怪盗の親
ホームズシリーズの第一作『緋色の研究』が一八八七年、第一短編の「ボヘミアの醜聞」が一八九一年、第一短編集『シャーロック・ホームズの冒険』の刊行が一八九二年です。一方、リュパンの初登場は「リュパンの逮捕」で一九〇五年、リュパンものの第一短編集『怪盗紳士リュパン』が一九〇七年。
名探偵の創造主、コナン・ドイルは一八五九年エジンバラ生まれ、怪盗の創造主、モーリス・ルブランは一八六四年ルーアン生まれ。
イギリスとフランスと国も違いますが、年齢差は約十歳。ルブランに意識するところがあってもおかしくはありません。
当時の翻訳事情も、今のようにインターネットがあるようなわけでもなく、情報の伝わるスピードは決して速くない時代にどれだけ時間差なしにホームズ、ドイルの活躍が英仏海峡を越えていたか、私にはわかりかねます。ただホームズの活躍を考えれば、さほどタイムラグなく、フランスのルブランのもとにも届いていた、という仮定は無理のないものでしょう。ルブランは元々、新聞記者だったわけですから、アンテナは人並み以上に張っていたとも思われます。
ルブランはリュパンもので文壇に出たわけではなく、それまでにも著作があるようです。初めて作品を世に出したのはいつか、ということには諸説あるようです。
『怪盗紳士リュパン』(モーリス・ルブラン著 石川湧訳 創元推理文庫)の中島河太郎さんの解説によると、ヘイクラフトの「二十世紀著述家辞典」では一八八七年頃(ただし、これは誤りらしい)、一九五八年にパリで出版された推理小説クラブ刊の「アルセーヌ・リュパンの冒険」の巻頭に添えられた記事では一八九二年、ジュール・クラルチイによると一八九三年、とまちまちです。謎めいています。
それら「リュパン以前」の十編ほどの作品は批評家らからは高評価だったようですが、少なくとも、現在、日本で翻訳が出ていて、一般書店で容易に購入できるという作品はないでしょう。リュパンもの以外が翻訳されて商業出版されたことも日本ではないのかもしれません。
かもしれない、と書きましたが、おそらくないのではないかと想像します。
リュパン誕生以前、ルブランが「自由思想家・反俗主義者の態度をとり、作品中でもブルジョア社会の諸制度に敵意を見せていた」(『怪盗紳士リュパン』P243 中島河太郎 解説より)頃は、まさにホームズが大活躍していた時代であったはずです。
調べてみると、「リュパンの逮捕」が発表された一九〇五年には、ホームズものは発表されていません。一九〇四年発表の「第二のしみ」と一九〇八年発表の「ウィステリア荘」のちょうど間に挟まれるタイミングで、リュパンは登場しました。
もっとも「リュパンの逮捕」は執筆後すぐさま発表されたわけではありません。「リュパンの逮捕」を読んだ編集者が十本程度同じ主人公で書き溜めてから発表したほうがよい、という判断をして、しばらくしてからのちに世に出たということのようです。
いかにも、くすぶっていたルブランが売れっ子だったドイルに対抗心を燃やしたという感じで書いてしまいました。しかし、ホームズに対するネガティブな感情というよりは、エンターテイメントとしてより上質なもの、ハラハラ、ドキドキのリュパンの物語をより面白くするためにイギリスの名探偵に登場願ったというほうが実状に近いのではないか、と空想しています。
なぜならば、リュパンものはすぐれたミステリでもありますが、なによりも冒険譚だからです。ルブランのすぐれたトリックメーカーぶりや、読者相手の騙しの技術の巧みさゆえに「ミステリー」というくくりで語られることがほとんどですが、リュパンシリーズの本質は怪盗という変わった主人公が繰り広げる冒険物語です。
ミステリーというジャンルの裾野や懐は広く、すぐれた冒険小説はジャンルの壁など容易に壊してしまうほど力強いのです。
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