【番外編】ローゼマリーの恋5ーハンカチ

「片思い」

「はい、相手の人は私の気持ちなんか気付いてもいないと思います」

「伝えないのですか?」


ローゼマリーは膝の上に置かれた刺繍枠に目を落としました。


「相手の方にご迷惑でしょうから……」


そうでしょうか。ローゼマリーに言い寄られて困る男性はいない気がするのですが。


「もしかして……」

「ち、違います!」


わたくしの懸念をさすがの速さで察したローゼマリーは、力強く否定しました。


「他の神官様でも結婚している方でもありません!!」

「そうでしたか」


正直、ほっとしました。けれど、それならそれで、ますます伝えない理由がわかりません。


「一体どなたなのですか?」


ローゼマリーは再び顔を赤らめて、思い切ったように言いました。


「……トフ様……です」

「え?」

「護衛騎士の、クリストフ様です!」

「まあ!」


クリストフといえば、わたくしがゾマー帝国に来てからずっと護衛をしてくれている騎士です。トゥルク王国にもついてきてくれました。ルードルフ様の信頼も厚い、真面目な人柄の男性です。

わたくしは思わず前のめりになりました。


「そうだったの! 確かに、顔を合わす機会も多いですものね!」


言いながら、頭の中で考えます。確か、ゴルドベルグ伯爵はローゼマリーに婿を取りたがっていました。

伯爵家の次男であるクリストフなら、家柄的にも条件的にも申し分ないのではないでしょうか。いいんじゃないでしょうか、悪くないじゃないですか。

ローゼマリーの恋を祝福できる喜びでいっぱいになったわたくしはそんなことを考え、はた、と目の前のローゼマリーが辛そうなことに気が付きました。

わたくしとしたことが。

浮かれた気持ちを消して、ゆっくりと聞きます。


「相手の方に迷惑とは、どういうことなの?」


ローゼマリーは唇にだけ笑みを作ります。寂しい笑顔でした。


「私、クリストフ様に嫌われているんです」


その諦めたような表情と、話した内容、両方聞き捨てなりません。


「ローゼマリー、思い切って何もかも言ってくださらない? 話したら楽になるし、なにか力になれるかもしれないわ」

「エルヴィラ様……」


わたくしは、椅子に深く座り直しました。


          ‡


「おはようございます、クリストフ様」

「おはようございます、ゴルトベルグ伯爵令嬢」


ローゼマリーとクリストフは、もともとすれ違ったときに挨拶をする程度の関係だった。

それでも、数多の護衛騎士の中で、ローゼマリーは、クリストフを特に信頼していた。


侍女と護衛騎士。


役割こそ違えども、働きぶりはお互い目に入る。誰もいないところでも馬鹿正直に任務を全うするクリストフに、ローゼマリーは親近感を抱いていた。


「クリストフ様、お先に失礼します」

「お疲れ様。ゴルトベルグ伯爵令嬢」


すれ違い様、そんなささやかな会話を交わすのは、同士だからだ。ローゼマリーは、そんなささやかなねぎらいに励まされていた。

もちろん、騎士が全員真面目とは限らない。


「アヒム様、それ、お酒ではありませんか?」


同じ護衛騎士でも公爵家の三男、アヒム・バウムガルデンなどは、家柄の良さを鼻にかけて、宿直中にも度々飲酒をする始末だ。見かねて注意しても、へらへらと笑って悪びれない。


「見逃してよ?」


なまじ顔が整っているので、ちやほやされることに慣れているのだろうか。ローゼマリーは、毅然として言い返した。


「真冬の外の宿直なら、体も温めたいだろうとまだ理解できますが、宮殿の中でそれは困ります」

「侍女みたいに楽な仕事ばかりしてる女には、わかんない辛さがあるんだよ」


ローゼマリーは苛立ちを隠して、踵を返した。


「わかりました。侍女ごときが差し出がましいことを申し上げました」


背後からご機嫌な声が飛ぶ。


「わかればいいーー」

「フリッツ様にお伝えして、フリッツ様から注意していただきます」


慌てたように腕を掴まれた。振り替えると、血走った目がそこにある。


「あー、はいはい、わかりましたよ、飲まなきゃいいんだろ?」

「もっと真剣になってください!」

「ふん、堅物」


そんなことがあったものだから余計に、ローゼマリーは同僚としてのクリストフに好感を抱いた。クリストフならそんなことはしない。クリストフなら、侍女の仕事を楽なものだと切って捨てない。

