第71話 ちょうどいい男
ドラゴンはもう動かない。簒奪する刃はドラゴンの体をむさぼった。肉を食らい、骨をしゃぶり、血を啜る。そして、かつてドラゴンだった者の姿はどこにもなくなった。
「うん、楽しかった」
アルヴァンがそう言うと、黒く染まっていた髪は徐々に元の銀色に戻っていった。
――お、おまえはいったい何なんだ。
震える声でフィーバルが言った。
「君までそれを言うかな」
アルヴァンは苦笑した。
「そうそう、今度からはあまり邪魔をしないでね」
思い出したようにアルヴァンがいった。
――私は……。
フィーバルは答えに詰まった。
「よろしく頼むよ。パートナーなんだから」
アルヴァンは簒奪する刃に目を落としながらそう言った。
「ずいぶんとまあ、派手にやったものだな……」
完全に破壊された街を見ながらエイドレスが言った。
「案外死傷者は出てないみたいですよ」
アルヴァンが言った。
「そうはいってもこの状態ではな……」
ほんのわずかな時間の間に完全に廃墟と化してしまった自分の領地を見ながらエイドレスが言った。
「領主様、いったい何が起こったんですか……」
町の様子を見に来た獣人たちが恐る恐るエイドレスに聞いた。
「あー、どう説明したものかな……」
頭痛をこらえるようにエイドレスが額を押さえる。
「こうすればいいんですよ」
アルヴァンは簒奪する刃を抜いた。アルヴァンの髪が黒く染まる。
「アルヴァン、それは……」
アルヴァンの変化にエイドレスが驚いていると、アルヴァンが持つ漆黒の魔剣が震えだした。剣の振動は大気に伝搬していく。
「まさか、この音は……」
エイドレスは気づいた。剣が発している音の正体に。竜言語だ。
アルヴァンが竜言語を発する剣を地面に突き立てると、剣を中心として巨大な魔方陣が展開された。魔方陣の大きさはライムホーン全体に及ぶほどだった。
「少しおとなしくしてもらいましょうか」
アルヴァンがそうつぶやくと、魔方陣を通じて魔力が町の獣人たちに流れ込む。獣人たちは最初は苦しんでいたが、徐々に体を弛緩させていった。そして、魔力が十分に行き渡ると、獣人たちはひざまずいた。
「催眠か……竜言語魔術を身につけるとは……」
エイドレスがかぶりを振る。
「便利な剣なんですよ」
そう言ってアルヴァンは笑った。
「アルヴァン様、今の魔方陣はいったい何なんですの?」
「私も初めて見る魔術でしたのう」
遅れてやってきたヒルデとローネンが聞いた。
「ヴァーグエヘルさんを斬ったんで、竜言語魔術っていうのを使えるようになったんだ」
アルヴァンが答えた。
「いやはや、君はどんどん人間離れしていくね……」
最後にやってきたグレースがため息をつく。
「自分ではあんまり変わったようには思えないんですけどね」
アルヴァンが言った。
「たとえどんなお姿になられようともわたくしはアルヴァン様の隣におりますわ」
ヒルデ涙を浮かべながら励ますように言った。
「ええと、姿形は変わってないと思うんだけど……」
少し困ったようにアルヴァンが言った。
「的外れなことを言っているヒルデ君はさておき、この人たち、どうするんだい?」
グレースは無言でひざまずいているライムホーンの獣人たちを示しながら言った。
「この人たちには僕に協力してもらおうかと思うんですけど、大丈夫ですかね?」
アルヴァンはエイドレスの方を見た。
「なに、問題はないよ。街がこうなってしまっては領主など形無しだしな」
エイドレスがうなずいた。
「じゃあ、この人たちは船でパインデールの方に送りましょうか」
「それはかまわないが、管理するのはなかなか面倒じゃないか? それにパインデールについた後の彼らの生活はどうするんだ?」
エイドレスが聞いた。
「ええと……」
アルヴァンは助けを求めてグレースを見た。
「まったく、しょうがないね。パインデールでの彼らの生活については領主代行様のガスリンに頼んでおくよ。必要とあればボクも手を貸そう」
肩をすくめてグレースが言った。
「ありがとうございます」
アルヴァンが礼を言う。
「おっと、お礼なら今夜ベッドの中で聞かせてほしいな」
グレースはそう言ってアルヴァンにすり寄る。
「その辺にしておけ、バルドヒルデがものすごい目で見ているぞ」
エイドレスが忠告した。
「ふふっ、わたくし、今でしたらさっきよりも大きな炎を出せそうですわ……」
ヒルデの周囲で濃密な魔力が渦巻く。
「それはそうと、住民の輸送の管理は誰が行うんですかのう? 一隻や二隻の船では運び切れそうもありませんがのう……我々が乗ってきた船の船長に任せるわけにもいきませんしのう……」
ローネンが疑問を呈した。
「女狐さん、居残りの時間ですわよ」
にっこり笑ってヒルデが言った。
「冗談はやめてほしいな。ボクはアルヴァン君から離れてこんなところに残るつもりはないよ」
アルヴァンの腕をとってグレースが言った。
「領主を目の前にしてこんなところなどと言うのはやめてほしいのだが……」
悲しそうにエイドレスが言った。
「僕としてはグレースさんにやってもらえると安心できるんですが……」
「……えい」
アルヴァンの頭をグレースが指で小突いた。
「アルヴァン君、ボクだって怒るときは怒るよ」
冷たい目でアルヴァンを見ながらグレースが言った。
「ええと、じゃあ、グレースさんにはボクのそばにいてもらうことにしようかな……」
アルヴァンは早々と降参した。
「……六十五点くらいの回答だね」
