第52話 領主エイドレス・ライムホーン

 城の門番は最初は怪訝な目でパインデールの領主を名乗る少女たちを見ていたが、証拠となる印章や書状を見せられると歓迎の態度を示した。

「いやあ、驚きましたな。パインデールの領主様が直接訪ねてこられるとは……」

 門番は大柄だが気さくな熊の獣人で、グレースたちを先導しながら話しかけてきた。

「こちらこそ突然お邪魔してしまって申し訳ない。しかし、どうしてもビョルクさんの工房の装飾品を買い付けたくてね」

 グレースも笑顔で応対した。


「ビョルクさんの工房に目をつけるとはさすがはパインデールの領主様ですな。実は私も恋人に婚約を申し込むのにあそこの工房の指輪を贈ろうと思っとるんですわ」

 照れくさそうに頭をかきながら門番の獣人が言った。

「おや、ご結婚が近いのかな? それはそれはおめでとう」

「パインデールの領主様に祝っていただけるとは光栄なことでさあ……さあ、つきましたよ」

 門番は謁見の間の大扉の前で立ち止まる。

 大柄な門番が力を込めると大扉は音もなく開いた。


「これはこれは、ライムホーンへようこそ、パインデールの新しい領主殿」

 腰掛けていた大きな椅子から立ち上がったのはすらりと背の高い、灰色の毛並みの狼の獣人だった。

「はじめまして、グレース・コンラッドと申します。エイドレス・ライムホーン殿、お目にかかれて光栄です」

 グレースは改まった口調でそう言うと毛皮で覆われたエイドレスの手を握った。エイドレスもまた、力強く握り返した。


「こちらは私の護衛とメイドです。護衛の帯剣のみならず、ペットの同伴まで認めてくださり感謝に堪えません」

 握手を終えるとグレースはアルヴァンとヒルデ、ローネンを紹介した。

「なに、気にしないでくれ。長年交流のあるパインデールの領主殿ならば信用できる。しかし……」

 エイドレスは言葉を切ってしげしげとローネンを見つめた。

「パインデールの領主殿が訪ねてくることは過去にもあったが、ペットを連れてくるというのは初めてではないかな?」

「ホ、ホウ……」

 ローネンが鳴いた。

「幼い頃から私と苦楽をともにしてきた相棒でしてね。この子がいなくては夜も眠れないのですよ」

「そうでしたか。そのフクロウの寝床もきちんと用意しております故、安心してくだされ」

「感謝いたします」

 グレースが頭を下げる。


「それで、そちらの二人がグレース殿の護衛とメイドか」

 エイドレスがあごに手を当ててアルヴァンとヒルデを観察する。二人はエイドレスの前にひざまずいた。

「こう言っては何だが、ずいぶんと線の細い御仁ですな」

 エイドレスがアルヴァンを見ながら言った。


「ははは、そんなことはありませんよ。うちのアルヴァン君はそれはそれは腕が立ちますから」

 グレースは朗らかに笑ったが、その目は笑ってはいなかった。

 ヒルデもまたにこにことしてはいるが、後ろに回した両手は固く握りしめられていた。

「ううむ、マレビトとなれば見た目で判断すべきではないのかもしれませんな」

 アルヴァンの銀の髪を眺めながらエイドレスが言った。

 エイドレスの言葉にアルヴァンはわずかばかりうなずく。


「エイドレス殿、今日は折り入ってご相談したいことがあって参りました」

 改まってグレースが切り出した。

「聞いております。ビョルクの工房の装飾品を買い付けたいとのことでしたな。あの工房の品は確かに一級品だ。グレース殿が興味を持つのも……おや?」

 何かに気づいたエイドレスが言葉を切る。

「お嬢さん、その髪飾りは……」

 エイドレスはヒルデの紅蓮の髪を彩る髪飾りに目を向けている。

 あの髪飾りは領主付きとはいえメイドが買えるような金額の品ではない。外すように指示するのを忘れていたグレースは頭を抱えたくなった。


「あれはですね……」


 グレースが言いよどむ。

「エイドレス様、これはわたくしの婚約者であるアルヴァン様から送られたものですの」

 慈しむように髪飾りを撫でながらヒルデが言った。

「アルヴァンというのは……」

 エイドレスが先ほど紹介されたパインデールの領主の護衛に目を向ける。

「そうですわ、このアルヴァン様は婚約の証としてわたくしにこの髪飾りを送ってくださいましたの」

 ヒルデは幸せそうな笑みを浮かべている。


「それはまた……ずいぶんと大変だったのではないかな……」

 ライムホーンの領主は護衛の青年に聞いた。

「いえ、たいしたことでは」

 アルヴァンは淡々と答えた。

「わたくしもそう言ったのですが、似合っているんだからいいんだよ、なんて言ってくださいましたわ」

 ヒルデは熱のこもった視線でアルヴァンを見ながら懐かしむように言った。

「そうかそうか、若い二人の門出に私の都市の装飾品が関わっていたとは……なんともうれしい話じゃないか」

 エイドレスは心から喜んでいるように見えた。


「ライムホーンの領主様に祝っていただけるだなんて本当に光栄ですわ。ね、アルヴァン様?」

 ヒルデはアルヴァンの腕をとりながら言った。

「え、ええ……光栄です」

 アルヴァンは感じていた。表情だけは柔和だが、かつてないほどに不機嫌そうな目をしているグレースの存在を。


「ははは、二人とも、いい加減に……じゃなかった、ほどほどにしてくれよ」


 グレースは笑いながらアルヴァンとヒルデを引きはがすが当然のことながらその目は笑っていない。

「素晴らしいカップルじゃないか。なんだったら私の城で式を挙げてはいかがかな?」

「非常に光栄な話ですわ。こんなにすてきなお城でアルヴァン様と永遠の愛を誓えるだなんて……どうしましょうかグレース様?」

 表面的には喜んでいるが内心は勝ち誇っているヒルデがグレースを質問という形で煽った。


「全く光栄な話だね。ですが、エイドレス殿、申し上げにくいのですがこのアルヴァン君は生まれ故郷のマレビトの村のしきたりに則って式を挙げなくてはならないのですよ。ですから、ここで式を挙げるわけにはいかないのです。……そうだよねえ、アルヴァン君?」

 親しげにアルヴァンの肩に手を置きながらグレースが言った。ほかの人間は気づいていなかったが、アルヴァンは自分の肩に信じられないほどの力がかけられているのを感じた。


「え、ええ。申し出はありがたいのですが故郷にしきたりには従わなくてはならなくて……」

 グレースからの圧力に屈したアルヴァンが言った。

「そうか、そういうことであれば仕方ないな。お二人の幸せを願っているよ」

 少し残念そうではあるが、納得した様子でエイドレスがうなずいた。

 既成事実を作ることに失敗したヒルデはどうにか笑みを作った。


「さて、アクセサリーの買い付けの件だったね。それに関しては全く問題ない。グレース殿には自由に動いてもらってかまわない。ビョルクの工房以外にもライムホーンには優れた工房がある。今日はもう遅い、この城に部屋を用意してあるから明日から自由にライムホーンを見て回ると良い」

 エイドレスが話を本題に移した。

「感謝いたします」

 グレースが頭を下げた。

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