だが、それも、エルヴィラがトゥルク王国から帰ってくるまでだった。


「どうして!」


トゥルク王国でエルヴィラがさらわれた件を聞いたローゼマリーは、いてもたってもいられなくて、クリストフに抗議に行った。


「あなた方がついていながら、どうしてそんなことになったのです!」


今更何を言っても仕方ない。

終わったことだし、正式な処分は追って下される。

一介の侍女であるローゼマリーがそれに口を出せるわけもない。

わかっているのに、どうしても感情を抑えられなかった。


「どうして! 何でそんな危ないことに!」

「申し訳ない」


クリストフは言い訳をしなかった。怒りもしなかった。ただ、ローゼマリーの話をずっと聞いていた。

しかし。

後になってローゼマリーは、自分が聞いた話はアヒムによってかなり誇張されたものだと知った。


実際のクリストフたちがどれほど頑張ってエルヴィラのために動いたのか。他でもないエルヴィラから聞かされたローゼマリーは、確かめもせず、一時の感情で動いたことを後悔した。


全員無事に帰っているということは、向こうでクリストフを含む皆が頑張ったということなのだ。職務に忠実な彼が、責任を感じていないわけがないのに。

自分の心配を盾に、感情を爆発させてしまった。




数日後、冷静になったローゼマリーは、クリストフに謝ろうと思い、官舎まで足を運んだ。

しかし。


「また留守なのですか?」

「あ……うん、そうなんだ」


何度訪ねても、別の騎士が気まずそうに答える。同じことを数回繰り返して、ローゼマリーはやっと気付いた。ローゼマリーは避けられているのだ。


胸が張り裂けそうだった。


だが、無理もない、とも思った。自分はそれほどひどいことを言ったのだ。一方的な情報で。確かめもせず。

騎士の矜持を傷つけてしまうようなことを言った。

穏和なクリストフだから、その場は流してくれたが、二度と口を利きたくないと思われて、当然だ。




そこから、ローゼマリーもクリストフを避けた。

ただ、元気でいるかどうかだけが気になって、仕事の合間に、騎士たちが練習をしている豆粒ほどの小さな姿をこっそり見に行ったりした。

その頃になってようやく、ローゼマリーは自分の気持ちに気が付いた。

自分はクリストフを同僚以上に思っている。

あのとき感情的になってしまったのは、クリストフへの心配も混ざっていたからだ。

そんなことも見極められない自分の幼さに、ローゼマリーは嫌気が差した。

嫌われて当然だと思った。


          ‡


「ですから、そもそも私が悪いんです。失礼なことを」


ほんのり涙をにじませたローゼマリーは、そう言うと自前のハンカチで目頭を押さえました。


「悪いのはアヒムじゃないですか!」


わたくしはつい声を大きくしました。ローゼマリーは冷静に答えます。


「それでも、話を精査せず行動したのは私です」


わたくしはため息をつきました。ハンスと合わせてアヒムのこともフリッツ様に聞いてみなくては。

それにしても。


「それくらいでクリストフが嫌うかしら」

「嫌います」


きっぱりとローゼマリーは言いました。


「あれ以来、すれ違いそうになっても、直前で道を変えられます」


嫌ってるのは置いておいて、避けているのは確かようです。なにか誤解がある気はするのですが。


「では、せめて気持ちをきちんと伝えてはいかがですか? 今のままじゃ苦しいでしょう?」


いいえ、とローゼマリーは首を振りました。


「確かに苦しいのですが、これは私のしたことが返ってきただけですから」

「……」

「もちろん、クリストフ様は優しい人です。無理矢理にでも謝ったら許してくれるかもしれません。でも、それじゃ私、私のことが許せないんです」


ローゼマリーは迷いなく言いました。


「自分がスッキリしたいからって、クリストフ様にまた迷惑をかけるなんてできません」

「ずっとこのままでもいいんですか?」


ローゼマリーは微笑みました。


「今はまだちょっと無理ですけど、もう少ししたら、気持ちの整理が付きますから」


そう言うローゼマリーの、ハンカチを握る手に力が籠ったのを、わたくしは見逃しませんでした。

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