第27話 帰ってきたグレース

 扉を蹴破った衛士隊長が見たのは顔に傷のある大男が優雅にたばこを吹かしているところだった。

「衛士ってのはノックもできねえのか?」

 鼻から煙を吹き出しながらガスリンが言った。その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。

「へらへらと笑っていられるのも今日までだぞ、ガスリン!」

 隊長に続いて部屋になだれ込んできた衛士たちがガスリンを取り囲む。彼らはそろって剣呑な雰囲気だった。


「まあ、落ち着けや。たばこでもどうだ? それとも、こいつの方がいいかな?」

 そう言って茶色の粉末が入ったガラス瓶を振ってみせる。

 殺気立った衛士たちに囲まれてもガスリンは動じない。当然だ。あの銀髪の小僧に比べればこんな連中なんぞ、すごんで見せたところでネズミがキイキイ鳴いているのと変わらない。そんな思いが表情にも出ていたのだろう、隊長はつかつかとガスリンに歩み寄ると傷の浮いたその頬を思い切り張った。


「隊長さんよ、後悔するぜ」

「ああ、貴様を地獄に落としてやった後でたっぷり後悔してやろう」

 隊長が部下に合図すると衛士たちは荒っぽい手つきでガスリンを拘束した。




「どうだい、後悔の味は?」

 にやりと笑ってガスリンが言った。その両手には手かせが、足には足かせがつけられている。

「ふざけるな! この書類は一体何なんだ!」

 ガスリンと向かい合って座った衛士隊長がバンとテーブルをたたく。

 その目には怒りと少しばかりの困惑が浮かんでいた。


「字が読めねえのかい隊長さん? しょうがねえなあ、俺が読んでやろうか?」

 にやにやと笑いながらガスリンが言った。

「ふざけるなと言ったはずだぞ!」

 両手を伸ばし、ガスリンの首を締め上げながら隊長が言った。


「がっ……かはっ……」


 ガスリンの顔から血の気が失せた頃、ようやく隊長は手を離した。

「さあ、わかるように説明しろ!」

 ガスリンはゼイゼイとあえぐ。


「わ、わかった……説明する……こいつは取引記録だ……」

 枷をはめられた両手を上げて、テーブルに置かれた書類を指さす。

「そんなことはわかっている! 問題は……」


「取引相手がグレゴール・コンラッド様だってことか?」


 言いよどむ隊長の後を継いでガスリンが言った。

「こんなことがあるはずがない。グレゴール様が貴様などと……」

 隊長が書類に書かれた領主の署名に目を落とす。

「それはねえだろ隊長さん? あんただって疑問に思ってたんじゃねえか? なぜ俺を捕まえる作戦が何度も失敗したのか? なぜ、俺に関する情報を集めていると領主の噂が出てくるのか?」


 心を見透かされた隊長が唇を噛む。


「図星か? まあ、聞いてくれよ。俺は領主様のお得意様でね。長いこと取引をしてきたんだがグレゴールの野郎、取引のことが父親にばれそうになったとか言い出してよ、この俺を切り捨てようとしやがったんだ。俺だってただじゃ終われねえ、薬をちまたにばらまいてあんたらの目を引き、なにもかもぶちまけてやろうと思ったんだ。そうしたらどうなったと思う? グレゴールの野郎、刺客を差し向けやがった」


「た、確かに貴様が命を狙われたという報告は受けている。だが、それがグレゴール様の指示だなどということは……」


「勘弁してくれよ。相手は腐っても都市一つを治める領主だぜ、証拠なんて残すもんかよ」

 ガスリンは大仰に天を仰ぐ。

「証拠がなければこんな話は貴様の作り話に過ぎん」

 冷静さを取り戻した隊長が言った。


「証拠があれば信じてくれるんだな?」


 鋭い眼光で隊長を射貫く。

「……あるというのか?」

 隊長がゴクリとつばを飲むのがわかった。


「取引に関してはな。アイツの裏切りにはうすうす感づいてたんだ、領主の館に薬を運び込むときにこっそりと指示されたのとは違う場所に薬を仕込んである。つまり、俺が言った場所を調べれば領主の館から薬が出てくるってわけさ」

