第87話 愉快な伯爵一家
「さて、まずやるべきはこのローゼンプールの掌握だね」
グレースが切り出した。
「そうそう、おまえら好き勝手に暴れたけどこの始末どうすんの? ゲルダのババアは死んだけど、まだ警備兵とか残ってるよ?」
抱えていた疑問をベリットがぶつける。
「それに関してはアルヴァン君がいるから大丈夫だよ」
「やりましょうか」
グレースに促されたアルヴァンは簒奪する刃を振動させる。アルヴァンの銀髪が黒く染まるとともに、地面にローゼンプールを丸ごと納める巨大な魔法陣が展開された。
「うわ! 何これ!」
驚いたベリットが思わず飛び跳ねる。
「驚いたな……これはまさか竜言語魔術か?」
簒奪する刃が発する独特の音を聞いたジェイウォンが驚愕に目を見開く。
アルヴァンが漆黒の剣を地面に突き立てると、市街地から聞こえていた人々の声が途絶えた。
「え? なに? どうなったのこれ?」
混乱しているベリットがキョロキョロと辺りを見回す。
「信じられん……この規模の都市にまとめて術をかけるとは……」
ジェイウォンはベリットと違って何が起こっているのかは理解していた。しかし、その現実を受け止めきれずにいた。
「ふふん、アルヴァン様の手にかかればこの程度は楽勝ですわ!」
得意気に鼻を鳴らしてヒルデが言った。
「いや、これ結構疲れるんだよ……」
髪の色が元に戻ったアルヴァンが力なく答えた。
「住民の『説得』は終わったようだな。彼らの誘導は私がやろう。おまえは少し休むといい」
エイドレスはそう言って市街地の方に歩いて行った。
「面白そうだ。ワシもつきあわせてもらおうかな」
ジェイウォンがエイドレスの後を追う。
「あたしも興味あるから見に行こうかな」
ベリットも好奇心に目を輝かせて歩き出した。
「それほど面白いものでもないんだがな」
エイドレスが苦笑する。
アルヴァンたちはエイドレスたちを見送った。
「コホン、アルヴァン様、お疲れのようでしたら、その……」
邪魔者が消えたことを確認するとヒルデがおずおずとアルヴァンに切り出した。
「アルヴァン君、膝枕はどうかな?」
しかし、ヒルデよりも先にグレースがアルヴァンの腕を取った。
「なっ!」
「ああ、ありがとうございます」
ヒルデが口を出すよりも速く、グレースはアルヴァンの言質を取った。
言葉も出せずに魚のように口をぱくぱくとさせているヒルデを横目に、グレースは正座するとアルヴァンの頭を太ももに乗せた。
「ふふっ、素直なのはいいことだよ」
グレースは愛おしげにアルヴァンの髪をなでた。
なでられたアルヴァンは心地よさそうに目を細める。
「ヒルデ、どうかしたの?」
赤髪の少女がわなわなと震えていることに気づいたアルヴァンがグレースに膝枕されたままの姿勢で聞いた。
「……ベ、ベツニドウモシマセンワ」
ヒルデからは先を越された悔しさと憤りからおかしな抑揚のついた返事が出た。
「ヒルデ君もああ言っているんだから、アルヴァン君はボクの体を思う存分堪能すればいいんだよ」
ヒルデに対して勝ち誇った笑みを見せつつ、アルヴァンの耳元でグレースがささやく。
「ああ、はい、気持ちいいですよ」
グレースに膝枕されたままアルヴァンが言った。
「……踏みとどまるのです、踏みとどまるのですわバルドヒルデ、ここで逃げ出したら、あの女狐さんはどのような汚らわしい行為に打って出るかわかりませんわ……」
ぶつぶつと早口で自分に言い聞かせながらヒルデは逃げ出したくなる光景と対峙していた。
「ふふふ、そう言ってもらえるとボクとしてもうれしいね」
グレースは頬を緩めた。
「女狐さん、今後の予定について話し合いませんこと?」
「そうだねえ、子供は三人くらい欲しいかなあ」
膝に乗せたアルヴァンの頬を撫でながらグレースが言った。
「うふふふ、女狐さん、一時優位に立ったからと言ってそのような世迷い言を口に出すのはおすすめできませんわ」
ヒルデは穏やかな笑顔だったがその赤い瞳は氷のように冷たかった。
「ボクは自分の優位が一時のものだとは思っていないんだけどね……まあいいか。ヒルデ君の要望に応えて、今後のことを話し合うことにしようか。何せボクは今、最高に機嫌がいいからね」
ヒルデのために仕方なく譲歩してやったと言わんばかりにグレースが肩をすくめる。
「オココロヅカイニカンシャイタシマスワ」
ヒルデの声音は穏やかだったがその瞳では怒りの炎が渦巻いていた。
「さて、ワイルドヘッジを率いるフェイラム伯爵というのはかなり強権的な男でね。都市国家同盟とは言っても実際のところはフェイラム伯爵によって支配されているといった方が適切なんだ」
「確かに我の強そうな人でしたわね」
伯爵との通信の様子を思い出しながらヒルデが言った。
「我の強さでヒルデ君に認められるとは伯爵も光栄だろうね」
「どういう意味ですの?」
挑みかかるような目でヒルデが聞いた。
「その答えはまたの機会にしておくとして、伯爵は傘下の都市を厳しく管理していてね。税率なんかもかなり高く設定されているんだ。で、厳しく税を取り立てて伯爵が何をやっているかと言えば、絵に描いたような贅沢な暮らしというわけさ」
「ということは……」
「そう。ワイルドヘッジ内でのフェイラム伯爵への不満は根強い。そこがボクらがつけいる隙になるわけだね」
「面倒ですわね。ワイルドヘッジに加盟している都市を片っ端から襲うわけにはいきませんの?」