グレースは相変わらず冷たい目でアルヴァンを見ていた。
「ふーむ、困りましたなあ……」
ローネンがつぶやいたとき、事態を解決する妙案がやってきた。
「こんな、こんな馬鹿な……ヴァーグエヘルが……やられるなんて……」
はぐれもののリーダー、シグルは信じられないという面持ちでアルヴァンたちを見ていた。
「ホウ」
ローネンがシグルに気づいた。
「ああ、なるほど」
「いいんじゃないか」
「ですわね」
「悪くはなさそうだね」
ローネンの視線の先に領主志望者がいることに気づいた面々はうなずき合った。
簒奪する刃を用いた『説得』によって、シグルはライムホーンの住人の管理役を務めることとなった。
「領主様、いったい何があったんです? 晴れてんのに雷が落ちたようなばかでけえ音が何度も響きましたし、なんか変な光が見えましたし……」
アルヴァンたちが乗ってきた船の船長がグレースに聞いた。
「ボクのパートナーがトカゲ狩りをしただけだよ」
グレースはそう言って笑うと、船に乗り込んだ。
「トカゲ狩りですかい……」
船長はグレースの答えが意味することに察しがついたが、首を振って自分の考えを打ち消した。
「そうそう、紹介しておくよ、ライムホーンの領主、エイドレス・ライムホーン殿だ」
グレースは狼の獣人を紹介した。
「エイドレス・ライムホーンだ。短い間だがやっかいになるよ」
エイドレスはそう言って船長の手を握った。
「こちらこそよろしくお願いしますよ、領主様」
船長はライムホーンの領主が島を離れることに疑問を感じながらも、それを口に出しはしなかった。
「アルヴァン君たちはもう乗ってるんだよね?」
グレースが聞いた。
「あの二人なら甲板にいますよ」
船長が答えた。
「ライムホーンともお別れですわね」
島の方を眺めながらヒルデが言った。船からでも市街地の無残な姿はしっかりと確認できた。
「そうだね。楽しかったな」
アルヴァンはヴァーグエヘルと対決した場所を懐かしむように見ながら言った。
「まったくもう、アルヴァン様はそればかりなんですから」
ヒルデが不満そうに頬を膨らませる。
「ええと、それは……」
アルヴァンはなんとか弁解しようとする。
「ふふっ、安心してくださいまし、荷物持ちを命じたりはしませんわ」
うろたえるアルヴァンを見てヒルデが笑う。
「ほ、ほんとうに……」
未だに半信半疑のアルヴァンがヒルデの様子をうかがう。
「アルヴァン様ったら、あれがそんなにいやでしたの?」
笑いながらヒルデが聞いた。
「あんまり思い出したくはないね……」
遠くを見ながらアルヴァンが言った。
「あら、わたくしは楽しかったですわ」
アルヴァンは少し不満そうにヒルデを見た。
「アルヴァン様の隣にいると、毎日が楽しくてたまりませんわ」
ヒルデが続ける。
「あの塔に閉じ込められていた頃にはこんなに楽しいことがあるだなんて想像もしませんでしたわ」
ヒルデは改めてアルヴァンを見た。
「アルヴァン様、あなたはわたくしを救ってくれた……本当に感謝していますわ」
真正面からアルヴァンの目を見てヒルデが言った。
「僕も楽しいよ」
アルヴァンが言った。
「ヒルデの隣にいるのはすごく楽しい」
そう言ってアルヴァンは笑った。
汽笛が上がり、船が動き出す。波に揺られる船の上で二人は見つめ合った。
「アルヴァン様……わたくし……」
「なにかな?」
「…………気分が……悪いですわ」
青ざめた顔でヒルデが言った。慌てたアルヴァンは船に酔ったヒルデに海の方を向かせた。
「ここにいたか……どうした? ずいぶんと顔色が悪いな」
甲板でアルヴァンとヒルデを見つけたエイドレスが聞いた。
「わたくし、船なんて大嫌いですわ」
青ざめた顔で不愉快そうにヒルデが言った。
「ヒルデは酔いやすいんです」
ぞうきんとバケツを持ったアルヴァンが言った。
「君らも大変だな……」
代々の事情を察したエイドレスが言った。
「どうかしましたか?」
アルヴァンが聞いた。
「いや、なに、君にちゃんと礼をしていなかったと思ってな」
「そんなことでしたか。気にしなくてもいいですよ。僕がやりたいようにやっただけですし」
「そうはいかん。私は君のおかげで衝動を取り戻して最高の食事にありつけたのだからな」
「申し訳ありませんが、いまのわたくしの前で食事の話はしないでいただけませんか?」
口元を押さえながらヒルデが言った。
「……すまん。まあ、とにかく君には感謝している。それでだ、君はこれからいったい何をなすんだ?」
「ああ、ちゃんと説明していませんでしたね。僕は何もかも壊してみたいんです」
「それはいったいなぜだ?」
エイドレスが鋭い目でアルヴァンを見た。
「楽しそうですから」
アルヴァンは屈託なくそう言った。
エイドレスはアルヴァンの答えを反芻した。
「……そうだな。それ以上の理由など不要か……アルヴァン、私は君とともに歩こう」
エイドレスはそう言って手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アルヴァンは差し出された手を握った。
「それで、次に何をやるのかは決まっているのか?」
エイドレスが聞いた。
「ええと……」
アルヴァンは困ったように視線をさまよわせた。
「そのことならボクが考えているよ」
甲板に現れたグレースが言った。
「次の標的は『機動鎧』だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます