吹き出した。

 激しくせきこんで、流しに走る。

 ちょっとストレートすぎる質問だったか? 

 でも、あの部屋で高校生の女子が自殺でもしていれば、もうユウちゃんに間違いなしとなるのだが。


「やめてよ、脅かすのは……そんなわけないでしょ」


 ふきんを持って戻りながら、母は言う。吹き出した味噌汁を掃除しながら「びっくりした」と胸を押さえていた。


「ごめん。昨日テレビでやってたの、怖い話。それで、気になって聞いてみた」


 母からこれ以上、情報を聞き出すのは無理だろう。

 となりの稲垣のおばあちゃんなら何か知っているかもしれない。昔からあるような農家の一軒家だから、私が生まれる前のことも知っているだろう。

 あいさつする程度しか話したことないけど、学校帰りに訪ねてみよう。



 


 部屋に戻り、学校へ行く支度をしていると、ユウちゃんが「私も学校へ行きたい」とただをこねた。

 どうすることもできないし、面倒なので無視する。

 だいたい、なぜそんなに高校へ行きたいのだ?

 幽霊なんだから、勉強も受験も関係ない。

 その点だけで言えば、うらやましいとさえ思える。


「いってきます」

「ううう……いってらっしゃい……」


 そんなに落ち込まなくても、またすぐ会える。

 終わったら、寄り道せずに早く帰るから。


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