ヒルデが聞いた。
「僕もそうしたいな」
アルヴァンもヒルデに賛成した。
「アルヴァン様!」
アルヴァンの賛同を得たヒルデの顔がぱっと輝いた。
「アルヴァン君の気持ちもよくわかるんだけど、後々グロバストン王国、ロプレイジ帝国とを相手にすることも考えるといろいろと準備をしておきたいんだ。パーティを成功させるためには下準備が重要なのはアルヴァン君もわかるだろう?」
グレースは穏やかにアルヴァンを諭した。
「そうですね……グレースさんがそう言うのであればそのやり方でいきましょう」
グレースの膝の上のアルヴァンも納得したようだった。
「大丈夫、君が存分に楽しめることはこのボクが保証するよ」
グレースはやさしくアルヴァンの頭を撫でた。
「……おのれ……よくもアルヴァン様を……」
味方を失ったヒルデがぎりぎりと奥歯をかみしめる。
「それで、具体的にはどう動くんですか?」
アルヴァンが聞いた。
「そうだね。まずは……」
グレースは今後の方針の詳細を語り出した。
アルヴァンの宣戦布告から数日が経ったある夜、フェイラム伯爵の本邸では久しぶりに伯爵家の全員がそろっていた。
「よく集まってくれたなガキども、歓迎するぜ」
フェイラム伯爵の言葉通り、宴席には豪華な料理が並び、グラスには高価な酒がなみなみと注がれていた。
「親父、これはいったい何なんだ? エルウィンにアウローラはおろか、兄貴まで集めるだなんて……」
困惑気味に口を開いたのはフェイラム伯爵の次男、ルドニックだ。父親譲りの横幅に加えて、それに見合う長身も持ち合わせている。戦場においてはその見事な体躯を生かしてめざましい活躍を見せていた。
「そうそう、父さん一人でもむさ苦しいのに、兄さんまでいるんだからたまんないわよ」
伯爵の長女であり、三男エルウィンの双子の姉であるアウローラが不満げに言った。
「姉さん、そんな風に言っちゃダメだよ」
三男のエルウィンが弱々しい声で言った。
「何よ、あんた、あたしに文句があるの?」
アウローラが隣に座ったエルウィンをにらみつける。二人の顔はよく似ているが、それぞれから受ける印象はまるで正反対だった。明るく活発で気の強いアウローラに対して、エルウィンはおとなしく、気弱だった。
「い、いや、ボクは別に……」
真正面からアウローラの射貫くような視線にさらされたエルウィンはあっけなく降参した。
「エルウィンは相変わらずだな。いったい誰に似たのやら」
二人のやりとりを見ていた長男ブレンダンが言った。この長男は丸顔のフェイラム伯爵とは似ても似つかない細面で、弟のルドニックに負けず劣らずの長身だが、その体は母親であるイゾルデよりも細く見えた。
「誰がむさ苦しいって?」
いつの間にかアウローラの後ろに回り込んでいたフェイラム伯爵が娘を後ろから抱きしめると、その頬に自分の頬をすり寄せた。
「いやあああああ! 助けて! お母様! おかあさまあああああ!」
父親のひげ面を押しつけられたアウローラが悲鳴を上げた。
「おうおう、寂しいこと言うなよ、昔は喜んでくれたじゃねえか」
伯爵は昔を懐かしみながらぐいぐいと顔を押しつける。
「やめてやめてやめてホントやめて死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃうううう!」
アウローラが限界に達しようとしたそのとき、救いの神が現れた。
「あんた! いいかげんにしな!」
伯爵の頭をひっぱたいたのは妻のイゾルデだった。
「お母様!」
アウローラは母親の後ろに隠れた。
「痛えなあ……愛情のこもった親子のスキンシップだってのに……」
フェイラム伯爵は不満そうに口をとがらせた。
「いい年して子離れもできないのかい! この子たちだって忙しいんだからとっとと本題に入りな!」
「わかったって、そんなに怒鳴らないでくれよ……あー、おまえたちに集まってもらったのはほかでもないローゼンプールの小娘、ベリット・ブロンダムがこの俺を裏切りやがったんだ」
「はあ? 小娘の一人や二人、殺せばいいだけじゃない」
フェイラム伯爵の言葉に拍子抜けしたアウローラが言った。
「あの小娘の居場所は例の通信機とやらで把握できていたはず」
ルドニックも怪訝そうな顔をしていた。
「ならば始末は容易にできるはずだ」
ブレンダンが言った。
「そうだよね。父さんにはウルグロース・カタパルトがあるんだから」
部屋の壁に誇らしげに飾られているフェイラム伯爵の投石器、ウルグロース・カタパルトに目を向けながらエルウィンが言った。
「俺もそう思っていた。だがな、ベリットが新しく見つけた男は俺が投げた石を打ち返しやがったのさ。俺の元までな」
そう言ってフェイラム伯爵は右手を挙げた。伯爵の右手には包帯が巻かれていた。
「打ち返したですって!」
アウローラが思わず立ち上がる。
ほかの面々も一様に衝撃を受けていた。
「それは……」
「そうだ。奴らはこの俺に喧嘩を売ったのさ」
ブレンダンの言葉を引き継いでフェイラム伯爵が言った。
「つまりだ、今日てめえらを集めたのは最高にうれしい知らせを伝えるためって訳だ」
フェイラム伯爵がにやりと笑う。
「野郎ども、久しぶりに喧嘩ができるぞ」
伯爵のその言葉に子供たちは喜びに打ち震えた。
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