「そんなことが……あるわけが……」

「そう思うんなら調べてみろよ。いいか、薬を仕込んだ場所は……」




 苛々と部屋を歩き回る衛士隊長のもとにようやく部下が戻ってきた。

「戻ったか。それで、結果は――」

 返事を聞く必要はなかった。領主の館から戻ってきた部下の表情は何よりも雄弁に結果を物語っていた。

「なんということだ……」

 隊長がかぶりを振る。

「隊長……わたしは一体どうすれば……」

「お前はひとまず身を隠せ。隊の者にはわたしから説明しておく」

 部下は隊長の言葉にうなずくと部屋を出て行った。




「ずいぶんとしけた家だな」

 パインデールの外れに立つ、廃屋同然のぼろ屋を見上げながらガスリンが言った。ガスリンは隊長から渡された変装用の帽子と眼鏡を身につけていた。その体には手枷も足枷もつけられていない。

「だまれ、命を助けてもらえるだけ有り難く思え」

隊長も普段の装備ではなく私服姿だった。油断なく周囲に視線を配りながらいつでも隠し持った短剣を抜けるように身構えている。


「住めば都なんて言葉もあるが、ものには限度ってもんが――」

 ガスリンの軽口は最後まで続かなかった。建物の影から飛び出した人影がガスリンに躍りかかったからだ。

 隊長は即座に短剣を抜き、刺客の前に立ちふさがった。


「殺す殺す殺す殺す」


 刺客は血走った目でぶつぶつとつぶやきながら短剣を振るう。

「この程度で……」

隊長は刺客の剣を避け、反撃に打って出た。


「殺す殺す殺す」


 腕を斬られても足を斬られても刺客はひるみもせずに向かってくる。

「やむをえんか」

 刺客を捕らえることをあきらめ、殺すつもりで刺客に向き直ったとき後ろから声がした。


「な、なんだテメエは!」

 後ろを振り返ることなく状況を察した隊長は即座に刺客の首を切り、相手を絶命させるともう一人の刺客に襲われているガスリンの方へ走った。


 ガスリンが後ずさる。

 刺客の白刃がきらめく。

 間に合わない。

 隊長が悟った次の瞬間、刺客がくずおれた。


 刺客の胸からは漆黒の剣の切っ先が突き出している。

 刺客が胸から血があふれ、その目から光が失われていくのを惚けたように見つめていると、刺客を刺した剣の持ち主が話しかけてきた。


「どうにか間に合いましたね」


 剣の持ち主である銀髪の青年は絶命した刺客から剣を引き抜きながら言った。

「あんたは一体……」

 混乱が収まらないまま隊長が言った。


「安心してください。僕はグレース・コンラッド様の部下です」

「何だと⁉」

 銀髪の青年の言葉に隊長は愕然とした。

「グレース様は心の病を理由に……」

 隊長は思いついたまま言葉を紡ぐ。

「表向きはそうなっています。しかし、そうではないのです。グレース様はグレゴール様がよからぬ相手と取引をしていることを知りました。それを公にしようとした彼女はグレゴール様に毒を盛られたのです。その結果、グレース様はあのようなことに……」

 銀髪の青年が悲しげに目を伏せる。


「ですが、グレース様はあきらめてはいなかった。回復した彼女はわざと精神に異常を来した振りを続けました。そして、このガスリンがグレゴール様を告発しようとしていることを知り、僕にガスリンの確保を命じたのです。まあ、あなた方に先を越されてしまいましたがね」

「ま、待ってくれ。頭が追いつかない。グレース様がグレゴール様を告発しようとしていたなどと……」

「あなたのお気持ちはよくわかります。混乱されるのも無理はない。しかし、ことは一刻を争います。どうか、これを読んでいただけませんか?」

 そう言って青年が手渡してきたのは手紙だった。


「これは……コンラッド家の……」

 隊長は信じられない思いで手紙に押された印章を見つめた。

 慌てて封を切り、中の手紙を読み始めた。

 手紙に書かれていたことは隊長にとって悪夢のような内容だった。

 領主グレゴールの裏の顔。毒を盛られたグレースがなんとか回復したこと。そのことが知られれば命を狙われること。それでもグレゴールの悪事を告発するべく手を回していたことが事細かに綴られていた。


「グレース様……」

 グレースの境遇と彼女の強い意志に我知らず涙を流しながら、隊長はつぶやいていた。

「信じていただけますか?」

 銀髪の青年の問いかけにしばらくの間黙り込んでいたが、ついに隊長が口を開いた。

「わたしはなにをすればいい?」

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